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読書感想文におすすめ!小中学生こそ読むべき太宰治! 現代語訳「畜犬談」太宰治

畜犬談ちくけんだん

伊馬いま鵜平うへいくんあたえる―
太宰だざいおさむ


わたし太宰だざい
いぬかんして、だれよりも"自信じしん"がある。
なんの"自信じしん"かとうと、
かならまれるであろう』という"自信じしん"だ。
わたしは、いつかきっとこのいぬまれるにちがいないとおもっている。
その"自信じしん"があるのだ。
これまで一度いちどまれずにきてこれたことが不思議ふしぎにさえおもえる。

 私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。


諸君しょくん
いぬ猛獣もうじゅうである!
うまたおし、たまにライオンとたたかってったりするとかいうではないか。
あのいぬの、するどきばるがよい。ただものではないのがわかるだろう。

諸君、犬は猛獣である。馬を斃し、たまさかには獅子と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。さもありなんと私はひとり淋しく首肯しているのだ。あの犬の、鋭い牙を見るがよい。ただものではない。


いまは、あんなかんじでなにもかんがえていないかのようにい、ごみばこなんかをのぞきまわっているようにせているが、実際じっさいうまたおすほどの猛獣もうじゅうなのである。

いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱を覗のぞきまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。


いつどこでいかくるって、その本性ほんしょうすか、わかったもんじゃはない。
いぬかならくさりしばりつけておくべきである。
すこしの油断ゆだんもあってはならないのだ。

いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。犬はかならず鎖に固くしばりつけておくべきである。少しの油断もあってはならぬ。


おおくの飼い主かいぬしは、みずからこのおそろしい猛獣もうじゅうって、これに毎日まいにちエサをあたえている。
まったくこの猛獣もうじゅうこころをゆるし、やれ「シロ」や「チビ」などとって気軽きがるせ、さながら家族かぞく一員いちいんのようにしている。
三歳さんさいがその猛獣もうじゅうみみっぱって大笑おおわらいしている様子ようすていると、ゾっとして、じたくなってしまう。

世の多くの飼い主は、みずから恐ろしき猛獣を養い、これに日々わずかの残飯を与えているという理由だけにて、まったくこの猛獣に心をゆるし、エスやエスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員のごとく身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引っぱらせて大笑いしている図にいたっては、戦慄、眼を蓋わざるを得ないのである。


もし不意ふいにワンといってまれたら、どうするつもりだろう。
ぬしでさえむかもしれない猛獣もうじゅうを、はないにしておくとは、どんなものであろうか。
ぬしだからといって、絶対ぜったいまれないというのは、おろかな迷信めいしんにすぎない。あのおそろしいきばがある以上いじょうかならむにまっている。けっしてまないという保証ほしょう科学的かがくてき証明しょうめいできるはずはないのである。

不意に、わんといって喰いついたら、どうする気だろう。気をつけなければならぬ。飼い主でさえ、噛みつかれぬとは保証できがたい猛獣を、(飼い主だから、絶対に喰いつかれぬということは愚かな気のいい迷信にすぎない。あの恐ろしい牙のある以上、かならず噛む。けっして噛まないということは、科学的に証明できるはずはないのである)その猛獣を、放し飼いにして、往来をうろうろ徘徊させておくとは、どんなものであろうか。


去年きょねんあきわたし友人ゆうじんが、ついにこの猛獣もうじゅう被害ひがいにあった。
いたましい犠牲者ぎせいしゃである。

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