【ブッダのことば】 書評#67
みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。
自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!
今回は、仏教、それもブッダについてです。
色々宗教について勉強したいと思い、読んでみました!
※ヘッダーは、echicaさんの作品を使わせていただきました!やわらか〜いブッダのイメージが素敵で使用させていただきました。ありがとうございます!!
基本情報
中村元(訳)
岩波書店 出版
1984年5月16日 第1刷発行
全452ページ
読書所要期間9日
私が本書に出会うきっかけ
私は、コテンラジオが大好きで、隙間時間に毎日聞いている。
これまでも何度か紹介させていただいた。
その中で、玄奘(げんじょう、いわゆる三蔵法師)と空海・最澄のシリーズがある。
これらを何度か聞くうちに、やはり私たち日本人にとって非常に身近な仏教について、もう少し学んでみたいと考え、色々探した結果、本書にたどり着いた。
こういう類の本に関して、岩波文庫は最強である。
古の学びの集積地帯だ。
この本の本質
まず、本書のタイトルは、「スッタニパータ」を和訳したものであるという。
仏教の開祖である釈迦のことばに最も近いと言われる書であるそうだ。
つまり本書は、歴史的に存在した人物としてのことばを記録し、結果として現代まで伝わっているもの、史実を伝えるものである。
2500年近く前のことばということになるのだろうか。
それを今こうして本書を通して知ることができる、直接読むことができるということは、仮に和訳されていたとしても、身の引き締まる思いである。
本書の初版も1984年ということで、私と同い年であることからもその歴史の深さを感じる。
私が感じたこと
1点目 〜仏教、そして聖典のイメージ
仏教の聖典、本書「ブッダのことば」現地の言葉で言うところの「スッタニパータ」はその一部だ。
こうして聞くと、とても尊大で一般の人々には近寄り難く高尚で高邁な、そしてお経などから想像されるように難解なものというイメージがあるかもしれない。
しかし、全くそうではない。
むしろ、めちゃくちゃ平易な表現となっている。
この聖典を出発点として、リベラルアーツ的に様々な学問分野と相まって難解なものへと成長していったのではなかろうかと、コテンラジオで聞いた内容も踏まえて、素人ながらそう考えている。
スッタニパータの平易さは一方で、訳者を含めた日本の研究者の苦労の賜物でもあると考えられる。
心から敬意を表したい。
2点目 〜スンダリカ・バーラドヴァージャ
これは、第4章四のP 92からの項目である。
要するに、これは人の名前がタイトルになっている。
あくまでも素人の私が読んだ見解としては、まず、あらすじとして次の通りであると読み取った。
カースト制が色濃く根付くインドにおいて、タイトルの名前のカースト上最もくらいの高いバラモンが、祭祀を終えて供物を下げる際、せっかくだから誰かに施そうと考えていた時、ちょうど道端にいたブッダと会い、これをきっかけに最終的には聖者となったという話である。
「供物を誰かにやろう」という上から目線の心から、「その人のだからこそこれをあげたい」と思わせるほどに満ち溢れた人間性を育むことと、つまり、双方がそれを知り追求し、互いに高め合っていく存在の重要性を指摘しているように感じた。
これらの話は、「解脱」に結びつけて論じれられることが多い。
さすがに現実社会/現実世界において「解脱」というところまで突き詰めて実践される方々を見つける方が難しいのかもしれないが、解脱しているかしていないかが本質ではなくて、自分と相手をしっかりと認め合い、高めあう心を持つことが重要だと言われている気がした。
世の中には、一見良い人そうな衣をまとっていても、実はそうでないということがありうる。
一見悪い人そうでも、実はそうではないこともある。
むしろ後者の方が多いのではないだろうかと、個人的には考えている。
平穏で、正しい心を持つことで、自分自身を高め、正しい方向へ律する力がきっと大切なのだろうと感じた。
むすびに(まとめ)
人の幸せとは? 豊かさとは?
「煩悩」そして「解脱」
本書にはやはりこれらのことばがよく出てくるため、極めて重要なキーワードであると感じる。
本書を読んでいて強く思うことは、
『人の幸せとは、いったい何か?』
『人の豊かさとは、いったいどういうことか?』
ということ。
ともすれば本書から、ものすごく辛く苦しい修行をして、それを乗り越えた先にだけ辿り着くことができるものと読み取ることができる。
しかし私は、現代社会においては必ずしも修行が必要ということではなく、日々の心の持ち様を磨き続ける、考え続けることによって見出せるもの、言い換えれば、その過程で削ぎ落とされるべきものが「煩悩」であり、その磨かれた先にある姿/研ぎ澄まされた状態が「解脱」であると伝えてくれている様な気がする。
ここになるべく近く、早く辿り着くために行われるのが「修行」ということではないだろうか。
だから、言い換えれば、修行は日々の生活の中でも十分でき得ると考えていいのではないだろうか。
(仏の道を極めた方、修行中の方、失礼な言い方だったらごめんなさい。)
つまり何が言いたいかというと、
・小さな日々の変化に幸せを感じることができる
・小さなことでも反省し次に活かすことができる
これらが徐々に解脱した状態に近いところへ人を引き上げてくれるのではなかろうか。
私はそう考える。
幸せ=お金
幸せ=イベント・パーティー(ワイワイ盛り上がること・場所)
幸せ=自分が主役のこと・もの
こうした考え方になりがちな風潮が現代社会にあるとした時、これが必ずしも人間本来が感じる幸せや豊かさなんだろうかと、私は思うところがある。
自分自身を取り巻く小さな変化、例えればキリが無いが、
・育てていた花が咲いた
・喧嘩した友達と仲直りした
・子ども達が元気に学校から帰ってきた
などなど、これを最大限感じること、感受性を高めることこそ、豊かさなのではないだろうか。
私見をまとめると、
幸せ = 小さな変化を感じることができる気持ちとゆとり
豊かさ = 幸せを感じるセンサー(感受性)を高めること
だと、本書を読み終わった今のところ考えている。
食欲、性欲、睡眠欲など様々な欲から解き放たれようとする姿を本書から読み取った時、私はそこまではできないがしかし、そうした幸せ・豊かさの追求はできると思った。
以上です。
仏教に関して素人の私です。
本書を読み終わり、(本当はもっとあるのでしょうが認知できた範囲で)幾つか課題が見つかりました。
それは、
・ジャイナ教やバラモン教と仏教との関係性
・神と仏教との関係性(本書に「神」という言葉が結構出てきたため。)
・「智慧」の真の意味
がよく理解できないまま終了してしまいました。
今後も、この辺について追求していこうと思います!
さて最後に、本書は私の読書史上初めて、解説から読みました。
特に前半は、短い詩集みたいになっていて、文的には難しくないのですが、それがいったい何を示しているのかを理解するのが難しい内容となっていたからです。
そこで、まずは全体像(本書の位置付けや本書が伝えたい事は何かなど)を掴もうと考え、解説を先に読んでみようと思いつきました。
結果的には大正解でした!
また、注釈もここまでたくさん読んだのは初めてでした。
こちらも特に詩集の方は、よく読みました。
今回は、その内容もさることながら、それ以外の場面でもたくさんの学びがある本でした!
ということで、かなり長文となりましたー汗
本日も、誠にありがとうございました!
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