ドラマ化決定! ~源孝志著『グレースの履歴』~(2024年 第42回向田邦子賞受賞)

「映画ナタリー」2022年8月31日付配信の記事によると、源孝志著『グレースの履歴』(河出文庫、2018年。単行本は2010年刊。以下、本書)が、2023年に作者本人の脚本・演出でドラマ化されるそうだ。


(2023.03.08追記)
ドラマ『グレースの履歴』は、NHK BSP・4Kにて、2023年3月19日(日) 22:00 放送開始(全8回)。
NHKのサイトを見る限り、オリジナルキャラも登場しつつ、主要な人物・エピソードは概ね押さえているようだ。

草織役が広末涼子さんだなんて、素敵すぎる(征二郎が宇崎竜童さんというのも渋い)。
果たして、下で紹介している尾野真千子さん演じる美奈子と草織のやりとりが、どう演じられるのか?
「エスハチ」は、モンテカルロの街をどんな風に疾走するのか?
それを運転する「美しいブロンドの人」はどう描かれるのか?
本当に楽しみで仕方がない。


源孝志氏は、NHK-BSで不定期に放送されていたシリーズドラマ『京都人のひそかな愉しみ』の脚本・演出も務めている。
私がよく覚えているのは、大停電が起こったクリスマスイブの夜の東京を舞台にした映画『大停電の夜に』(2005年)だ。
この群像劇は本当に良くできていて、ただすれ違ったり、(大停電をきっかけに)少し会話をするだけの人たちが、実は本人たちの知らない所で深く関係しているのである。
しかも、そのことは観客にしかわからず、当の本人たちに明かされることがない、つまり、その「タネ明かし」が物語の主題でないところが、とても気に入っている。

本書も、本当に「よくできている」。

車の運転免許を持っていない主人公の喜久夫きくおは、彼とは正反対で車好きな妻・美奈子を不慮の事故で亡くしてしまう。
美奈子の形見は、彼女が「グレース」という愛称を付けて可愛がっていた、ホンダの名車「エスハチ」。
わざわざ海外から輸入した中古の「グレース」に、彼女が唯一手を加えたのが、その名車に似つかわしくない「カーナビ」。

妻の死後、喜久夫はそのカーナビに不自然な履歴を見つける。それは亡くなる直前に彼女が訪れたらしい場所で、それは四国の愛媛県にまで達していた。
彼女がそれらを訪れる理由が全くわからなかったが、それらに亡き妻の「秘密」を感じ取った喜久夫は運転免許を取得し、彼女が残した「グレース」と共に、その履歴を辿ることにした。

最初に訪れた場所は、彼女の元カレの住まい。
不穏な空気が漂う展開で、実際、喜久夫は何度も現実を直視することを躊躇ためらい、旅を中断しようとする。
しかし喜久夫は、ある時、この「グレースの履歴」は自分のためにあるのではないか、と気づく。

もう、とにかく、「よくできている」。
ドラマとしては、両親の離婚で離ればなれになってしまった弟と実母との再会、そして、旅の最終地・愛媛県松山市での驚きの再会は、とても切なく、胸に刺さる。
「グレース」とともに旅をしてきた読者は、秘密を抱えた美奈子の喜久夫への深い愛情と強い覚悟を知って、一層の感動を得る。

「忘れられないよ……」
忘れることなんてできない、と草織は思った。もう隠しておくことなんてできない。
喜久夫は優しく草織を問いただした。
「やっぱり会ったんだね? あいつと」
草織は、重大な決意をしてうなずいた。

「(略)……あの人はたぶん私の車に乗ってあなたの前に現れます」
遺言を残しましたから、と美奈子は言う。
「もし、そのとき、彼をもう一度愛せると感じたなら、迷うことなく愛してあげてほしいんです」

本書は恋愛主体の物語ではない。
車好きの人なら、ホンダの「エスハチ」と聞いてときめかないはずはないだろう。
本書は悲恋・情愛の一方で、名車の魅力が満載の物語でもある。
しかも、美奈子が「グレース」という愛称に込めた深い意味に、車好きの人は、とても感嘆するだろう。

モンテカルロの街を周回するF1のコースは、このタバコ屋コーナーとサン=デヴォーテのところで一番くびれている。名物コーナー二つを"はしご"できる絶好の見物ポイントだ。
(略)
征二郎は歩道脇の欄干の上に登った。(略)エスハチが大きくアウトに膨らみつつコーナーに突っ込んでくる。
(さあ、どうする?)
お手並み拝見、と高みから見下ろす征二郎の目の前で(略)F1レーサー並みの技を披露した。左足を横にして踵でクラッチを切りつつ、同時に爪先でブレーキを踏む。
その瞬間ギアをニュートラルに入れ、右足でアクセルを踏みながらステアリングを鋭く右に切る。以上の動作に掛かった時間は0.5秒ほどだろう。
(略)
「ブラボー!」
征二郎はボー・リヴァージュの坂を駆け上がって行くエスハチの後ろ姿に向かってそう叫んだ。
美しいブロンドの人は、その声に応えるように、運転席で高々と左手の拳を突き上げた。

車好きの人ならこのくだりを読んだだけでも興奮するだろう。しかし、この件の最大の興奮ポイントは実は最後の1行にある。エスハチを運転している『美しいブロンドの人』とは誰か、是非、本書を読んでいただきたい。

本書は文庫版にして600頁ほどの大長編だが、それを感じさせない物語で、時に切なく、時にドキドキし、「グレース」の疾走感にワクワクし、読了した時には、爽快感にあふれ……さらに言えば、きっちりとした伏線回収に感心もするという、本当に、「よくできた」話なのである。

ドラマで喜久夫を演じる滝藤賢一氏は、『原作「グレースの履歴」と出会った時の衝撃は今でも私の脳裏にこびりついてます。心を抉られ、何日も仕事が手につかず放心状態になるほどでした』と、コメントしている。
その妻である美奈子を演じるのは、尾野真千子氏。
このニュースだけで軽く鳥肌が立った私は、二人が演じる喜久夫と美奈子をもちろん楽しみにしているが、同時に、「グレース」こと「エスハチ」がどう描かれるかにも、とても興味津々なのである。


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