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山村の豊かさを活用する農業、食、暮らしを求めて 島根県吉賀町(旧柿木村)

島根県吉賀町よしかちょう(旧柿木村かきのきむら)の職員として、過疎化が進む山間地で自給、有機農業の推進に取り組み、退職後は農業に携わりながら「NPO法人ゆうきびと」の会長として生産者と消費者とを繋げ山間地の地域農業の維持に取り組まれている福原圧史(1949-)さん。
2013年10月に吉賀町を訪ね、山間地の地域資源を活かした有機農業の推進の取り組みをお聞きしたことと、その後の資料をもとに紹介します。


山村の豊かさに気づき、村を挙げて地域に適した農業を模索

島根県吉賀町は、島根県の南西部最南端に位置する人口 5,583 人(2024年8月)の町。92%を山林が占め約70%で天然林が残されています。
柿木村は2005年に隣の六日市町と合併して吉賀町となりました。合併前の旧柿木村では日本の高度経済成長に伴って、大量の人口流出が続き急速な過疎化が深刻な問題でした。そこに1973年に始まる第1次オイルショックが重なったことで、当地にあった農業は機械化による単作、商品化ではなく、「自給を優先した食べものづくりこそ山村の豊かさではないか」と気づきました。
狭く傾斜した耕地を持つ山間地では、経営規模を拡大して競争力を持たせることには限界があり、国が勧める農業の規模拡大が唯一の発展方向とは思えませんでした。
そこで村を挙げて椎茸しいたけ、わさび、栗などの特産振興と有機農業による自給運動をはじめました。

福原さんは村役場に勤めながら近隣地域の有機農業の取り組みに学び、1980年に村の担い手グループ、農林改良青年会議を中心に「柿木村有機農業を考える会」を結成し、81年には「柿木村有機農業研究会」を設立しました。

山間地農業の方向性を明確にし、有機農業を推進

当地の農業が目指す方向は、将来にわたって安定的経営を維持し、他の産業に波及効果を及ぼしていくような農業を確立すること。そのためには農地や里山を有効活用しながら有機農業による自給を優先した「小規模複合経営」を推進し、消費者との提携や都市との共生の中で農業・農村の「あるべき姿」と実現の道筋を明確にしていかなければならない、と福原さんらは考えました。

有機農業は「自然環境を守りながら、村ぐるみの健康づくりにつながる取り組み」であるとし、柿木村総合振興計画(1991年)の中で「健康と有機農業の里づくり」と位置づけられ、村を挙げての取り組みになりました。
「高津川上流域に位置する村内で鮎がいなくなったり、奇形魚が見つかったりした原因は、農薬や除草剤や合成洗剤ではないか」と環境問題に地域住民が関心を寄せていたことも、有機農業の里づくりへの賛同を得るきっかけになりました。

消費者グループとの提携

1980年、山口県岩国市の消費者グループから「家族のために作っているものを食べたい。そのまま欲しい」と言われたことが、旧柿木村で地域ぐるみの有機農業が始まった発端となりました。
その後、山口県徳山市、島根県益田市、山口県光市学校給食センター、広島市西部学校給食センターや調理場、さらに生協、スーパーへと提携を拡大していきました。
消費者との提携による生産は、農業の生産方式が一層悪化しても、消費者との信頼関係に基づく農業生産、農業経営は安定的に維持できています。

有機農産物の流通、販売

農家自らの健康を維持し、暮らしを守るために有機農業を実施し、農家が食べている米や野菜などを消費者に販売することにしました。
村内で地元生産者の農産物を直売する道の駅「かきのきむら」を1997年に開駅。農作物にR1、V1などの記号でラベリングし、「R」は米、「V」は野菜を表し、後ろに付く数字の「1」は2年以上農薬・化学肥料不使用、「2」は農薬・化学肥料不使用を表しています。

図1 道の駅「かきのきむら」(2013年10月撮影)

2003年には、村で広島市廿日市市(旧津和野街道)にアンテナショップ「かきのき村」を設置。村民の所得確保のために、山の幸や川の幸、山菜、野菜、乾物、加工品など地域資源を生かした食べものを販売しました。

現在では、吉賀町と廿日市市にある両施設とも、消費者とともに生産者の暮らしを守るために設立された「食と農・かきのきむら企業組合」が運営主体となっています。

有機農産物を学校給食に

1983年度から有機農産物を中心に山菜や味噌などの加工品、栗などの特産品を地元小中学校の学校給食に供給。2009年からすべてを米飯給食にし、2016年度からは学校給食費の完全無償化を実施しました。全量が有機米で、給食全体での有機食材供給率の向上に努めています。

小規模で家族農業だから取り組める自給的な多品目生産は、有機食材供給率の向上につながっています。有機農産物価格は年間を通して固定しているため農家は安心して生産・供給することができます。また、悪天候などで野菜価格が高騰しても、献立を変更する必要はありません。

中山間地こそ、自給的な暮らし、農的な暮らしを

福原さんらは、有機農業での新規就農をめざす方々の受け入れにも力を注いでいます。暮らしを見直し、自給を優先した生活に魅力を感じている若者も多くいます。

図2 新規就農者の野菜畑(2013年10月撮影)

「中山間地ではお金を優先すると生きることが難しい。本当の豊かさは、モノの豊かさではなく、自然や人との関わりの中にあるもの。農山村に住みながらも都会とのネットワークを活かして「自給的な暮らし、農的な暮らし」を常に考えていくことが山間地の生き残る道だ」と福原さん。

私も、お金に換算することは難しいが、地域の資源を保全しその豊かさを活用できてこそ本来の農業だと思います。
とくに有機農業では、都会では得られない自然と共生した「豊かで安定した農的暮らし」を守れることからも、その価値を見出せます。
吉賀町の取り組みは、日本の耕地面積の約4割を占める中山間地での暮らしを見直す参考になると思います。

参考文献

福原圧史(2015)自給をベースにした柿木村の有機農業,有機農業研究7(2):11-14
福原圧史(2015)自給からの有機給食~山村にある有機給食のモデル


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