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【双極性障害】低め安定、が永遠の課題。

体調が安定しない。いつものことだが急に動けないとかほんとなんなん。喘息の咳も酷いし。もう苦手な季節しかない。まぁでもコントロールできない範囲については仕方ない。できる部分で戦っていくしかないのだ、と言い聞かせている。

前回のnoteで「体調が悪くても最低限動けるようになりたいのだ」と書いて、そうだそう思ってたよな、と思い出した。今の病院に初めて行った日。歩くのもままならないくらいの鬱MAXで、べしゃべしゃに泣きながら「なおらなくてもいいんです、精神的なところはもういいんです、ただ動けるようになりたいんです、家族にこれ以上迷惑かけたくない…」というようなことを言ったと思う。精神的にやられているから動けなくなるのか、動けないから精神的にやられるのか、今でもどういう仕組みなのかよくわかっていない。はっきりとは区別がつかないものなのかな。相互作用的な。

無理しない、というのがどの程度のことなのか。うまくできない。その調節がいまだに難しい。「変な完璧主義」「ゼロ百思考」「躁的つっぱしり」、あとは全無理な状態になることをとても恐れているので、「やれるうちにやっておかないといつ動けなくなるかわからない」みたいな焦燥感もある。そしてやりすぎて倒れる。

その逆で、無理しないを極めてリズムを崩すこともある。何日もお風呂に入らないとか。そうなると立て直しに時間がかかってしまう。毎日フル稼働で絶好調を目指しているわけではない。「低め安定」が永遠の課題だ。それで一日のタスクを2個までにする、というのをやってみたことがあるが、むしろその2個に対するハードルが重くなってしまってうまくいかなかった。できなかったときの罪悪感もしんどいし。今挑戦中のルーティンに組み込むやりかたの方がしなっとこなせる気がしている。様子見だけど、いまのところ。

先日書いた「朝娘を見送ると同時に掃除機を持つ」を今日やってみた。家事の中で一番苦手で好きじゃない掃除を朝のうちに終わらせられるのはとても良いと思った。きつかったけど。こんなすごいことができたんだからあとはぼちぼちでいいか、という余裕もでる。あとは続けていけたら。(それが一番むずかしい)

それにしてもnoteがものすごく自分的に合っていてやってよかったと思っている。同じようなことを手帳でやっていたこともあるけれど、パソコンで打った方が頭の中からばーっと一気にたくさん出せるし、手書きより読みやすい。日付やタイトルですぐさかのぼれるのも便利。午前中にnoteをひらいて書くことで今日一日よしやるぞってなりやすいのも良い。今日は今から服の断捨離の続きを少しずつやっていこうと思う。頑張りすぎないように、頑張るぞー。



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