読書感想文に最適!5分で読める! ざっくり現代語訳 「赤いろうそくと人魚」 小川未明
一
人魚は、南の海にだけ棲んでいるわけではありません。
北の海の岩の上に女の人魚が休んでいました。
月の光が波を照らし、どっちを向いても波しか見えません。
「なんという、さびしい景色だろう。」と、人魚は思いました。
人間に似ている自分たちが魚や獣物と同じ海で暮すのはどういうことだと思いました。
長い年月の間、話をする相手もなく、明るい海にあこがれていました。
そして、人間の世界にも近づきたいと、思うようになりました。
人間はとても優しい生き物だとと聞いているので、これから産まれる我が子を人間の仲間にしたいと思いはじめました。
そこで人魚は、子供を陸の上に産み落とすことを決意しました。
海岸の神社の明かりに向かって、冷たい波の中を泳いぎました。
人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。
北方の海の色は、青ございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。
雲間からもれた月の光がさびしく、波の上を照らしていました。どちらを見ても限りない、ものすごい波が、うねうねと動いているのであります。
なんという、さびしい景色だろうと、人魚は思いました。自分たちは、人間とあまり姿は変わっていない。魚や、また底深い海の中に棲んでいる、気の荒い、いろいろな獣などとくらべたら、どれほど人間のほうに、心も姿も似ているかしれない。それだのに、自分たちは、やはり魚や、獣などといっしょに、冷たい、暗い、気の滅入そうな海の中に暮らさなければならないというのは、どうしたことだろうと思いました。
長い年月の間、話をする相手もなく、いつも明るい海の面をあこがれて、暮らしてきたことを思いますと、人魚はたまらなかったのであります。そして、月の明るく照らす晩に、海の面に浮かんで、岩の上に休んで、いろいろな空想にふけるのが常でありました。
「人間の住んでいる町は、美しいということだ。人間は、魚よりも、また獣よりも、人情があってやさしいと聞いている。私たちは、魚や獣の中に住んでいるが、もっと人間のほうに近いのだから、人間の中に入って暮らされないことはないだろう。」と、人魚は考えました。
その人魚は女でありました。そして妊娠でありました。……私たちは、もう長い間、このさびしい、話をするものもない、北の青い海の中で暮らしてきたのだから、もはや、明るい、にぎやかな国は望まないけれど、これから産まれる子供に、せめても、こんな悲しい、頼りない思いをさせたくないものだ。……
子供から別れて、独り、さびしく海の中に暮らすということは、このうえもない悲しいことだけれど、子供がどこにいても、しあわせに暮らしてくれたなら、私の喜びは、それにましたことはない。
人間は、この世界の中で、いちばんやさしいものだと聞いている。そして、かわいそうなものや、頼りないものは、けっしていじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。いったん手づけたなら、けっして、それを捨てないとも聞いている。幸い、私たちは、みんなよく顔が人間に似ているばかりでなく、胴から上は人間そのままなのであるから――魚や獣の世界でさえ、暮らされるところを思えば――人間の世界で暮らされないことはない。一度、人間が手に取り上げて育ててくれたら、きっと無慈悲に捨てることもあるまいと思われる。……
人魚は、そう思ったのでありました。
せめて、自分の子供だけは、にぎやかな、明るい、美しい町で育てて大きくしたいという情から、女の人魚は、子供を陸の上に産み落とそうとしたのであります。そうすれば、自分は、ふたたび我が子の顔を見ることはできぬかもしれないが、子供は人間の仲間入りをして、幸福に生活をすることができるであろうと思ったのです。
はるか、かなたには、海岸の小高い山にある、神社の燈火がちらちらと波間に見えていました。ある夜、女の人魚は、子供を産み落とすために、冷たい、暗い波の間を泳いで、陸の方に向かって近づいてきました。
二
海岸に小さな町があり、おじいさんとおばあさんがローソクを作って売って暮らしていました。
神社がある山に来る人たちは、ここのローソクを買っていきます。
ある夜、「私たちが、こうして暮していけるのも、みんな神さまのお蔭。この山にお宮がなかったら、ローソクは売ない。私たちは、ありがたいと思わなければなりません。」そうおばあさんが言うと、お山へお参りをしに上りました。
おばあさんはお参りの帰りに赤ん坊を見つけました。おばあさんは神さまからの授かりものだと思い、家に連れて帰りました。
おじいさんは、「それは、まさしく神さまからのお授かりものだから、大事に育てなければ罰が当る。」と言いました。
その子は女の子で、美しい顔をしていましたが、体の下は魚の形をしています。
「これは、人間の子ではないな……。」と、おじいさんは、赤ん坊を見て思いました。
「私も、そう思います。しかし人間の子でなくても、なんと、やさしい、かわいらしい顔の女の子ではありませんか。」と、おばあさんは言いました。
「いいとも、なんでもかまわない。神さまがお授けなさった子供だから、大事に育そだてよう。きっと大きくなったら、りこうな、いい子になるにちがいない。」と、おじいさんも言いました。
その日から二人は、その子を大切に育てました。
海岸に、小さな町がありました。町には、いろいろな店がありましたが、お宮のある山の下に、貧しげなろうそくをあきなっている店がありました。
その家には、年よりの夫婦が住んでいました。おじいさんがろうそくを造って、おばあさんが店で売っていたのであります。この町の人や、また付近の漁師がお宮へおまいりをするときに、この店に立ち寄って、ろうそくを買って山へ上りました。
山の上には、松の木が生えていました。その中にお宮がありました。海の方から吹いてくる風が、松のこずえに当たって、昼も、夜も、ゴーゴーと鳴っています。そして、毎晩のように、そのお宮にあがったろうそくの火影が、ちらちらと揺らめいているのが、遠い海の上から望まれたのであります。
ある夜のことでありました。おばあさんは、おじいさんに向かって、
「私たちが、こうして暮らしているのも、みんな神さまのお蔭だ。この山にお宮がなかったら、ろうそくは売れない。私どもは、ありがたいと思わなければなりません。そう思ったついでに、私は、これからお山へ上っておまいりをしてきましょう。」といいました。
「ほんとうに、おまえのいうとおりだ。私も毎日、神さまをありがたいと心ではお礼を申さない日はないが、つい用事にかまけて、たびたびお山へおまいりにゆきもしない。いいところへ気がつきなされた。私の分もよくお礼を申してきておくれ。」と、おじいさんは答えました。
おばあさんは、とぼとぼと家を出でかけました。月のいい晩で、昼間のように外は明るかったのであります。お宮へおまいりをして、おばあさんは山を降りてきますと、石段の下に、赤ん坊が泣いていました。
「かわいそうに、捨て子だが、だれがこんなところに捨てたのだろう。それにしても不思議なことは、おまいりの帰りに、私の目に止まるというのは、なにかの縁だろう。このままに見捨てていっては、神さまの罰が当たる。きっと神さまが、私たち夫婦に子供のないのを知って、お授けになったのだから、帰っておじいさんと相談をして育てましょう。」と、おばあさんは心の中でいって、赤ん坊を取り上げながら、
「おお、かわいそうに、かわいそうに。」といって、家へ抱いて帰りました。
おじいさんは、おばあさんの帰るのを待っていますと、おばあさんが、赤ん坊を抱いて帰ってきました。そして、一部始終をおばあさんは、おじいさんに話しますと、「それは、まさしく神さまのお授け子だから、大事にして育てなければ罰が当たる。」と、おじいさんも申しました。
二人は、その赤ん坊を育てることにしました。その子は女の子であったのです。そして胴から下のほうは、人間の姿でなく、魚の形をしていましたので、おじいさんも、おばあさんも、話に聞いている人魚にちがいないと思いました。
「これは、人間の子じゃあないが……。」と、おじいさんは、赤ん坊を見て頭を傾けました。
「私も、そう思います。しかし人間の子でなくても、なんと、やさしい、かわいらしい顔の女の子でありませんか。」と、おばあさんはいいました。
「いいとも、なんでもかまわない。神さまのお授けなさった子供だから、大事にして育てよう。きっと大きくなったら、りこうな、いい子になるにちがいない。」と、おじいさんも申しました。
その日から、二人は、その女の子を大事に育てました。大きくなるにつれて、黒目勝ちで、美しい頭髪の、肌の色のうす紅をした、おとなしいりこうな子となりました。
三
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