随筆(2020/7/22):痛みはQOLと作業効率を大幅に損なうので、我慢でも気分転換でも痛み止めでも治療でも何でも使う
この前は足を怪我して、ものすごくQOL(生活の質)と作業効率が低下しました。
これは、理学療法士の手によるちゃんとしたテーピングで、大幅に痛くなくなりました。QOLも作業効率も猛烈に回復しました。
正直、「あの無駄な痛み苦しみは何だったんだ」と心底思いましたね。こういうことで、やりたいことややるべきことがやれない、無駄な時間を過ごすの、まあガッカリしますよ。
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似たような話で、ここしばらく15年くらい、疲れきると神経が痛むんですよ。具体的には掌一面に針がグサグサーッと針山のように刺さったみたいなチクチクとした痛み。あれが本当に嫌で。
また、そうでなくても、神経疲労そのものがQOLも作業効率も大幅に削っているのが明らかで。
とはいえ、寝ても疲労回復が足りていない。このままではいつか、回復より消耗が上回り、いつか気力体力が枯渇し、詰む。そういう恐怖がありました。
ところが。これ、サウナと水風呂と休憩を何度か繰り返す、「ととのう」チャレンジで、なんと一度治ってしまったんですよ。
QOLも作業効率もメチャクチャ良くなりましたね。
正確には、昔は疲労感に対して鈍感になって作業をガーとやって、いつか体が本当に疲労しきってバテて、回復にべらぼうに時間がかかる。という、よく考えたらバカみたいなことをしていたのです。
が、今は、ちゃんと疲労感が強まったら、そこは体のシグナルとして重んじて、休む。ということを自然体で出来るようになりました。これが大事なんだよなあ。
確かに短距離走めいた突貫工事はこれでは難しくなるのですが、持久走が出来るようになった。というのはたいへん大きな芸の肥やしです。
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痛みや疲労感や疲労、みなさんつい我慢で乗り切れるような気がしていますが、そうとは限らない。
というか、我慢に頼りすぎると、ふつうに我慢以外の対策をすっ飛ばしてしまうので、気分転換や痛み止めや治療で対処すべきところをもすっ飛ばして、時間やQOLや作業効率を無駄にしてしまう。
何なら手遅れにしてしまうまである。後で振り返ったら
「俺は何というバカなことを! もう取り返しがつかないんだぞ! どうしてくれるんだ!」
という絶望に囚われる。これ、ものすごーく嫌なもんですよ。出来れば少しでも減らしたい。あればあるほど老後が濁る。
気分転換や痛み止めや治療が、コストのために出来ないから、苦痛は伴うが金のかからない我慢で切り抜けよう。という考え方は、確かに、ある。
でも、それは、稼ぎで何とか埋めていく方がいいですよ。これをすれば、少なくともQOLは戻り、作業効率も戻り、痛みも収まり、稼ぎでしばらくこれを続けられる。
これをせずに我慢してたら? 稼ぎのための作業効率を損なって、治療等はどんどん遠ざかり、低いQOLと作業効率で、現にある痛みに苦しんで行かなければならない。
コストを損なわないという話のみならず、稼いでライフサイクルを回す、というところまで考えると、後者をやるメリットはほぼなくなってしまう。
なので、本当にコストが払えない時以外は、我慢よりも、気分転換や痛み止めや治療の方が、ずっといいですよ。
(それに、たいていそういうコストは、国や団体の力に頼れば、何とでもなるものです)
痛いことには警告としての意味があり、それに対処するのにはQOLや作業効率上の価値がある。
それぞれを見失わないようにしましょう。
いじょうです。