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随筆(2020/8/11):公正と正義と法を、単純な直線上に並べられるが如く扱うの、納得いかない(3終)尊重される地位としての人権や、暴行陵虐や虐殺を忌避するケアは、公正関連概念とはだいぶ距離がある

3.3.尊重される地位としての人権すらも、報復の公正とは整合的ではない

こういう風に、公正関連概念は、
日本国憲法の形式的核心である法の下の平等(14条)や、
日本国行政法(特に行政手続法)や、
日本国刑法デュープロセス(適正手続)や、
日本国民法(特に債権編
で効いてくる。

で、これは特に法の形式面に効くが、法の目的面には効きづらい。
効くとしたら
「その法は特に公正関連概念が重い状況で効く法だから」
であり、世の中にはそれ以外が重い状況もかなりある。福祉等社会保障制度も、自由も、もちろんそうだ。

***

そして、他にも、法で守るべき価値がある。
というか、特にこれが「要」とすら言える。
何か。

尊重される地位としての、人権だ。

「これこれは保障されていなければならない。この人は、人であるがゆえに、その地位を持ち、それは尊重されねばならない」
という話は、もっともな話である。
ここから、自由を保障された地位も、人であるがゆえに約束された、全人類に平等な地位も、生じてくるのだ。非常に大事なポイントだ。

***

だが、これは、
「こいつは人と見なさなくてよいので、人に行うべき保障は、こいつにおいては損なわれてよい」
ということと、極めて相性が悪い。
ここは、まあ、分かるでしょう。

で、ここで、直感的にはぎょっとするような事態が発生する。

a2.(補償や賠償や罰における)報復の公正

他者からもたらされた、何らかの(広義の)損害について、損害に対する補償や賠償や罰の比率が非負であること。
「ノシつけて返させる」等。

***

「は? いきなり何だ?」
と思われるかも知れない。

公正の中には、こういうものも、例として挙げることが可能である。
これを見て、

「そりゃあ、ひどいことをして、補償も賠償も払わなければ、罰もない、そんなの、公正とは思えないな。
こういう類いの公正、あるよな」

と思う人、かなりいるだろう。

***

で、何が言いたいかと言うと、要するに、
「尊重される地位としての人権は、報復の公正を、損なうこと甚だしいし、逆もまた真なり」
ということだ。

「悪人を罰する権利は、当事者や関係者ではなく、司法が掌握している。
しかも、憲法の制約下で、刑法に書いてある範囲内を越えて、罰することは出来ない。
これを越えて罰すると、暴行陵虐であり、人権蹂躙である」

と、こうなる。

悪人にも人権がある。
人間扱いしないことで、これを回避しようとした場合、これは罰する側もまた、邪悪である。
ということになってしまうんですね。

***

これは、さっきも言ったように、ふつう直感に反する。
が、なぜそうかというと、「報復の公正」にそぐわないからで、それ以外に理由はない。
で、「尊重される地位としての人権」のことを考えると、上でも書いたような話は避けられない。

3.4.ちなみに、暴行陵虐や虐殺を忌避するケアも、報復の公正とは整合的ではない

「こいつは人じゃない」
というのは、
「罪があり、罰したいから、それを妨げる理由をなくしたい」
からだろう。

まあ、分かるよ。
損害の補償や賠償をされない、毟られ続ける。というの、私だって嫌だし。
罪に対する罰が為されない。というのは、まあ非常に不公正に思える。

こんなことをすると、盗人や搾取者や加害者がのさばって、場はメチャクチャにされる。
これは、司法関連が強ければ、警察が根こそぎ逮捕してくれる。治安は良くなる。
そうでないなら、警察は根こそぎは逮捕できないから、治安は悪いままになる。
警察がやらないなら、やはり私刑や報復は、治安のために必要だ。
その結果、治安はどうしても一定以上改善しないが、しないよりはましだ。
そういう話が、勝手に自動的にポップアップしてくる。

***

で、ここからは報復の公正デメリットの話だ。
報復の公正は、公正が一般的にそうであるように、エスカレートするものだ。
「ノシつけて返さなければ、しこりのように、借りが残る」

んですよ。

ネイティブアメリカンの、とある複数の部族社会・首長制社会間で行われていた、財のプレゼントを巡る威圧的な大祭、ポトラッチのことを、ちょっと思い出してしまいます。
あれは、究極的に、財を破壊することで、
「俺は財など求めてはおらぬし、お前から受け取ったものによる負い目などというものはない」
示威出来る。という、ケアと公正と権威、そして浪費のグルグル渦巻く、だいぶ辛そうな外交に発展していたのでした。

***

そして、公正の話をもう一つすると、
「『ノシをつけられすぎて、過度に損をさせられている』と思った側は、『その分取り返させてもらう』と反撃を行う」
んですね。公正は、量にせよ比率にせよ指数にせよ、数の話を含意するからです。

当然、報復の公正でも、そうなる。
「ここまでされる謂れはない。やりすぎた分は贖ってもらう」
こういう理屈、よくあるやつでしょう。

***

で、いつか、自分自身が、
ここまでされる謂れはない。やりすぎた分は贖ってもらう
という人たちの手によって、こういう目に遭うことは、避けられなくなるだろう。

そんなことを考えたら、これをこっちから無限にやっていくしかなくなる。

敵は全部殺すんだ 盟友(とも)よそれで一時安心だ
けれど味方も敵になるんだ ならば先手打って殺すんだ
しかし敵は無くならないんだ だから怯えながら暮らすんだ
されどそれを繰り返すだけだ それが幸せを掴む途だ
間違ってる そんな論理は 間違ってるんだ
この世界を 売ろうとしてる 奴らがいるんだ
気付くべきだ 気付いたなら 戦うべきだ
たった一羽 時風(かぜ)に向かう 白鴉のように
(Sound Horizon "Chronicle 2nd"『黒の予言書』)

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(「クソ教団が世界を売ってなくても、報復の公正が脳に埋まっていて、これをやめない限り、やはり君らはそうしてただろうよ。今更何言ってやがる」
という気持ちは、まあなくはないが、それは主題ではないので、その話はやめる)

***

んで、こういうことをやればやるほど、
「人とは、暴行陵虐の対象となることがふつうにありうる、血の詰まった肉袋である」
という酷薄なものの見方から離れられなくなる。
生物学的にはリアルかもしれないが、社会生活を送る上では、こんなやつと一緒にやっていくの、そりゃあ嫌ですよ。メチャクチャストレスフルですよ。

******

そんな訳で、最終的には、対外的にはこれになる。

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下を拷問していた上に向かっては? これです。スカッとするでしょ?

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つまり、この時点で、下は当然に拷問されていたことになる。
つまり? 最悪これですよね。スカッとするかい?

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もはやこの期に及んでは、報復の公正すら関係なくなっている。
だが、いったん、人が人を、人権のない血の詰まった肉袋として認識するようになったら、こうなるのは当然避けられない。
「誰か」は、血の詰まった肉袋としての「別の誰か」で、謝肉祭めいて面白半分に遊ぶようになる。
何でやらないと思った?
少なくとも、やらない理由のうち、「同じ人だから」というのが、機能してないんだぞ?

これが、報復の公正の、少なくとも「帰結」です。
最悪の場合、何ならこれが、「目的」ですらあるでしょう。
(そこまでムゴイ状況を考えたくないが、公正な裁きが刑罰に反映されるのなら、そりゃあノシのついた厳罰が目的(end)でなかったら嘘だろう
どうやら、これ、腸が煮えくり返るほど超楽しく、また澱が抜けるようにスカッと気分爽快になるらしいんですよね。(ええー…)

***

公正では、暴行陵虐は止められない。虐殺も止められない。
むしろ、それを正当化し、大いに後押しするだろう。
治安? メチャクチャになるに決まってる。

***

そんな状況で、危害を防げるか? 無理でしょ?
人のためのサービスを推奨し、危害を忌避する、ケア倫理があると、上の話は、これに真っ向から抵触する。

「ケアは公正に比べたらどうでもよい。
そうなった場合、報復による虐殺を非難する理屈は成り立たない」

とまで言えれば、それはそれで大したものだが…(俺は当然こんなもん御免被るよ)

そうじゃない?
「公正以外にもケアは重要であり、どうにかして採用する」?
まあそうだろうね。そういうことは実践上は強く要請されてくるだろう。

じゃあ、

「ケアのことを、きちんと明記しろや。
そちらはケアのことなんかどうだっていいんだろうが、実践上はそうはいかないんだからな」

とは、そりゃあ、まあ、なりますよ。当たり前じゃん…

3.5.少なくとも、日本国憲法の実質的な目的は、公正というよりも、まずは自由や人権である

報復の公正を野放しにすると、罰しすぎるから、結局殺し合いになるし、治安も悪くなる。
は、「尊重される地位を持った人」ではなく、「血の詰まった肉袋という物体」になる。
報復の公正の野放し、ダメなんですよ。司法関連に任せよう。

憲法の刑法に関する部分や、刑法そのものは、私刑報復を、禁じている。
それには、こういう側面も、ある。

***

人権、有難みが一見分からないが、一見有難みの強い報復の公正が、後々猛烈な悪影響を及ぼすことを考えると、かなり大事な話になってくることが分かってくる。

「公正以外にも人権は重要であり、どうにかして採用する」?
まあそうだろうね。そういうことは実践上は強く要請されてくるだろう。

じゃあ、

「人権のことを、きちんと明記しろや。
そちらは人権のことなんかどうだっていいんだろうが、実践上はそうはいかないんだからな」

とは、そりゃあ、まあ、なりますよ。当たり前じゃん…

そういうことなんですよ。並みいる価値観の中で、公正だけが法の要ではない。
むしろ、公正ではないところにこそ、法の要がある。そこは押さえておかなきゃならんところでしょう。

***

特に、日本国憲法実質的な目的である、幸福追求権・個人の尊重13条は、自由(尊重される地位としての)人権と親和性が強く、公正関連概念とはかなり距離のある価値観だ。
これら抜きで、公正関連概念と親和性の強い、法の下の平等14条や、その他のいろいろの条文「だけ」で作る日本国憲法、自由も人権も究極的には守らないぞ。当たり前だが。
私も、公僕の端くれとして、「それでいい」とは口が避けても言いたくないのだが…

4.公正と正義と法を、単純な直線上に並べられるが如く扱うの、納得いかない

だから、正直に言うが、
「公正を含まない法は有害(かつその他の価値観については記述がない)」
という話、
「その他の価値観については記述がない立法観、真剣に恐ろしい」
としか言えないんですよ…

そんなわけで、公正正義はともかく、これらとを、単純な直線上に並べられるが如く扱うの、納得いかない。
それは、社会保障制度や、自由や、(尊重される地位としての)人権や、(暴行陵虐や虐殺を忌避する)ケアとはかなり違う。
また、これらの整合的な両立のためには、かなり多種多様な接着剤概念が要る。
そんな営みの中で、あえて「公正だけ特筆する」という姿勢、何も分からない…

そんな訳で、あまり、公正だけに、頼らない方がいいですよ。

(いじょうです)

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