随筆(2021/8/21):なぜか恋愛工学の広告が流れて来たので、陰鬱な気持ちになってきたというお気持ち表明(3)
7.相手を大事に思えるか思えないかは、かなりの部分、「魅力の存在」と「生理的嫌悪感等の非存在」が決める
ここからは、微妙に嫌な話をせざるを得ない。
ふつうの目の人間には、光学的な具象的なものしか見えないので、光学的な形状や質感や色彩や動作は、極めて重要な生理的嫌悪感や生理的恐怖の源だ。
相手にとって、気色悪くおぞましい形状や質感や色彩や動作は、確実にある。これも価値判断であり、人の脳に埋まっているものだからだ。
先天的なものか後天的なものかは分からない。が、ともあれ生理的なものだから、これはかなり根強い価値判断だ。
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ここをクリアしないと、
「相手を大事に思えるか思えないか」
の前段階として、
「相手が忌まわしいか忌まわしくないか」
というところから始められてしまう訳だ。
これで、目の前の自分が「忌まわしい」になったら、相手にとっては「大事に思える」度合いはもうゼロに極限まで近づく。
だから、ここはまずクリアしなければならない。
その上で、自分に魅力が伴えば、相手にとって「大事に思える」度合いはかなり上がる。
この二つは、やることで大いに効いて来るところだ。じゃあ、落ちてるドングリだ。しかも結構旨味のあるシイの実だ。拾っていきましょう。
(実は、特定の条件下では、弱点はなくさなくてもよいというか、魅力に変えることすらできる。
ただ、それは決して楽な道ではない。後述)
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下手すると、自分が身にまとっている生理的嫌悪感や生理的恐怖のトリガーは、かなり色んな人に「気色悪くおぞましい」と受け取られるものだ。
それがある限り、10人中5人に嫌われ、残り5人からも好かれはしないとなる。
こうなると、かなり困る。
少なくとも、「嫌われたくないことが全てに優先される」なら、直すか、補うべきべき弱点だ。
(なお、私にとっては、「嫌われたくないこと」は別に全てに優先されはしなかった。
今でも「そういう感受性があって、分かっていて対策もとれていると、芸の肥やしになるかなあ」くらいにしか考えていない。
俺の中に、「寂しい」という苦しさに対する理解が足りていない。個人的には、激務で壊された後の鬱病の苦しみの方が、はるかに、それも圧倒的に、強いという風に思う)
8.弱点が魅力に見える人相手には、弱点を晒すことも誠実さの顕われだろうが、そうでない相手には、それはただの弱点の顕われにしかならない
8.1.弱点が魅力に見える回路、ある
大事な話で、弱点が魅力に見える人もかなりいる。
「弱さはかわいらしさを惹起する」という話、あるかないかで言うと、「ある」話だからだ。
8.2.「弱さはかわいらしさを惹起する」という感性は侮辱的だが、それが侮辱的なのは「対等扱いは万人に常に通用する」という非現実的非人道的な前提に基づくからだ
もちろん、「弱さはかわいらしさを惹起する」という話、かなり侮辱的な言い様だ。
これでは、「かわいいねー」とは「ザコ」という意味を暗に含んでしてしまうからだ。
まあ、キレる人もいようというものだ。
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ですが、個人的には、これを非難することにも、与したくないんですよ。
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「私は子供を一人前の人間として扱っている。
この子がかわいらしいのは、弱いからではない。
あるいは、この子が弱いからといって、特段かわいらしいとも思わない人もいるかもしれない。
それはそれ、これはこれ」
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これはメチャクチャ正しいですよ。月の砂漠のように荒涼として正しい。
でも、この話から、例えば子供を保護・養育したくなる話は、決して出て来ない。
8.3.「困っている人をなんとかしてあげる気にならない」という感性は、「相手のためになんとかしてあげる」ケア倫理の基本的な姿勢と馴染まない
というか、これ、実際には、
「保護・養育すべき弱い人に対する、殊更何かしてあげたいという愛着が、脳に生えてこないんですよね」
という表明になっている。
これは少なくとも保護・養育の上では、「そういう回路がない」という、かなり大きな障壁として働く。
生身の人間に対する「相手のためになんとかしてあげる」ケア倫理とは馴染まない。
というか、これで保護・養育出来るの、そういうプロのマインドがないと、かなり難しいでしょう。
8.4.基礎工事が必要とされる人に、基礎工事抜きでビルを建てることを、「対等扱い」と言っているのではないか。それが全ての土壌で「常に通用する」という話はおよそ成り立たない
「様々な局面で弱い人に対して、その相手には出来ない高い要求水準を、当然のように突き付ける」
というの、こういう対等扱い主義者がよく取りがちだ。
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でも、それ、対等扱いかもしれませんが、相手はガリガリ削れて、いつか潰れますよ。
今出来ない、明日明後日に突破出来るとも信じがたいハードルを、ずーっと突き付け続けると、超高速で人は壊れる。
勉強でも仕事でも何でもそうでしょう。
これをさせる教師や上司、生身の人間を潰したことは、邪悪な振る舞いとしてカウントされていないのだろうか?
「潰れないで育てるために尽力する」
ことはまず最初の段階で非常に強く求められていて、腰の据わった基礎的な強靭さを作るには、この工程はとても必要なものとなってくる。
というか、基礎工事抜きで、上にビルを建てるの、やめてくれ。
「延ばすために負荷をかける。その過程で潰れることもやむを得ない」
という投機的な育成は、基礎工事で再起可能な基礎体力が出来てからにしてくれ。せめてそれからの話だろう。
俺もこうやって何度も何度も潰されかけて来たし、何度か潰れて来ている。
この手の気配があった時点で、もう心の底から「うんざり」ってなってしまうんですよね。
8.5.対等扱いは、具体的な様々な特徴や立っている土俵の違いの前では、それそのものは何ら適切な助けになってくれない、という致命的な罠を抱えてもいる
「対等扱いだけで万人とやっていける」という話は成り立たない。
目の前にいるのは、抽象的な理念ではない。
様々な特徴を持ち、立っている土俵も基本異なる、生身の人間だ。
理念でどうにかなる部分は、たいてい3割に満たない。
理念も、何かをやっていく上では、欠かすべからざる基礎工事かも知れない。
が、具体的な形にカスタマイズされた、こまめな接し方の工夫は、どうやったって7割強は避けられない。
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で、生身の人間を潰しても、自分が採用して囚われている決め事の方が大事なのか? エゴだよそれは。
生身の人間と、決め事と、どちらが大事か。
細かい場合分けも含めて、考えた方がいいですよ。
というか、刑法絡みでない場合、たいてい前者ですね。
(刑法もその場では決め事が優先されるが、それも突き詰めればその方が生身の人間がいっぱい助かるからこそ、空文でなく、改正対象でもなく、受け入れられているのだ)
8.6.「相手がなんかできなくて困っているからなんとかしてあげたい」気持ちまで、「そんなのは侮辱にしかならないだろ」と言って、非難しちゃあいけないんじゃないかな
話を戻すと、
「相手をなんとかしてあげたい」
という気持ちの源、しばしば
「相手がなんかできなくて困っているから」
というところがある。
そういう気持ちまで、
「そんなのは侮辱にしかならないだろ」
と言って、非難しちゃあいけないんじゃないかな。
(画像は、目の前の定命の者に「命乞いしたらどうだ」などとうっかり言ってしまった死神に、定命の者が「仮にも死神がそういうこと言っちゃ駄目だろ」とばかりに「そんなのはアンタへの侮辱にしかならないだろ」と返す、本当はとてもいいシーンなんですよ。とてもそうは見えないと思うけど)
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それをやると、相手が助かるのか? 助からないだろ? 何なら潰れるだろう。
潰れるのを見殺しにすると、相手の尊厳を守ったことになるのか? 結果として全部台無しになるだけではないのか?
潰れて尊厳を保つの、潰れないで尊厳を保つより、はるかに難しいんだぞ。
潰れた人はたいてい、「潰れるような無能は生きるに値しない」「潰れたやつはやる気がないから救うに値しない」と見なされて、ありとあらゆる侮辱が投げつけられてくるんだから。
(もちろん、「能力や意欲次第では人を見殺しにして良い」という話では、実際には人間世界の様々な人間がメチャクチャ困るからこそ、社会保障というものが約束事としてこの世に中にあるのだ)
そこに堕ちるのを、まず止めるべきであって。
止めなかったやつが、後から何を言っても、
「わかったわかった。お前を殺して自分も死んでやるからな」
「復帰したらそのリソースでコイツを全力で社会的に破滅させてやるからな」
と思われても、言い返す資格は何もないんじゃないかな。
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だから、出来なくて弱ってる人を救いたいと思ってる(そして技能的に可能である、あるいはそれが可能な人やシステムについての知見がある)人を、「ナメてやがる」の何だの言って、妨げてはならないんですよ。
8.7.「弱さを晒すこと」は、「誠実な強さの証拠」かも知れない。そこも実は見られている
そういうのがちゃんと機能するなら、実は弱点を晒すことには、ちゃんと意義がある。
「恥ずかしさを超えて、自分の弱さを、誠実に生活と社会生活をやるために、誤魔化さずに認識して、誤魔化せるポイントで誤魔化さずに白状している」
というの、実はそういう誠実さであり、誠実さを貫徹できるだけの強さなり勇気なりは備わっているということの、信じてみるに足る、信号だからだ。
かわいらしさであることに加えて、誠実さと勇気の証明にもなる訳だ。
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これは、そういうことへの感性がある人には、高く評価される。
「この人は、自分の恥辱に負けないくらいには勇気がある。
生活で妄想に取りつかれたデタラメをやる可能性も、社会生活で欺瞞に溢れた信頼関係の破壊をやる可能性も、低く抑えられている。
そういう人ではないか?」
という期待を、そうした人に抱かせるものだからだ。
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ちなみに、
「弱点に関わる話にさしかかった時に、誤魔化さない」
ということがポイントであって、
「特にそういう話ではないのにすかさず自分の弱点をさらけ出しに行く」
というのは、
「自制心や羞恥心の感性が人並みにない、価値判断に乏しい、だらしない狂人」
という負の印象を持たれる可能性の方が高い。
だから、それは、やめましょう。そんなことを好き好んでやらない方がいいですよ。
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また、結局、相手に回路がなくて、
「なーんだ。弱点があるんじゃないか。幻滅。さようなら」
ということも、当然あり得る。
それは、それで、いいのだ。
どうせそこを誤魔化しても、いつかお互い感づいて、よわよわであることに加えて、嘘を吐かれている分、倍嫌になるだろう。
お互い時間の無駄だから、さっさと次の話に行くのが正解だ。
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相手にそういう回路があるにも関わらず、そういう回路とすり合わせずに、ただ弱点を晒したら、もちろんそれはただの弱点としか思われないだろう。
嫌われる原因にしかならない。
ちゃんと相手の回路を言動から読み解き、出来ればすり合わせましょう。
(この辺の話は、後でします。
「そこまでしたいと思えない」なら、「その人と仲良くなる気はない」ということだ。
無理にやる必要はない。
ただ、その人と仲良くなることは、もちろん極端に困難になってくる。
そこは覚悟を決めた方がいいですね)
9.魅力は、何らかの形で、要る
さて。
その上で、魅力は、何らかの形で、要るんですよね。
それは、しばしば、「弱点を克服していく」過程で、「弱点とは逆方面に特性を伸ばす」ことで獲得されるものだ。
つまりは、弱点を直すか、補うことで、少しずつ身に着けていくものだ。
そういうことの繰り返しや、後で振り返って再調整することしか、結局はやれることはなさそうなんだよな…
10.光学的じゃない、音響学的な魅力や、概念的な魅力も、ある種の人にはとても効く
光学的じゃない、音響学的な魅力や、概念的な魅力も、ある種の人にはとても効く。
今の俺だと、
「相手を踏みにじらない」
「食い物にしない」
「嘘をつかない」
「約束を破らない」
くらいのことで、たぶんコロリと行ってしまうだろう。
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もちろん、これらはごく当たり前の人間の善性だとは思うよ。
が、大抵カジュアルに反故にされている。
それが嫌なんで、俺はこの4つでは意識的に頑張ってるんだよな…
俺がその辺頑張ってるところだから、そこで頑張ってる他人は応援したくなるし、隣で「頑張れ!」「休め!」「頑張れ!」とか言いたくなっちゃうんだよな。
同じように、向こうからお近づきされて、「頑張れ!」「休め!」「頑張れ!」されると、たぶんメチャクチャ嬉しくなっちゃうんだろうな。(呑気なこと言ってんな。自分のことだぞ?)
11.(重要)「何」が効く相手かはちゃんと確認すべき
もちろん、上でいろいろ述べた感性が脳に埋まっている人と、そうでない人がいる。
そこは、ちゃんと鍵と鍵穴が合うか、よく見計らった方がいいですね。
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人間万事、
「まず初手は見て、相手の感性を読み取り、とりあえず大まかには見極める」
「それに向いた言動をする」
「自分が相手の感性の向く方向に向いてないなら、向いてないのだ、ということはうっすらと覚悟を決めておく」
これが大事だと思いますよ。
(続く。多分次回最後)