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【言志四録】 読書#153

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、「言志四録」(げんししろく)です。
佐藤一斎、ご存知でしょうか?

ヘッダーは、TAKEO SUZUKIさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

齊藤 一斎 (著) 岬 隆一郎 (編訳)
PHP研究所 出版
2005年6月10日 第1刷発行

全254ページ
読書所要期間3日

本書も、バリューブックスさんで購入しました!!

私が本書に出会うきっかけ

私は、吉田松陰先生が好きである。
東京ではあるが、松陰神社にも足を運んだ。

いろいろ勉強している中で、松蔭先生のお師匠は、佐久間象山という方だという事がわかった。
そしてさらにその先生が著者だということを知った。

師匠の両氏についてもっと知りたいと考え、まず手に取ったのが本書である。

私が思う、この本の本質

著者が本書を通じて伝えようとするものは、実は極めて明確なのかもしれない。
それはまさに、本書タイトルにもあるとおり『志』であると思われる。

「志とは、本来どういうものなのか?」
これを見つめ直した上で、
「その志をどのように実現していくのか?」
ということを、著者の人生観を書き綴った4つの書から学ぶことができる。

私が感じたこと

寛容

以前、私は上司から「もっと寛容になった方がいい」とご指摘いただいた事がある。
当時は、いったい何を言われているのかわからなかった。
30歳を少し過ぎたあたりのことである。

私は、中間レイヤーとして後輩、同じレイヤーの同僚、そしてそのチームのトップとしての上司という構成で仕事をしていた。
特に後輩に対しては、少ない人的戦力の中で最短の時間的コストで成長してもらうことを期待していた。
私のこれまでしたすべての失敗を伝授することで、最短距離を行ってほしいと考えていた。
失敗を伝えるということは良かったのかもしれないが、その失敗を未然に防ぐためにもあれやこれやと後輩に対して指摘していた節がある。
それの内容や頻度が、恐らくよくなかったのだろう。
その上司は、それをしっかりと直接私に伝えようとしてくれた。
大変ありがたいことであり、今でも心に残っている。

それがまさにリンクした内容が、本書にもあった。

君子は則ち躬(み)自ら厚うして、薄く人を責む

言志四録より、言志録第30条抄

立派な人は、自分を責めるのは厳しいが、人を責める場合は寛容であるという意味だそうだ。

自分を厳しく責める人は、人を責める時も厳しい。
自分に厳しければまだマシで、自分に優しく人に厳しい場合もあるだろう。

私は少なくとも、他者には寛容でありたいと今では思っている。

知足

先日、とある研修会に参加した。
ワークショップで同じグループになった元法務省の矯正官といえば正確なのだろうか、そういったご経歴の方とご一緒させていただいた。

その方が、私にとって初めて聞く言葉を教えてくれた。
それが『知足』だ。
「足ることを知る」という意味合いだそうだ。

「足る」をどこまでとするのか、限りない人間の欲にどこまで対応するべきなのか、どこに設定すべきなのかといった趣旨の質問をさせいただいたところ、「いかにそれを低く設定し、そこを超えたところでどれだけ感謝して生きていけるかが重要」といった趣旨のことをおっしゃていたと私は受け止めている。

現在私は本を通じて、宗教等を含めた様々な考え方を学んでいる最中であるが、仏教や儒教的考え方だなぁと強く感じた。
(他の宗教にこれが無いと批判するものでなく、私が今のところ仕入れている情報から照らしてということであるので、ご容赦いただきたい。)

手前味噌ではあるが、以前「豊かさとは・・・」という記事を書いた。
要するに、こういうことなのかなぁと納得したというか、腑に落ちたというか。

そしてその数日後、本書で再びこの言葉に出会った!
何とも運命的な出会い!!

どうやら老子の言葉にもあるらしい。
「足るを知る者は富む」
欲を捨てて自分の境遇に満足できる人間は、心豊かであるという意味だそうだ。

そして、言志四録にはこうある。

分を知り、然る後に足るを知る。

言志四録より、言志録第42条

自分自身の置かれている立場・状況・環境をわきまえて、過分なことを望まず穏やかに過ごすことの重要性が指摘されているものと受け止めた。

幸せか、不幸か。
豊かか、貧しいか。
楽しいか、つまらないか。

これらはすべて、ともすれば自分自身の心の置き所次第なのかもしれない。

むすびに(まとめ)

『志』とは、「大志」などと言われるように、あるいは「夢は大きく」みたいな文脈から、「高く、大きいもの」と想像されがちだが、実はそれは誤解であると編訳者は指摘する。

私が私としてどう生きるか?
そのために必要なことは何か?
その必要なことのために日々何を考え、行っていくのか?

それが『志』なのではないかと、私は本書を通して仮説を得た。
そしてこの仮説を得る大きな材料となったのが、実は前作#152「幸せになる勇気」における『自立』の考え方である。

『志』とは、『自立』に向かうための原動力なのではないかと思う。
「私」とは、社会一員としての「私」であり、自己中心的に何をしても構わないということは決してない。
しかし、「私」は「私」らしく社会に対して、かけがえのないものとして、唯一無二のプレゼンスを静かに発揮していく。
そのためには、ただただ過ごすだけではやはり足りず、「私」が社会に対して発揮できるものは一体何なのかを追求し、実践していくことが重要なのだと思う。
そこの目指すべきところが『自立』であり、そのために必要なものが『志』なのではないか、つまり私としては「目標と目的の関係性」と同じような構図なのではないかと思っているところだ。

これはやはり、先述の通り仮説である。
今後も、この点について学びを深めていきたいと考えている。


やばい、書きたい事がありすぎる〜〜
知足までで、本書約250ページ中わずか30ページ相当・・・
それでも2,500字を超えてきた汗

よしっ、最近は記事の更新が止まり気味だから、最後まで書きたいことを書くことにしよう!

ということで、続きは私のマガジン『無可無不可』(可もなく不可も無く)でお届けさせていただくことにします!

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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