見出し画像

【あたたかい花をみんな持っている】 読書#136

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、なんて表現したら良いのでしょう。
人生についてです。

ヘッダーは、マリコ*女性の生き方冒険家さんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

大井 浩平 (著)
デザインエッグ株式会社 出版
2024年5月6日 第1刷発行

全218ページ
読書所要期間 4日

私が本書に出会うきっかけ

いつも私のこの活動(noteでの読書感想)をご覧いただいている職場の先輩がいる。
私の感想を見て「読みたい!」と言ってくれたのでお貸しした本が返ってきた。

たしかこの本↓↓

その際、逆に一冊貸してくださったのが本書。

なんと、著者は私が保育園から高校まで同じところに通った、いわゆる幼馴染のお兄さんだった。
本を出されたということは、風の噂で耳にしていた。
しかし、このようにして巡り合うことになるとはっ!!

とても面白いことだ♪
運命を感じた!

私が思う、この本の本質

40年ほどの著者の人生は、つらいことの連続だったようだ。
しかし、その経験があったからこそ、今はしっかりと前を向き、キラキラと、そしてあたたかく、豊かに暮らしていらっしゃることが目に浮かぶ。

そんな著者の人生について他者が本書を通じて垣間見ることで、
自分(読者)の人生を省みる、振り返るきっかけ
・今を苦しんでいる方々でも「人生は決して悪いことだけではない」と思うことができるきっかけ

を与えようとしてくれていると私は受け取った。

私が感じたこと

介護の世界

「医療・介護・福祉」
よく聞く言葉であり、ともするとよく理解していると思えてしまう業界/世界であるかもしれない。
身近に病院があり、各種の施設があり、そこには専門家たちがいる。

この一見すると身近に思える世界には、経験しなければわからない、なかなか表には出てこないまだ見ぬ世界、知る人ぞ知る世界がある。

私には理解するに余りある、広くて深い世界。
支援の最前線では、筆舌に尽くしがたい現実があるのだろう。

著者は、その自らの体験をありとあらゆる言葉で表現し、私たちへ伝えようとしている。
その数々の言葉の中で、私が最も衝撃を受けたもの、それは、

「私が眠ってしまったら、妻が死んでしまう。」

それぞれ句単体で見れば、まぁ、あってもおかしくはない言葉だ。
しかしこれが、ダイレクトに結ばれる言葉を、私はこれまで見たことがない気がする・・・

医者の人並外れた卓越する技術に委ねるのならまだしも、生きるために必ずしなければならない極めて基本的な人間活動をすることが、誰かの、いや、最も大切な人の死へ直結するという信じられない現実。

このほかにも、食事を摂ることなどもまた、猛烈なプレッシャーの中で短時間で終わらせなければならないといったような記述もあった。

いつもならここで、自分がその立場になってどう感じるかなど、感想を述べるところだ。
しかし今回に限っては、この後に書くべき言葉が見つけられなかった。
何を書こうが、経験のない私の言葉はどれも軽くなってしまう。

ここにやはり、経験しているかしていないかの差、知る人ぞ知る世界を知っているのかいないのかが現れるのだと感じた。

第三章 研磨

本書は、大まかに5章立ての構成。
その中間の第三章は、他の章に比較して圧倒的にページが少ない。

しかし、著者が生まれ、壮絶な経験をするまでの人生を俯瞰し、走馬灯の様でありながらしかし一つ一つ確実に、これまでの人生を、自分自身を受容するまでの辛く・苦しく・長いプロセスを整理、言語化した部分であると私は捉えている。

20ページにも満たないこのパートは、そのページ数に反比例して、相当に長い時間考え抜いて、ようやく得た前向きな気持ちなの現れではないだろうか。

第三章のタイトル「研磨」とは、これまでの人生で粗々身につけてきたものについて、一つの大きな出来事をきっかけに棚卸し、不要なものを下ろし、必要なものだけを残すという、いわば自己理解の純度を高めるプロセスや著者の今の心の在り様を表した言葉なのではないかと感じた。

むすびに

「何のために生きるのか?」
終盤、著者に投げかけられる言葉である。

壮絶な経験をしながらも今はしっかりと前を見据える著者に投げかけられるのは、あまりに重い。

やなせたかしさんも、私たちに問いかける。

なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!

アンパンマンマーチ冒頭

「何」は、色々考えられるだろう。
・誰かを指すのか
・何かの事象を指すのか
・はたまた何らかの物体を指すのか

私は何かと考えたとき、『たのしむ』が出てきた。

「楽しむ」というよりは、「愉しむ」という感覚。
つまり、「fun」よりも「interesting」的なことだ。

なにか華々しく鮮やかで、人の目を浴びるような誰もが羨ましくなることがらよりも、ささやかな変化に小さな喜びを感じることができるような、ある種の ”感度” を上げることで得られる充足感という意味での『愉しむ』が、現段階での私の仮説・仮の答えだ。


本を通して著者のご生家やそのご家族のお顔をすべて、想像ではなくリアルで思い浮かべることができるというのは、私にとって初めての経験でした。

冒頭の幼少期の思い出話しは、ご家族団欒の中に一人ポツンと他人(私)が放り込まれたような、なんとも言えない気恥ずかしさみたいなものを勝手に抱いてしまいましたw

他人の人生との距離の近さが、良くも悪くも田舎の特徴ですねw w

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

いいなと思ったら応援しよう!

いなかのまどから
もしサポートしていただけるならば、現在投稿の軸にしている本の購入やパピーウォーキングにかかる経費に充てさせていただきたいと考えています。

この記事が参加している募集