随筆(2022/4/26):奇人変人不細工パワーで迫力を出して安全なオチをつけることで成り立つ笑いがある
1.ギャグの話
1.1.古谷実『僕といっしょ』雑感
(多分今日俺がこの記事で書くことは、分かっている人には「そこ今更言語化せなならんところか!?」と呆れ果てるような内容なのだが、まあ鼻で笑って読んでて下さい)
古谷実のギャグ漫画(だった。とわざわざいう理由は後述)『僕といっしょ』のことをふと思い出していた。
1.2.古谷実『僕といっしょ』あらすじ
母が死んで威嚇的な義父から逃げ出して家出からの上京をキメた無茶な兄・すぐ夫(右の方)と、兄に守護られてはいるがちゃんと守護られているとはおよそ言い難い小学生の弟・いく夫。
彼らは、東京のダメ人間・イトキン(左の方)や、エリートだが家出した美少年・カズキくんと一緒に、河原や空き家で生存を図るが、そんなことがそうそう続く訳もない。
数奇な縁の果てに、温かくかどうかはともかくベッドタウンに受け入れられた彼ら。
やはり温かくはどうかはともかくベッドタウンに受け入れられている様々な奇人変人たちと触れ合ったり、ダラダラ過ごす。
そのうち、すぐ夫のちょっとした英雄的行為によって、彼らの立ち位置も得ていく。が…(後述)
1.3.奇人変人不細工パワーからは凄まじい迫力が出る
こういうことを言うのも何なんだが、すぐ夫もイトキンも、世間的にはだいぶ不細工、とは言わんまでも、かなりユニークな顔立ちのやつらだ。
顔がゴツく、目が細く、唇に特徴がある。特にイトキンの唇には独特のうま味がある。
というか、イトキンは辮髪を採用しているので、さらに迫力がすごい。
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作中のギャグの基本形は、弟を守るためにハードボイルドマッチョ路線でやっていくが、客観的にはかなり鬱陶しい兄貴ムーブになってしまうすぐ夫の奇行と、たいていそれによってもたらされる小さな失敗の話になる。
あと、何かあるとシンナーですぐ人生のトラブルや課題から逃げるチンピラで、しかも当然こんな姿勢だからチンピラの中でも低カーストのイトキンのダメ人間っぷり。
そして、時々出てくるゲストキャラ、ベッドタウンに受け入れられている、ユニークな顔立ちの様々な奇人変人たちの奇行。
この辺が『僕といっしょ』におけるだいたいのギャグのリソースになる。
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平たく言うと、すぐ夫もイトキンも奇人変人たちも、その奇人変人不細工パワー、醜や滑稽ですさまじい迫力を出しているわけだ。
ギャグのパターンの一つと言える。
1.4.奇人変人不細工パワーの凄まじい迫力が安全だった場合、オチがつく
たいてい、彼らの奇行は、
「小さな失敗」
とか、さらには
「でも大きな破滅に落ちなくて良かった! あー怖かった! ふざけんな大きな破滅! バーカバーカ! あーホッとした。アッハッハッハ」
とかの形でオチがつく。
ヤンデレメンヘラ援交少女と同棲するが、結果的にやることはなく、しかも束縛が激しすぎるので破局してちょびっと刺されるが(小さな失敗とは言え、それ小さくなくないか)、別れ切るイトキンの話は、本人には本当に悪いが
「ウヒー! ヤンデレ、怖ー! でも大きな破滅に落ちなくて良かった! あー怖かった! ふざけんな大きな破滅! バーカバーカ! あーホッとした。アッハッハッハ」
と当時の俺は笑ってしまったところだ。
1.5.安全な着地点がなかった場合、凄まじい迫力は荒んだ後味をもたらす
で、中には安全な着地点がない事例も出てくる。
運動神経抜群でプロ野球を目指す(すぐ夫と野球の話でつながり、好意を持つ奇特な人でもある)イケメン美少女の妹。
そして、妹のサポート体制のあおりを食らって受験に失敗、数年間浪人していてメンタルがヤバくなっており、妹を溺愛しすぎてアウトな水準で手を出す兄が出てくる。
あの、こいつ(兄)、迫力は凄まじいよ。
でも、ずーっと一貫してヤバい(生理的嫌悪感もすごい)ので、ギャグというか、ざらりとした荒んだ後味が残ってしまうんですよ。困ったやつだった。
妹は、自分のプロ野球の将来のために兄の受験が崩壊したんで、兄に負い目はあるが、やはり兄に手を出されるのは耐えられないし、すぐ夫にすがるのは完全に理解できる(それを袖にしたすぐ夫、こいつよー…)
この兄妹のエピはだいぶ読んでてざらざらするので、「ちゃんと安全に着地しないとダメなのかもな」と痛感させられる。
落語家・二代目桂枝雀の『緊張の緩和理論』を考えると、やはり『僕といっしょ』もこれがうまくいってると笑えて、そうでないと笑えないことが多かったんだよな。
2.ギャグの話は終わり
2.1.(注意)終盤ネタバレ
で、ここからは終盤のネタバレです。よろしいですか。
『僕といっしょ』は、結局ホームランを打って英雄になったすぐ夫が、自分たちが居候先の生計を苦しくしていることを知り、いく夫を(ダメな兄である自分が世話するのではなく、信頼できる人たちである)居候先に託し、イトキンと共に再び家出する展開になるんです。
いろいろあり、大嫌いな義父の元にも戻るのですが、結局完全大喧嘩して、完全に路頭に迷うんです。そういうオチ。
笑えんよ! 哀愁としてはバチバチにキマってるけどさあ!
ギャグ見ているつもりが、ギャグじゃないオチになったの、そりゃあ当時は
「マジかよ!? ギャグ漫画じゃねーじゃん!? なんも納得いかんのやけど!?」
というモードになったんですよ。
2.2.その後の作品を見てると、そもそも古谷実の興味が、『緊張の緩和理論』のギャグより、それに使う素材である「人生の大きな破滅」の方にあったんだろうな
どうも、この終盤の展開といい、次の『グリーンヒル』といい、さらに次の『ヒミズ』といい、どうも古谷実の興味がもうギャグじゃなかったのではないか、という気は、読んでてしていました。
何かというと、『緊張の緩和理論』のうち、緊張、特によくモチーフにしている「人生の大きな破滅」の方に興味があったのではないかと思います。
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人生の大きな破滅への恐怖と無力感は、イトキンが時々直面して、苦しみ悶えていたのでした。
自分はおポンチである。人生、このままだと辛い事の方が多いだろう。
そんな人生だったら、そりゃあイヤだ。死ぬのももちろんイヤだが、このままずーっとイヤな人生を送るままである方が、ひょっとしたらよりイヤではないか。
もし、自分に有難い人生が訪れたとしても、自分はおポンチだから、それはいつか失われる。じゃあ本心から笑顔で受け取れる訳でもない。
(私は当時よりずうずうしくなったので、「有難い人生、有難く受け取って、感謝していればいいんじゃないでしょうか」と思いますが、それイトキンに言っても「ずーずーしー! ずーずーしーことゆーなーこの人さー!」と言われる気もするのだ)
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『グリーンヒル』では、無力感はもちろんありますが、無力な主人公がバイク仲間やそれ以外の奇人変人たちと共に開き直ってダラダラ過ごし、そんな中でやがて「人類最大にして最強の敵 "めんどくさい" にうち勝ち 立派な大人になりたいなぁ」と祈りのような指針を口にするところで終わるのです。
モラトリアムの果てに、ちゃんと道を目指せるから、肯定的と言えるでしょう。
(なんと、自分と所帯を持ってくれる人がいて、居候先のやっていた理容師を自分もやって、理容所を切り盛りしつつバイクダラダラ週末を過ごす、有難い人生を送っている、その後のイトキンというのも見られるのです。
まあまた小さな失敗をして大きな破滅をしかけるが、ちゃんと落とし前つけられてセーフだったからよしとしましょう)
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『ヒミズ』ではギャグ色を廃し、実際の人生の大きな破滅のカウントダウンの話になります。
ここで出てくる凄まじい奇人変人たちは、もはやギャグではなく、脅威ないし災厄として出てきます。
そして、オチはもちろん、人生の大きな破滅になる訳です。
「モラトリアムで再出発? 出来たらいいよね。出来ない罪(詰み)の場合はどうなる? 禊を受けて再出発させてくれる? それ、本当に「やれる」と思っているのか?」
そういう話をしたかったのだと思います。
古谷実は望月峯太郎のファンでもあり、彼の『ドラゴンヘッド』でも(大災害によるカタストロフももちろんだが、それに由来する)人生の大きな破滅はモチーフの一つであるので、そこが当時彼らの流れの中で、モチーフとして強く意識されていたのかもしれません。
3.とりあえず俺はいつかちゃんとギャグを書こう
破滅ものや哀愁にはもちろん興味があるのですが、書いてたり読んでたりすると辛くなるので、とりあえず俺はいつかちゃんとギャグを書こうと思います。
(今の俺のギャグセンスは、『胎界主』第二部の時のふざける力モードの凡蔵稀男くらいダメです)
そういう観点で『僕といっしょ』を振り返ると、いろいろ今更ながらに構造が見えてきたので、いい振り返りだったなと思いますね。
以上です。