数学系(2024/2/26):数列の極限と関数の極限から、いろんなことが分かってきたぞエウレカ
1.16歳、挫折の秋(とき)と、社会人数学独学者の落とし前
高校数学で数学IIIという教科があり、概ねいわゆる微積分に関するジャンルです。
私はあらかじめ何度見てもサッパリ分からない苦手な概念があり、数学III(と、あと他に物理も苦手だったので理系への進学)を断念した記憶があります。
何が分からなかったのか?
いわゆる「数列の極限」と「関数の極限」というやつです。
数列や関数がある数値に近づくとき、この「ある数値に近づくこと」を「収束」と呼び、「近づく先の数値」を「極限」と呼ぶのでした。
で、極限に近づく「何か」については、数学IIIでは実は2つやります。「数列」と「関数」です。
さて、人によってはこう首を捻るかも知れません。
「数列と関数の間にどのような関係があるのか。
片方が片方より複雑な概念なのか?
同じ起源を持つ別の何かで、元々はその起源の性質なのか?
それともかなりかけ離れたものなのに、この性質だけ共通で持ってるのか?」
他ならぬ私が、ここに引っかかってしまいました。
数学で困るのが、
「分からない概念をたくさん覚えることになり、しかもそれらが知ってる概念とまるで結びつかない」
時です。
私はここで
「数列も、関数も、数列の極限も、関数の極限も、何も分からん」
となり、数学IIIを断念してしまいました。確か16歳の時です。
***
そして、社会人になってから、様々な経緯により、数学の独学をするようになり、いろんなことが分かってきました。
これはその(遅い)気付きの記録です。
2.キーワードいろいろ
この記事で本当に必要なキーワードは2.5.「数列」と2.6.「実関数」だけなのですが、関係のあるキーワードも載せます。
あらかじめ言うこととして、2.4.「関数(一般)」と2.6.「実関数」を区別します。
「関数の極限」における「関数」とは、基本的には「実関数」のことであり、「関数(一般)」のことではないからです(重要)。
また、「極限」の話は、おそろしく面倒なので宿題とします(後述)。
2.1.集合
数学をやっている人たちがよく口にしますが、数学上のキーワードはほとんど全て、集合という概念から作られます。
集合とは何かというと、極めて雑に言うと「何かを中に持てる別の何か」です。
つまり、外の何かのことを集合と呼びます。
また、何らかの中身が集合の中に入っていることを所属と呼び、
その中身の何かのことを、元とか要素とか呼びます。
細かい話は抜きに、ざっくりと想像できればそれで結構です。
2.2.写像
さて、ある集合の要素から別の集合の要素へ対応付けることをしたくなることがあります。
「から」、つまりは入力側に見立てた集合を「定義域」と呼び、「へ」、つまりは出力側に見立てた集合を「値域」と呼びます。
(適正なボタンを押したら、コーヒーや紅茶やジュースが出てくるとか、パンチやキックやショットやボムが発動するとか、そういうのであって欲しい訳です)
さらにもう少し狭く、出力は特定のもの「だけ」であって欲しい、というニーズがあります。
この特定の出力(即ち値域の要素)のことを「像」と呼びます。
(上のたとえでいうと、適正なボタンを押したら、ショット「だけ」、ボム「だけ」が出るとなお有難い、ということですね。
シューティングゲームで、弱いが無限に撃てるショットと、強いが数が限られるボムが、ボタン1つで同時に出たら、超困ります。
ボムは要所要所のみで使い、それまでは温存したいのです。
ボスまで行く前に序盤で枯渇したら、およそやってられないプレイヤーも多いでしょう。
ゲームセンターの店員かゲーム会社に苦情が行くやつです)
そんな訳で、この集合と集合、要素と要素の、狭い対応付けを「写像」と呼びます。
これは実は先ほど説明した関係の一種です。要素の重要度が、定義域側ではなく値域側に極端に偏っていることが大きな特徴です。
細かい話は抜きに、ざっくりと想像できればそれで結構です。
2.3.列
さて、数学では列を扱うことがあります。
数列、点列、文字列などです。
これら三つは中身が違いますが、列という性質は同じです。
では、列とは何か?
列とは実は
「定義域が自然数の集合または自然数全体の集合であり、値域が何らかの集合であるような、写像の集合」
です。
そうは思えないというか、むしろ何でそうなるか理解に苦しむかも知れませんが、ここで説明を試みます。
列の記法は通常 { x1, x2, … , xn } または { x1, x2, … , xn, … } という形式を取ります。
何が言いたいかというと、非常に素朴な言い方になりますが、
「変数の添数に使われている自然数から、添数付き変数が表す数学的対象への、写像の集合こそが、列である」
ということです。
添数がnで終わる場合は自然数の集合 ( 1, 2, … , n ) が定義域となり、nの後も無限に続く場合は自然数全体の集合 ( 1, 2, … , n, … ) が定義域となります。
像に当たる、添数付き変数が表す数学的対象は、場合によって集合や点や数となる訳です。
そうなると、値域に当たるものは、像である数学的対象の集合ということになります。
この場合、写像としての列は、定義域「にも」重きを置いている、ということでもあります。
2.4.関数(一般)
さて、一般の関数の話をします。
一般、というのは、「関数の極限」における「関数」とは、一般の関数ではなく、後で言う「実関数」というものになるからです。
ということで、先程も述べましたが、「関数」と「実関数」を区別します。
(また、流派によっては「写像」と「関数」を区別しませんが、区別する流派に則ってこの記事を書きます)
上記の流派の言い方では、関数とは、
「像が数であり、値域が数の集合である写像」
のことです。
こちらは値域の比重が「非常に大きい」写像だと言ってよいでしょう。
(数については、とりあえず一番ゆるいとされている数の定義である「順序数」で良いことにします。
順序数は、自然数を包含しつつも、もっと野放図に大きい範囲を持つものです。
逆に言えば、順序数のうちある範囲内のみに限ったものが自然数であるとも言えます。)
2.5.(重要)数列
ここからが本題です。
数列の極限における数列とは何か。
これがなんと、
「定義域が自然数の集合または自然数全体の集合であり、ふつう値域が実数全体の集合である、写像の集合」
となります。
つまり、列と関数の性質を兼ねたものになります。
まさかそんなものであるとは思いもよらなかったかも知れませんが、当の私もかなりびっくりしています。
定義域については、列で説明した通りです。
値域については、高校数学で数列の極限をやる場合、最も複雑な場合でも実数にとどまるであろう、という趣旨です。
大学でどうなるかは存じません。高校生時代にやる一番複雑な数、複素数を使うかも知れないし(たぶんこうなると複素関数論や複素解析の世界なのでしょう)、もっと複雑な数を使うこともあるかもしれないのですが、私はまだ詳しくありません。
2.6.(重要)実関数
実関数は関数ですが、特に
「定義域が実数全体の集合であり、値域が実数全体の集合である、写像」
のことです。
何らかの列と呼ぶときは、定義域の個々の要素は自然数なので、それが実数になってしまった実関数はもはや列ですらありません。
3.要するに、実関数は数列より複雑な概念であった
ここから、私が数十年気付かなかった知見がもたらされます。
自然数より実数の方が複雑な構成物であるため、
「実関数は数列(より正確には数列の要素)より複雑な概念である」
と考えて差し支えありません。
まさかそんなものであるとは思いもよらなかったかも知れませんが、当の私もかなりびっくりしています。
これがここ一か月で急に舞い降りて来た理解です。
「エウレカ!」
と言いたくなりますが、同時に
「遅い遅い遅い。今更何だ」
という気持ちにも否応なしになってしまいますね。
4.宿題としての収束と極限
私の気付きの主なポイントは
「列とは、定義域が自然数の集合または自然数全体の集合であり、値域が何らかの集合であるような、写像の集合のこと」
「数列とは、定義域が自然数の集合または自然数全体の集合であり、ふつう値域が実数全体の集合である、写像の集合のこと」
「実関数とは、定義域が実数全体の集合であり、値域が実数全体の集合である、写像のこと」
これらになります。
そして、これらが書けたので、ひとまず満足といったところです。
***
さて、「数列の極限」「関数の極限」のうち、「極限」の方については、こちらはまだちゃんと分かっていないのです。
4.1.部分集合族の収束と、冪集合のフィルターの収束
(注:これについては、とあるWEB記事を読んで知ったことですので、今読んでる記事を読み終えたら是非以下の記事をお読み下さい)
手短にキーワードを追加します。
部分集合とは、ある集合の要素のいくつかのみを所属させている「小さな集合」のことです(我々の言う「部分」という言葉とほぼ対応しているような数学的対象だと考えて下さい)。
集合族とは集合の集合のことです。
部分集合族とは部分集合の集合のことです。
他にもありますが、おそろしく煩雑になるので省略します。
***
収束するものとして、実は第3の「部分集合族の収束」と、その特殊な例である第4の「冪集合のフィルターの収束」というものがあるのです。
これらはある集合の要素を極限として見たものです。
この集合の要素はその集合の非常に特殊な部分集合、近傍にも所属しており、これこそがこの集合の要素を極限にする条件そのものです。
そして、他の部分集合とその部分集合族を考えます。
この部分集合族の要素、つまり他の部分集合のどれかが、ある集合の要素の近傍の部分集合でもあった場合、
「部分集合族が集合の要素に収束する」
と呼びます。
***
「冪集合のフィルターの収束」の場合、部分集合族として、特殊な部分集合族、冪集合のフィルターというものを使うところが違います。
近傍全体の集合、近傍系は、とある理由により特殊な冪集合のフィルターでもあるため、有用な概念です。
(部分集合族→冪集合のフィルター→近傍系の順で特殊になっていきます)
***
収束とは
「近づくこと」
でしたが、これは強いて言えば
「数学的に定義された近いところ、近傍の内側に、常についていけていること」
という説明になります。
この場合、もはや主体は数列や実関数ではなく部分集合族または冪集合のフィルターであり、目的も数ではなく集合の要素なのですね。
4.2.点列の収束
これに酷似したパターンとして、第5の「点列の収束」があります。
これは全ての近傍に対し、部分集合ではなく要素が、包含されているのではなく所属しております。
これでやはり
「数学的に定義された近いところ、近傍の内側に、常についていけていること」
を実現しているのですね。
この場合、もはや主体は数列や実関数ではなく、部分集合族でもなく、集合の要素の集合(これは本来の集合より小さくてもよい)であり、目的も数ではなく集合の要素なのですね。
「冪集合のフィルターの収束」と「点列の収束」には、部分集合と要素の違いはあれど、密接な関係があるはずですし、文献のいくつかには「収束についてはこれらは同等の概念として扱える」と書いてすらあるように読めるのですが、ここら辺に関しては文献を読んでも未だにスッと頭に入って来ないのです。
まだまだ勉強が足りない、ということですね。
4.3.(宿題)これら「収束する数学的対象たち」はどのような関係にあるのか?
そして、つらつらと見ていても、部分集合族や冪集合のフィルターや点列の収束で急に出てきた近傍が、数列や実関数の収束や極限にも関わっているようには、およそ見えないのです。
勉強不足だからか?
そこはそうだとしても、何でこれらが同じように収束するのか? これが分からない。という話はどうしても残る。
実は、とてもそうは見えないが、部分集合族や冪集合のフィルターや集合の要素の集合が、数列や実関数の起源なのか? そして数列や実関数にも実は近傍が関わっていたりするのか?
あるいは、これらにさらに共通の起源があるのか?
それとも、ほとんど関係なく、たまたま収束の性質だけが類似しているのか?
個人的には前者であればあるほど納得がしやすく、後者であればあるほど納得しがたくなります。
***
考えられるのはせいぜい、
数列や実関数は値域が実数全体の集合なので、「実数aから実数bまで(aとbそのものは抜く)」といういわゆる開区間を考え、ここから近傍にもなる何らかの開区間を作り、これが数列の極限や実関数の極限に効いていると考える
こ場合、どうにかして部分集合や冪集合のフィルターの要素や集合の要素を、数列の要素たる特殊な関数や実関数の起源と見なすことが肝要になります。
この路線、やれそうな気はするが(特に集合の要素が数列の要素たる特殊な関数の起源なのは当然だし)、検証は要る。
あるいは、
値域ではなく配置集合(写像全体の集合)に何らかの近傍が入っており、これが何らかの形で数列の極限や実関数の極限に効いていると考える
これは俺が、写像空間(配置集合と近傍等からもたらされる構造が対になったもの。よく研究される)に不案内なので、もしこの路線が本命なら、今の俺には手に負えない。
とにかく、いつか何かしっくり納得出来るようにしたいなあ、と思います。
とはいえ、依然としてだいぶ先は長そうだな…
(この話ここでおしまい)