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ゴドーなんか待たない:生きる意味とは何かーNever Waiting for Godot
「もう、死んじゃいたい。」
そう泣き崩れる友達を前に、私は何と声をかけるのが正解だったのだろう。
約20年生きてきた中で、自分を大切にできない友達や生きているのが辛いと打ち明けてくれた人が数人。「生きる意味なんてあるの?」と聞かれたことが数回。私自身どうしようもなく辛くて、学校のベランダや鳴り響く踏切に吸い込まれそうになったことが幾度かある。自分を大切にできなくなった時期にできた手首や足首の傷は、「あの苦しみを忘れてくれるな」と私を嘲笑うかのように、今でもうっすら残っていて消えてくれない。
その経験の中で、他人や自分自身から何度も問いかけられた「命の大切」や「生きる意味」について考えてきたけれど、今でも答えを持ち合わせていない。何年も考え続けて思うのは、そもそも生きる「意味」などあるのだろうか。
大人たちは、「皆に生きる意味があるのよ」だったり、「いつか抜け出せるから」と言う。けれど、正直無責任としか思えない。当事者にとって、苦しみから抜け出せる「いつか」の存在は、ゴドーと同じくらい存在するか分からないものだし、先の見えないトンネルを歩いているかのような閉塞感の中でそんなことを説かれても、苦しみが増すだけだ。
誰かを傷つけてしまうかもしれないと怖くてなかなか言えないけれど、突き詰めてしまえば、生きる「意味」なぞ見つからないのだと思う。私たちが見出す「意味」など幻想に過ぎない。他人が言う人生や人生の意味なぞ鋳型だ。だからこそ、生きる意味を探せば探すほど苦しくなるに違いない。ある種の呪縛だ。そもそも誰もが「意味」を見出せるほど豊かな人生を歩んでいるとは限らないし、そもそも意味があるかないかなんて、いざ死を迎えるまで生きてみなければ結論は出ない。だからこそ、そんな中で私たちができるのは、生きる意味を探すのではなく、「今何をすべきなのか」、「人生が自分に何を求めているのか」を考えて、今日を精一杯生きることだけだ。
いないかもしれない「ゴドー」を探させて、絶望させているのは一見優しく見える「生きる意味があるよ」という人間の方なのではないか。生きる意味を探せば探すほど、苦しくなるに違いない。―生きる意味なんか探さなくていい。そう思うと、心が軽くなるのを感じた。
***
ふと太陽の光を浴びたくなって、外に出る。探し物をもうしなくてもいいと思うと、なんだか心が軽く感じた。風は心地よく、雲一つない春の空と満開の桜の花が一段と鮮やかに輝いて見えた。
⭐︎参考に
サミュエル•ベケット 『ゴドーを待ちながら』
V•E フランクル 『夜と霧』
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