![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79729614/rectangle_large_type_2_52b28cc36939e5499f396537872b03e0.jpeg?width=1200)
数学(2022/7/26):キューネン本2冊についての記事_17_FIN.『キューネン数学基礎論講義』第I章&『集合論』第I章の特色
1.『キューネン数学基礎論講義』第I章&『集合論』第I章の特色
1_1.論理学から数学を構成するためのロードマップ
さて、『キューネン数学基礎論講義』第I章&『集合論』第I章の記述に主に準拠し、長い長い、論理学から数学を構成するためのロードマップを見てきました。
細かい話をかなりしたので、分かりづらい、という方もいらっしゃるかと思います。
なので、大雑把なロードマップを、改めて示します。
これを見てから個別の記事を読むと、比較的まだ読みやすいのではないかと思います。
(なお、二重カギカッコは「キューネン本におけるZFC集合論の公理」であることを示すものです。)
***
1.
変数
→論理式
→集合論用の論理学における論理式
2.
(↓ここから『直観主義論理』を利用して構成する『(厳格な)数学的構成主義』を採用する)
集合論用の論理学における論理式
→『1.集合存在公理』『2.外延性公理』『3.置換公理図式』『4.内包公理図式』
→内包
→集合
→空集合
3.
集合論用の論理学における論理式
→『5.対公理』
『5.対公理』・空集合
→無順序対
→単元集合
→順序対
4.
集合論用の論理学における論理式
→『6.和集合公理』『7.冪集合公理』
『6.和集合公理』・『7.冪集合公理』・順序対
→(狭義の)直積
→(集合論的な)関係
→推移関係
→前順序関係
→半順序関係
→全順序関係
→整列順序
→整列可能集合
→順序数
→順序数としての自然数/有限順序数
→『8.無限公理』
5.
(↓ここから『背理法』等『古典論理』も利用して構成する『(緩い)数学的構成主義』を採用する)
『8.無限公理』
→数学的帰納法/通常帰納法
→順序数としての自然数全体の集合/omega-0
6.
(↓ここから『記号論理学の世界』)
順序数としての自然数全体の集合/omega-0
→アルファベット
→文字
→文字列
→文字列の連結
→形式言語
→記号化された論理式
→(述語記号と函数記号によって)拡大された記号化された論理式
7.
(↓ここから従来通りの「論理学から数学へ」の構成再開)
(述語記号と函数記号によって)拡大された記号化された論理式
→順序数全体の真クラス上の超限再帰
→超限再帰的函数(と呼びうるもの)
→特に順序数における同濃度
→基数でない順序数
→特に順序数における基数としての後続順序数
→基数としての自然数/有限基数/個数
8.
内包
→共通部分
→『9.基礎公理』『10.選択公理』(これでZFC集合論における公理は全て記述済)
『9.基礎公理』『10.選択公理』
→集合一般における濃度
→集合一般における基数
9.
基数としての自然数/有限基数/個数・集合一般における基数
→有限基数より大きい基数
→基数としての自然数全体の集合/aleph-0
→無限基数
→ある無限基数における整礎的集合一般
→ある無限基数における遺伝的集合全体の集合
→遺伝的有限集合全体の集合
10.
(↓ここから無限の数学的対象を扱うため『(緩い)数学的構成主義』を「超えた」議論をする)
遺伝的有限集合全体の集合
→証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界
→モデル理論
→数学
***
このようにして、論理学から数学が構成されます。
1_2.ZFC公理系がふつうのそれと異なるが、それには一定の利便性がある
キューネン本で紹介されるZFC集合論の公理は、10種類あります。
『1.集合存在公理』
「自らに等しいものが存在する」
『2.外延性公理』
「要素が全部同じである集まりは同等の集まりである」
『3.置換公理図式』
「ある集合の全ての要素を、特定の性質を持つ論理式で加工した成果物により、それら成果物を要素とした新しい集まりが作れる」
「ここで必要とされる特定の性質とは、その論理式が、本来出力される先である「特定の性質を持つ論理式で加工した成果物による集まり」を、あらかじめ使用していないことである」
「特定の性質さえ満たしてれば論理式は何でも良い」
「論理式が、本来出力される先である「特定の性質を持つ論理式で加工した成果物による集まり」をあらかじめ使用していたら、要請される特定の性質に反するため、置換公理図式は成り立たない」
『4.内包公理図式』
「特定の性質を持つ論理式を満たす要素のみを全て集めたクラスがある」
「ここで必要とされる特定の性質とは、その論理式が、本来構成される先であるクラスを、あらかじめ使用していないことである」
「特定の性質さえ満たしてれば論理式は何でも良い」
「論理式が、本来構成される先であるクラスをあらかじめ使用していたら、要請される特定の性質に反するため、ないほう公理図式は成り立たない」
『5.対公理』
「要素 x と要素 y (x=yでもx≠yでもいい)のみを持つ集合が存在する」
『6.和集合公理』
「集合 X の要素の要素全体の集合が存在する」
『7.冪集合公理』
「集合 X の部分集合全体の集合が存在する」
『8.無限公理』
「全ての「後者函数を適用する前の順序数」およびその「後者函数を適用した後の後続順序数」を所属させる集合が存在する」
「なおこの集合は空集合すなわち「順序数0」も所属させている」
『9.基礎公理』
「ある集合が別の集合に所属しているとき、ある集合の要素と別の集合の要素は共通部分をなさない」
『10.選択公理』
「空集合でない商集合に所属する、全ての空集合でない同値類の、要素として存在する代表要素から、新たな集まり(『選択集合』)を作れる」
***
注意すべきは『1.集合存在公理』と『4.内包公理図式』です。
世間的なZFC集合論では、『1.集合存在公理』は当たり前なので、特に言及されていません。
また、ZFC集合論の "Z" に当たる数学者ツェルメロ由来の『4.内包公理図式』は、"F" に当たる数学者フレンケル由来の『3.置換公理図式』で代替されるので、ふつう世間的には特に言及されていません。
キューネン本では両方採用されています。
***
また、逆に、世間的なZFC集合論では採用されているが、キューネン本では採用されていない公理もあります。
『X.空集合公理』
「要素を持たない集合が存在する」
キューネン本では、空集合を定義する方法は、空集合公理ではなく、集合存在公理・内包公理図式に準拠しています。
そのため、空集合公理は特に採用していないのかもしれません。
(ただ、個人的には
「置換公理図式の明示にかかわらず内包公理図式を採用しているのであれば、集合存在公理・内包公理図式の明示にかかわらず空集合公理を採用しているのが筋というものではないのか?」
と感じます。)
1_3.ZFC以外の集合論(素朴集合論・NBG・MK・NF)の説明がある
また、特にキューネン集合論では、集合論のデファクトスタンダードであるZFC集合論の他に、草創期の素朴集合論、より広い範囲を扱えるNBG集合論およびMK集合論、そして代替案であるNF集合論の紹介が(触り程度ながらも)あるのが、独自性があって面白いところです。
***
素朴集合論は、
『A.素朴内包公理図式』
「特定の性質を持つ論理式を満たす要素のみを全て集めた集まりがある(これを『クラス』と呼ぶ)」
というものを採用しているのが大きな特徴です。
こういうものがあると便利なのですが、このままでは矛盾をもたらす論理式をも許容してしまうため(ラッセルのパラドックスが典型的な例ですね)、そのようなクラスは使い物になりません。
このため、より安全に、似た効果をもたらすために、ツェルメロは内包公理図式をもって素朴内包公理図式を代替し、そしてそれはさらにフレンケルの置換公理図式に代替されたのでした。
***
MK集合論は、
『B.クラス内包公理図式』
「素朴内包公理図式でいうクラスは、存在する」
というものを採用しているのが大きな特徴です。
「それは存在するが、いわゆる集合ではない。
また、いわゆる集合についての論理式について、クラスのレベルで持ってきて、それで矛盾したとしても、それは
「だからこれはいわゆる集合でないクラスである」
という意味でしかない」
という態度を取ります。
(だから「いわゆる集合についての論理式」によるラッセルのパラドックスは、MK集合論では
「これはいわゆる集合ではない。クラスだ」
ということで処理されます。)
***
NBG集合論は、
『C.述語クラス内包公理図式』
「ある変数がある論理式の条件に従い、その変数が複数の集合で使われるものである場合、その変数全体のクラスを存在するものとして扱う。(これは『真クラス』の存在を保証するものである)」
というものを採用しているのが大きな特徴です。
こうして構成された真クラスは、定義から分かるように、集合よりもある意味で大きいものになります。
なお、集合および真クラスでない、ただのクラスについては、NBG集合論では認めていないことに注意が必要です。
***
いわゆる集合のようなもので、一番ゆるく取った「集まり」には、
実際には集合としても真クラスとしてもクラスとしても保証されていない、素朴集合論で想定していた集合もどき、実際には「集まり」と、
論理式で指定される集まりであり、集合にも真クラスにも該当しない、MK集合論で想定する「クラス」と、
ZFC集合論の一部の公理によって保証される「いわゆる集合」と、
集合よりある意味で大きく、集合として扱えない、NBG集合論によって保証される「真クラス」と、
だいたい4つに分かれていると考えればよいかと思います。
素朴集合論は結果的に4つとも容認するし、
MK集合論はクラス・集合・真クラスを扱うし、
NBG集合論は集合・真クラスを扱うし、
ZFC集合論は集合しか扱わない
という認識です。
キューネン本では
「NBG集合論やMK集合論を採用すると便利だが、煩雑にもなる。
ZFC集合論には集合しか扱えない制約があるが、シンプルであるので、この本ではそうする」
という姿勢であり、NBG集合論やMK集合論は全体としては肯定的に扱われているように見えます。
***
NF集合論は、「集合でない」、特に「『空集合』でない」、「真の要素」、『原要素』を想定します。
そして、これと整合的であるようにするために、基礎公理は採用されていません。
これは「ものの集まり」という、素朴集合論にも似た直感的なイメージに合致するのです。
が、実際には数学を構築する際に問題があります。
少なくとも、『空集合』から出発する『所属による推移的集合』の話は書き直しになり、だから『整列順序』や『順序数』や『自然数』が書き直しになります。かなり深刻な影響と言えます。
また同じ理由で『所属による整礎的集合』も書き直しなのです。これはZFC集合論や数学の立場からすると『いわゆる集合』と同一視できたはずなのですが、NF集合論を採用するとここに正に「そのような同一視は成り立たない」という形で影響があるので、数学の構成の際に深刻な影響が出ます。
そこまでしてNF集合論を徹底する価値があるか。
どうもそこはあまり期待されていないように見えます。
少なくともキューネン本ではあまり評価されてはいません。
1_4.定義等の構成と証明は別物と考えることに一定の利便性がある
論理学から数学を作るという話から
「なんかシンプルに直接構成するのかな。どうやって? そこは大いに興味がある」
と最初は思っていたのですが、そのうちどうもそういう単純な話ではないことが分かってきます。
ポイントとしては、
論理学、特に直観主義論理から、順序数としての自然数を構成する
論理学、特に古典論理と、順序数としての自然数から、順序数としての自然数全体の集合を構成する
順序数としての自然数全体の集合から、記号論理学の世界の一環として、形式言語を構成する
形式言語から、記号論理学における論理式、ひいては集合論用の記号論理学における論理式を構成する
集合論用の記号論理学における論理式から、(緩い)数学的構成主義の考える有限の数学的対象の世界、遺伝的有限集合全体の集合を構成する
記号論理学における論理式から構成された形式的演繹と、遺伝的有限集合全体の集合から、証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界を全て構成する
証明によって正当化されたZFC集合論によって構成可能な世界からモデル理論を構成する
モデル理論をもって既存の数学を全て構成する
1から2までは、シンプルに「初等的な論理学によって初等的な数学を作る」と言えます。
3から4までは、「初等的な数学によって中等的な論理学(の一種)、記号論理学を作る」となります。
5から6までは、「中等的な記号論理学によって中等的な数学を作る」。
7は「中等的な数学から高等的な論理学(の一種)、モデル理論を作る」。
8で「高等的なモデル理論から高等的な既存の数学を作る」。
ということで、論理学と数学との間で3回ジグザグのある構成となります。
(キューネン基礎論第III章2節では、中等的な記号論理学と高等的なモデル理論に着目して、
「フォーマルな論理の展開は二度なされねばならない」
という言い方をしています。
これは、初等的な論理学はインフォーマルな論理の展開だから、フォーマルな論理から除外されているのです。
うっかりすると
「論理学は2回使用する局面があり、3回ではない」
と読めるのですが、実際にはそういうことではなく、インフォーマルな初等的な論理学は最初から使うので、そこは少し気を付けて下さい。)
***
また、1.から5.までと6の間に大きな質的差異があることにも気を付けて下さい。
1.から5.までは形式的演繹が基本的には必要ないか、そもそもまだ定義されていません。
つまり、
「論理学に従って構成はしているが、構成された数学的対象や、数学的対象の世界が、論理的に動作するかは、実は保証されていない」
のです。
形式的演繹は、
「初等的な論理学によって作られた初等的な数学によって作られた中等的な記号論理学の重要な中間成果物」
であり、
「初等的な論理学にできるさまざまなこと、たとえば論理学というもののある種の骨子ともいえる演繹が、初等的な数学の世界で模倣しきれることを表すもの」
です。
こうした形式的演繹は、中等的な記号論理学の精髄にして、高等的なモデル理論の入口とも言えます。
(そういう意味では、上の1.から8.までの流れにおいては、傍流にあるものです。しかし重要な傍流です。)
形式的演繹のおかげで、初等的な論理学は初等的な数学の世界「においても」実用可能であることが保証され、ある意味で正当化されます。
また、形式的演繹によって初等的・中等的な数学の世界「を」正当化することもできます。
論理学がある意味で正当化されたように、数学の方もある意味で正当化されるのです。
この2つこそが6.の意義です。
だから、7.から8.までは
「正当化された論理学と正当化された数学で、正当なモデル理論、さらには正当な数学を構成する」
プロセスになります。
正当化されているということは、使用の際の信頼性が極めて高い、ということでもあります。
(そういう意味では1.から6.までは
「本当にこれは信頼できるのか」
という不安が、実は伴います。
しかし、6.の時点で、ちゃんと信頼できることが分かるので、これは大きな安心をもたらします。)
1_5.こういう目的で読もうという方にオススメ
ケネス・キューネン『キューネン数学基礎論講義』及び『集合論』は、こういう目的で読もうという方にオススメです。
数学の基礎となる数学基礎論において、ある種のデファクトスタンダードの基礎的な道具である、ZFC集合論について知見を増やしたい
論理学と数学の関係が分かるようで分からないので、もうちょっと解きほぐして地図のように俯瞰的に把握したい
ZFC集合論の公理のバリエーションや、ZFC集合論以外の集合論についても、少し知りたい
論理学の発展形の一ジャンル、モデル理論についてもおそらく詳しく書いてあるようなので、そこのところについても知りたい(証明論についてはそこまで重点は置かれていないようなので、そこは注意して下さい)
ただ、時間はかなりかかります。
私のように、定職を持っていて、一応よほどのことがなければ定時で自宅に帰れて、土日出勤もそこまではない人が、ある程度数学の本を読んだ状態で立ち向かったとします。
それで、『キューネン数学基礎論講義』の方は全体約360頁につき約120頁、『集合論』の方は全体約400頁につき約60頁、計760頁につき180頁です。1/4未満の進捗ですね。
これが2022年1月から6月まで、約半年です。おそらく、このままではあと1年半、全部で2年かかります。割と大変になってきます。
それでも私は読みますが、
「皆様もぜひやっていきましょう」
とはちょっと言えないところです。
それでも、上の目的について、
「解かれていない問題のせいで頭の中がムズムズしてしょうがない。解明してスッキリしたい」
方は、ぜひやっていきましょう。
ちゃんと挑戦すれば、ちゃんと体系的な数学基礎論と集合論の知見が得られる、非常に良い本です。おすすめします。
2.一連の記事終了のご挨拶
さて、今回の長い長い記事が、ようやく終わりました。
読みづらい、目が滑る、眠たいところも多々あったでしょうが、そこは申し訳ありません。今後とも精進します。
ここまでご覧下さった皆様には、誠にありがとうございました。
次回からはまた、日常生活の記事や、思いついた色々な随筆の記事に戻ります。
よろしくお願いいたします。
(終わり)
いいなと思ったら応援しよう!
![犬神工房](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14978223/profile_d3bb7da40906074da027a7aae4df1286.png?width=600&crop=1:1,smart)