姫様俳話

16 源氏物語

今、大河ドラマで取り上げられいる「源氏物語」に、注目が集まっている。それは、作者の紫式部という女性が、謎めいているせいなのか?は、わからない。この時代の女性は、役職などや何々の娘と呼ばれていて、それが残り、本名などでは残らなかった。名前がやっと残っているのは、私は北条政子や日野富子のような政治に関わった女性であり、大体主に名前が残るのは、江戸時代に入ってからだったように思う。
今までの大河ドラマは、戦国時代の物語に、多くの視聴率が集まってきたため、その時代を取り上げたものが、多く制作されたように思う。それなのに、なぜ今「平安時代」?それも「源氏物語」?「平安時代」なら平清盛か源義経で、平安末期だったはずだ。しかしそれは…女性が注目される時代が来たということかもしれない。
そして、今まで「平安時代」が取り上げられなかったのは、女性の衣装が高額な「十二単」だからかもしれないと思っていた。私にとって「十二単」は「皇室の行事」にしか出てこない、遠い存在のものだったように思う。

それから皆様は、今「源氏物語」を、原文で読もうなどとは、とても思わないと思う。多分読みづらいかな文字だ。第2次世界大戦以前、日本の書物は旧かなであり、今の現代国語を学んでいる私達には、すんなり読めないと思う。まして、かな文字はくずし字がほとんどという印象があり、そのように書かれているはずだ。先代の尾張公は、私に生前「古い文書は、眺めていれば、自然に読めるようになる」と言われたが、私は未だに読めていない。ましては「源氏物語」は「平安時代」のかな文字が主体だ。そう考えると、原文はもう私達には理解不能だ。
最近の文化庁の調査では、現代人の文字離れも、顕著らしい。そして大体今の若者は、本を読まないと思う。
だから「源氏物語」は、馴染みのマンガでの解釈本が、多いと言われている。私の世代の人は、おそらく源氏物語を題材とした「あさきゆめみし」というマンガ本に、お世話になっている人が多いはずだ。

私達の学生時代は「現代文解釈の源氏物語」が、読まれていたように思う。何故か私は、それを読んでいる。勉強嫌いの私が…なぜ?確か高校時代の研究、宿題みたいなものがあったからだと思う。
大体の現代文解釈の源氏物語は、著名な文豪が書いているものが、多い。それはその文豪の考えが、強い内容に文章が反映されていて、その文豪の作品になっていたような気がする。私が読んだ作品は、確か「与謝野晶子版」「谷崎潤一郎版」「瀬戸内寂聴版」の3つだと記憶する。1つがすごく長く、何巻もあって大変だった印象がある。その文豪の名前も、今はあまり知らない人が、多いのかもしれない。悲しいことだが。
私は「瀬戸内寂聴版」を読み始めて、しばらくしてから息切れしてしまい、投げ出してしまったように思う。だから最後まで読んでない。実は「谷崎潤一郎版」の作者「谷崎潤一郎」の名著である「細雪」の序文?説明文はなんと、私の祖父「成瀬正勝」が書いている。さすが東京大学の教授であり、有名だったようだ。すごい。少し自慢したい。
それが縁なのか話によると、祖父が亡くなるまで成瀬家には、その谷崎潤一郎の名著「細雪」の初版本が上下であったらしいと母が言っていた。しかしそう言われているだけで、私はそれを見たことはない。だから本当にそれがあったかどうかは、わからない。
祖父の蔵書のほとんどは、今「成瀬正勝文庫」して、明治村に寄付され、残っている。
直筆物では確か「永井荷風」の物があったように思う。祖母はどこに何を寄付したか、父には言わなかったようだ。だから祖父が亡くなって、しばらくは祖母と父は、仲違いしていたと聞いている。
話は戻るが、もし「細雪」の初版本の話が本当なら、きっと高額本であったに違いない。しかし父の性格を考えると、きっと売られてしまっていて、影も形も失くなっていたに違いない。
だから祖母の選択は、ただしかったのだと、今私は思う。そしてその思いが、現在1万5,000冊の「明治文学」がこの世に残ったのだと、私は信じたい。
しかし母は父が、かの有名な「三島由紀夫」先生に、名前を呼んでもらってるのを聞いて、惚れ直したと言っていた。
でももし、祖父が「谷崎潤一郎」に会ったことがあるとしたら、その方がすごい事だと私は思ってしまう。なぜならそれは、私にとって、夢がある話だから。

私達の世代は、まだ彼の名著「細雪」を、舞台や映画で馴染み深かった。でも今の20代30代の方には、その「細雪」自体、あまり馴染みがないような気がする。だからあまりその名を最近は、耳にしない。それを思うと、1000年の時を経ても色あせない「源氏物語」という文章は、誠に素晴らしいものなのだと思う。あの時代、上級貴族は贅を尽くしていたように見える。時の左大臣の藤原道長が、かの紫式部をバッグアップしたものだから、そしてあのきらびやかな宮中ドラマの「源氏物語」が書かれたのかもしれない…そしてその後には、あの有名な「源氏物語絵巻」も、書かれたのだと思うのだ。絵巻の表具の美しさを見ると、あの絵巻は平安時代のものだと私は思う。

私に、掛け軸の表具の素晴らしさを教えてくれた、亡くなった修復士は、掛け軸の表具の染料の古さを見れば、自ずとその時代と価値がわかると、私に教えてくれた。
だから最近、表具を代えてしまう修復士は…本当のものの良さを、後世に伝えていないような気がする。本当に工芸品の保存は難しいのだ。
しかし、このような世の工芸品のおかげで、修復技術も平成までは残ってきた。しかし、コロナ禍のせいで、かなりの数の修復士が生活苦のため、廃業していった事実があるのを、皆様ご存知だろうか。

話は変わるが、江戸時代を通して、大名家の姫の婚礼品の1つが「源氏物語」だったと記憶する。成瀬家にもその片鱗が、少し残っている。一番世間で有名なものは、3代将軍「徳川家光」の娘、千代姫の国宝「初音の調度」と呼ばれる婚礼品だ。今それらは徳川美術館にある。そこにも確か「源氏物語」をイメージした道具入れが、いくつか残っていたはずだ。成瀬家3代正親の正室は、5万石くらいの大名家のお姫様であった。彼女が持ってきたであろう婚礼品の中には、今見ても素晴らしい「源氏物語」の書かれた冊子が、遺品に残っていた。それは今名古屋市の篷左文庫にあって、私はそこで見ることが出来る。多分それは、彼女が亡くなってから、尾張徳川家に献上されたものだと思う。男性の当主の名品も、いくつかは、江戸時代前期、将軍家に献上するしきたりがあったみたいだ。女性は尾張徳川家に献上したのか?

私はそれを見た時、思わず「返して!」と、心の中で叫んでしまった。
私も、昔だったら「源氏物語」を持っていたのかもしれない?かも。そして、まことしやかにそれらを読んでいたのかもしれない。しかし今はそうではない。
どうか皆様、これを機に「源氏物語」の原文とは言わないが、せめて「現代語訳」は読んで解釈してみては?そうしたら、違う「源氏物語」の世界が、味わえるかもしれない。


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