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【はじめての哲学的思考】 書評#97

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、哲学です!
とても重要な学びがたくさんありました!!

ヘッダーは、ハスつかさんの作品を使わせていただきました!

考える人。
私にとっては哲学的思考を象徴するような存在と思っています。
とても素敵な作品なので、使わせていただきました。
ありがとうございます!!


目次


基本情報

苫野一徳(著)
筑摩書房 出版
2017年4月10日 第1刷発行

全223ページ
読書所要期間8日

購入先

本書ももちろん、バリューブックスさんです!!
社会への貢献具合が半端ない!!
いつもありがとうございます!!

私が本書に出会うきっかけ

私はかねてより、著者の本を読んでみたいと密かに思っていた。
そして、#88「公教育をイチから考えよう」でついに出会った!

この出会いを皮切りに、いよいよもう何冊か読んでみようと考え手にした一冊。
そして私は、哲学にも興味を持ちはじめていた。
その意味では、一石二鳥だった。

この本の本質

この本の本質、著者の言いたいことは、極めて明確に「まえがき」で著されていた。
よって、限りなく引用に近いが、書いてみると次の通りである。

現代に生まれた私たちは、日々様々な問題に直面している。
そして、それに悩まされている。
これらの問題は、ただ闇雲に考えるのでは、なかなか良い答えが見つからないことが多い。
つまり考え方にはコツがあり、そのコツの研究について、長い歴史の中で数々の研究者たちがバトンを繋いできた実績がある。
それが哲学であり、哲学的思考である。

本書では、その考え方の奥義を、わかりやすく伝えようとするものである。

私が感じたこと

1点目 〜嫌いな人は、本当に悪人か?

当然に、私には、私にとって嫌いな人がいる。
私にとってその人は、私に何のメリットも与えない。
むしろ、悪い方向にしか追い込んでこない。
そして、いくら対話しようと思っても、まともに取り合ってもらえない。

がしかし、その人は、本当に嫌な人・悪い人なのだろうか?

これは、コテンラジオの「シンドラー編」でも扱っているテーマと言える。
もしかすると、というか限りなく絶対的に、その私にとっての悪人は、誰かにとっての好きな人であり、善い人である。
全ての人にとっての悪人ということは、おそらくないであろう。

つまりこれは、私の認識がその人を悪人にしているのであって、その人それ自体が悪人ではない可能性が非常に高いということである。
そう考えたとき、その人との対応の仕方に少し変化を加えられないだろうかということを著者は教えてくれた。

しかも、その具体の考え方まで!
大きく3つのアプローチを示してくれた。

私は正直、これまでそのうちの一つのアプローチしか採ってこなかったということを知った。
他にも二つあるのだ!
そう考えられた時、少しは心が楽になれるのではないだろうか。

2点目 〜私は何が好きなのか?

「私には、趣味がない。」
そう長らく悩み続けてきた。

様々なものに手を出しては長続きせず、仮に長続きしていたものがあったとしても趣味とは言えず、ある種義務的な、そんな感覚さえ持っていたものもある。

もしも現にそういったことで悩んでいる方がいれば、ぜひ本書の第11講をご覧いただき、じっくり考えてみていたただきたい。

私の趣味は、まさに今こうしてnoteを書いていることそのものであり、そのタネとなる事象も趣味ということができるし、そう自覚してきている。
この感覚は、幸にして本書を読む前に出会うことができた。
しかし、本書を読んで改めて振り返ってみれば、そのプロセスを経たということが認識できた。
つまり、本書の言葉を借りれば「欲望を見つける」ことができ、そしてその前段で「欲望を変える」ことを私はしたのだった。

これについて、私の中の変化を詳細に書くことがより伝わりやすい事例になるのかもしれないが、少し長くなりそうなので、今回は省略することとしたいw

むすびに

これはヘーゲルの言葉らしいが、「徳の騎士」ということが書いてあった。
別な本では「正義のナイト」と表現していた方もいた気がする。
いずれにしても、意味合いは同じなのだが、自分から見た一面的な正義を、それを理解しない人に振りかざしたところで、それは結局他人の権利を侵害していたり、非道徳であり非正義ということになりかねないということだ。
これは、本当に私自身陥りやすい。

自戒を込めて、備忘録的に、私の心に留めるためあえてむすびとして書く。


以上です。

哲学とは、何やら小難しい議論をすること、または考えることというイメージがある方も多いとは思います。
現に、私もそうでした。

難しい問いが立てられる会話や人などに対して、「哲学的」と表現することは往々にしてあるのではないかと思います。

しかし著者は言います。
哲学的な良い思考とは、「シンプル」であると。

シンプルであることが、より多くの人の理解を促し、実際に適応され得るという訴えです。
私も同感ですが、シンプルに考え、シンプルに伝えること、しかも本質をずらさず見抜く。
こうしてみると、やはりとても難しく感じてはしまいますよねw

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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