町田康『夫婦茶碗』を深く読んだら意外な作家にたどり着いた
町田康ほど、つかみどころのない作家は、珍しいのではないでしょうか。「面白い!」というのは読んだ瞬間にわかるものの、なぜ面白いのかは全く見当がつかない。だから、友だちに勧めるときも、「読めばわかるから」としか言いようがない。
今回は、そんな「感想の言いにくい作家」である町田康の『夫婦茶碗』について、解説をしていきたいと思います。
<あらすじ>※ネタバレなし
『夫婦茶碗』は、無職の主人公が仕事を探す話です。どうやら長い期間だらしない生活を続けているらしく、冒頭でいきなり奥さんとのケンカが始まります。
食料も尽き、流石にやばいと思った主人公は仕事探しを計画しますが、その計画というのが、茶碗洗い(茶碗ウォッシャー)として日給2万円以上を稼ぐというもので、もう完全にアホです。案の定だれにも相手にされません。
そんな中ですが、主人公は友人のツテで内装の仕事を手伝えることになります。そのおかげで少しずつ貯金も貯まり、奥さんに新しい冷蔵庫を買ってあげたりします。アホだけどいい奴なんですね。
しかしそれも束の間、主人公はだんだんと仕事が嫌になっていき、それに新しい冷蔵庫の卵入れ場の使い方にこだわり過ぎた疲れも相まって、なんと速攻で仕事を辞めてしまいます。
たちまち元の貧乏暮らしに戻り、奥さんが結婚前に買ったシャネルのバッグなどを勝手に質に入れて、急場をしのぎつつ仕事を探しますが、なかなか思うように行きません。
そんなある日のこと。仕事が見つからずストレスの溜まった主人公が蕎麦屋に行くと、金を持ってそうな常連客が騒いでいるのを目にします。店の女将に聞くと、どうやら地元で有名な童話作家だとのことです。
「童話作家とはそんなに儲かるのか。知らなかった」
驚愕した主人公は、メルヘン『小熊のゾルバ』を書くことで一発当ててやろうと決心します。
果たして、主人公の野望は成功するのでしょうか?という所で、後半へと続きます。
※ここからはネタバレを含みますので、実際に作品を読んでから進んで下さい。
<ネタバレ解説>※作品をご覧になってから読まれることをおすすめします。
さて、いかがでしょうか?実際に読んだ方はご存知だと思いますが、『夫婦茶碗』はむちゃくちゃ変な小説です。
とくに後半パートは、『夫婦茶碗』の謎をより一層深めています。奥さんが失踪してポルノ映画に出演していたり、その奥さんとの連絡がついたかと思えば子供が産まれていたりと、非現実的なシーン(作家となった主人公が書く創作です)が至るところに出現し、なにが現実かわからなくなっています。
この「現実か創作かのわからなさ」「現実の嘘くささ」というのは、町田康にとって大きなテーマです。『夫婦茶碗』以降の『パンク侍、斬られて候』『宿屋めぐり』などの作品でも継続的に扱われています。
「嘘くさい現実」というのは、すなわち「現実はすべて幻ではないか?」という問いにつながります。
この問いはとても危険です。なぜなら、もしも現実がすべて幻なら、「別に全部壊してしまってもいいじゃないか」と考える人が現れるからです。
そして、それは既に歴史的事件として起きています。オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件や、アメリカの同時多発テロがそうです。「現実はすべて幻に過ぎない。本当に生きるべき場所はここではない」という考えが、これらの事件を引き起こしました。
それでは、この「嘘くさい現実」にたいする『夫婦茶碗』の回答はどんなものか。
その答えはラストシーンにあります。主人公が家で一人で茶柱を立てようとする場面です。
一見すると何のための行動か不明ですが、主人公がとても真剣であることがわかります。
他人から見るとおかしいけれど、前向きに努力しています。
お気づきでしょうか。これは「嘘なら壊せばいい」とは正反対の行動です。その根っこには「もしかすると幻かもしれないけれど、頑張って生きてみよう」という意志があるのです。
<町田康と意外な作家の関係>
じつは『夫婦茶碗』同じテーマを扱った作品があります。村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。詳しくは言いませんが、作品中で主人公が重大な決断をする際に、同じテーマに直面するのです。
町田康はインタビューなどでたびたび村上春樹に言及するので、もしかすると『世界の終り』も読んでいるのかもしれませんね(そもそも町田も村上も大江健三郎から大きな影響を受けていて…という話もあるのですが、長くなりそうなので、今日はこの辺で)。
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