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元不登校だった話シリーズ2。

こんばんはこんにちは。
てんです。

今日は昨日の続きをお話したいと思います。

では早速本題へ。


ー 元不登校だった話。2 ー

コロナ禍での受験勉強は思ったよりも
困難を極めるものでした。

特に友達や周りの学生の
受験勉強の進捗状況が分からないことが
私にとって何よりの不安でした。

人と比べてしまう癖のある私は
一日の勉強量はこのくらいでいいのだろうかetc.....

不安な考えが頭をぐるぐるぐるぐる回って
次第に心が沈んでいる日が多くなりました。

ここで私が不登校になった要因を大きく3つ。
お話したいと思います。

①受験は団体戦と言われている程、周りに友達やライバルが必要だった時期にコロナ禍になってしまったこと。

②本当に自分が進みたい分野と両親が望んでいる進学先が一致しなかったこと。

③SNSがコロナ禍により活発だったこと。
(病み垢etc.....)

ここから1つずつ紐解いて行こうと思います。

まず①は冒頭でお話したので割愛!。。。

②について。
私は音楽が大好きです。
今は音楽系の専門学校で作詞作曲等
幅広く学ぶことが出来ています。
しかし高校生の当時は進学校ということもあり
周りも先生も両親も大学入学共通テスト
(私の代からセンター試験から名前が変わりました!)
を受け大学へ進学するのが当たり前の
雰囲気がありました。
毎週毎週学年集会を開いては受験の話。。
そんな受験生生活を送っている中で
志望理由書の仮(?)テストを受ける機会がありました。
そこで私は何を学びたいのか将来どのような人を目指しているのかを具体的に書けませんでした。本当に苦しかったです。
私の周りは公務員を目指していた人や保健室の先生を目指す人、学校の先生を目指す人など
明確な動機がありました。
すごく焦ったことを覚えています。
私は音楽やエンタメの世界に行きたいのに
どう書けばいいんだ。。。。
絶望でした。
しかし私は自分の意思を上手く主張することが出来ませんでした。
両親には進学する大学の話題を濁し、
その日その日を嘘で繋いで生きていました。

私の家庭は若干、学力至上主義で
いい大学を出れば安泰だとそう教えられて生きて来ました。(間違いでは無いですけどね。)
幼少期から塾に通い保育園児にして英語を話し、
自分の名前を漢字で書くような
少し変わった大人びた子供でした。(今思えば)
その反動なのか子供ながらに甘えることが上手く出来ませんでした。(長女だからかも知れません。。)
両親に無償の愛を沢山注いで貰えている家庭とは違い、成績が良ければ良いほど褒めて貰えるような家庭だったため大学進学も自分の意思とは関係なく何となく当たり前にするものだと思っていました。


長くなりそうなのでここまで、、!(突然)

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