【美術】落合陽一が江戸情緒をアートに実装したらヌルヌルだった!
東京・京橋で落合陽一さんの個展に行ってきました!
メディア露出の多い筑波大学の先生なので名前は存じ上げていたのですが、実はアート作品の展示に足を運ぶのは今回が初です。
昼夜の相代も神仏:鮨ヌル∴鰻ドラゴン(ひるよるの あいかわるわきも かみほとけ:すしぬる∴うなぎどらごん)
2024年9月7日-2024年10月27日
BAG-Brillia Art Gallery-
外観とロケーション
会場は同じ建物の中に、二つの会場があります。片方は『鰻龍』(うなぎドラゴン)、もう片方は『鮨ヌル』で、入り口も別々です。
まずは外から確認してみましょう。『鰻龍』の方から。
写真でもお分かりかと思いますが、なんとこの入り口、まさか落合さんの個展が開かれているとは思えない外観です。
高いお寿司屋さんが並ぶ京橋に溶け込みつつ、お品書きなどが一切ないので、これでは怪しい鰻屋さんのようです。
もう一方の会場『鮨ヌル』の入り口もなかなかです。京橋にとってはあまりに自然な外観でありつつ、不自然に商売の雰囲気がない。ぶらりと歩いている人は近づきません。
今回はネットで告知された知る人ぞ知るこの個展をのぞいてみることにします。
鰻龍:人とAIの協働したヌルヌル
「鰻龍」の暖簾をくぐるとまず目を引くのは銀色に輝く像です。蛇か竜のようなものが、着物をまとって鎮座しています。
ヤマタノオロチのように頭がいくつもあるこの像こそが『鰻龍(うなぎドラゴン)』。鰻屋の「御神体」だそうです。
AIで形をつくり、家具メーカーの工作機械や職人が削ったり塗ったりした人とAIの共同制作で、表面はいい感じにヌルヌルしています。
像の着物は、この地域の祭りで使われる山車に乗せられていた龍神像が実際に着ていたもの。現在、千葉県佐倉市にある着物が、145年ぶりにこの地域に里帰りして、鰻龍(うなぎドラゴン)が着用しているというわけなのです。つまり、人とAIの共同制作が、この地域にあった江戸時代の龍神信仰も受け継いでいるということですね。
AIも用いた高度なテクノロジーで、江戸の宗教空間を表現するというのは類例がないと思います。
うなぎ屋で「精」がつく?
後ろを振り向くと、うなぎ屋がありました。生きたうなぎを何匹か入れておく板張りの「たらい」もあれば、うなぎに釘を刺して動きを封じて捌くあのまな板もあります。
これはもう、ここでウナギの調理ができちゃいますね。スタミナがつくので彼氏にたらふく食べてもらいたいところです。
もっとも、俎上に載せられているのは、なんと電気コード。これは参りました。もはや彼氏には、フォークで電気コードをズルズルすすって精をつけるアンドロイドになってもらうしかありません……。
昼夜反転
すると、急に会場の明かりが消えました。「昼」と「夜」が定期的に入れ替わる会場になっているようです。なるほど、うなぎドラゴンが周囲の光を拾ってギラギラ反射して物々しくなります。
暗闇につけこんで、あざとい女の子が「こわーい」などと言って男に密着しても無駄です。ちゃんと係員の目がありました。わきまえる必要ありです。
プラチナプリント:江戸情緒で再解釈されるテクノロジー
壁にはプラチナプリントが何点か展示されていました。プラチナプリントとは安定性の高い白金(プラチナ)を用いた高度な写真現像技術です。
一般的に写真は劣化しますが、プラチナプリントはルネサンスの絵画のように500年後も残るといいます。壊れやすいものが多いメディアアートの作品の中でも、プラチナプリントは強力なアンチテーゼとなります。
上の2枚のプラチナプリントのうち、左はウナギで、右はスパゲッティコードだと思いましたが、ウナギに見えたものもコードでした。いずれも、IBMの古い計算機を撮影したものだそうです。
計算機のハードウェアに必須のコードすら、鰻屋というコンテクストにおいてはウナギになってしまう。ここでは、江戸情緒でテクノロジーが再解釈されているわけです。
ヌルヌルのエッセンス
さて、鰻屋の御神体である『鰻龍(うなぎドラゴン)』の背後には、何やらプロジェクターで映写されています。
刻々と変化していますが、AIによる動画生成でしょうか。常にヌルヌルしています。抽象化されたウナギのイメージかもしれません。
鮨ヌル:無人化されたお寿司屋さん
お次は「鮨ヌル」の会場へ。本当にお寿司屋さん、ただし回転寿司ではない、動かないお寿司屋さんのカウンターがありました。
すると、男性の声が私に聞こえます。
「おや、ストライプが粋だね。おいしい寿司を一緒にどう?」
しかし、声だけで男性の姿はありません。AIが小型カメラで来場者を識別し、スピーカーを通して話しかけてくる仕組みです。そうです、ここは京橋唯一の、AIが経営する無人化されたお寿司屋さんだったのです。
定在する遊牧民は寿司を握る
そして、寿司を握ってくれるのは、天井から垂れ下がった、やけに長い両腕。
手長・足長というものが日本神話に登場しますが、まさにそのモチーフだそうです。家具メーカーが工作機械で削り、岐阜県高山の職人が仕上げてくれたとか。
そして、この作品には落合陽一さんがよく引用するナムジュンパイクが提唱した概念“定在する遊牧民”を込めているといいます。
インターネットによって時空間から自由になった我々は、まさに異空間から伸び出てくるこの腕のように、場所を選ばずに活動できるようになりました。リモートワークもそうですし、ネットのゲームでは世界中の人と対戦できますし、自宅にいながら外国の本や北海道の蟹を注文できることもそうです。農業ですら、GPS付きの農業機械を遠隔操作できる時代です。
同じところに留まって暮らしながらも、どこにでもいるように活動できる我々は「定在する遊牧民」であり、この両腕はなぜか遠隔で寿司を握っている。ここは落合さんなりの遊び心なのでしょう。
うどんLED
お寿司のカウンターの部屋からさらに奥に行くと、一本の白いひもが枯れ木にまとわりついています。構造色印刷されたモルフォ蝶も添えられているこの紐は、ピカっと発光を繰り返します。
解説によると、うどんLEDだそうです。確かに、江戸の食卓にうどんは不可欠ですね。
おわりに
京橋で開催され、現地の江戸の文化・伝統・宗教と最新のテクノロジー、人とAI、機械と職人仕事が融合したこの展覧会はなかなか刺激にあふれていました。
よくある展示室に作品が順番に並べられて、作品名や解説などのキャプションと作品自体を交互に眺める形をとらないのもいいですね。解説は配布資料で済ませてあるので、2つの展示室を探検する気分になれるのも魅力的でした。
無料で入場できてよかったのでしょうか。
ちなみに、落合さんによると、Excelなどでもよく見る計算機科学上の「null」は仏教でいう「空」にあたるそうで、空(ヌル)と仏教の「色」(物質)の相互作用が今回のコンセプトだといいます。ウナギやAIによる動画生成でヌルヌルした作品が多かったのは、nullから来たユーモアだった?