20代のときに出会った電通の『鬼十則』
下記のツイートを見て、25年前の上司を思い出しました。
新卒で入社した渋谷の小さな広告代理店。人生初の上司が電通の『鬼十則』を机に貼っている営業部長だった。
上司の机に大切そうに張られた電通の『鬼十則』を見て、「悪い人ではないけれど絶対ぼくは向いていないから、自分なりの方法論で結果を出さないとマズいな。上司の兵隊だとこの会社ではヤバい」と思ってそのまま実践しました。今思うと結構人生の岐路だった気がする。
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その会社や上司がほぼ関わっていないジャンルを開拓するのが自分の実績づくりとして一番早いと思ったので、勝手に自社の強みと商品メニュー(広告枠)の資料を作り、2000年代にイケイケだったゲーム業界に勝手にアプローチした。その結果、当時勢いのあった新興ゲームメーカーの雑誌広告をほぼ一手に引き受けることに成功した。
その結果に上層部は戸惑っていたし、若造のしたことに諸手を上げて賞賛するという感じではなかったけれど、会社として新しい柱になるくらいの売上規模だったので、認めざるを得ないという感じだった。社長賞も渡された。たぶん入社2年目のこと。3年目にはその会社を辞めて、長野にUターンしてしまうのだけど。
新興ゲームメーカーの雑誌広告の年間予算を形にできたので、所属は営業部だったけれど実際はそのクライアントの専任的な立場になれた。なので、毎月の売上確保に追われることはほぼなく、リリースされるゲームのタイアップ広告やパブリシティの企画や内容について顧客担当と時間を費やすことができた。その経験はとても勉強になった。今でも役に立っている。何より、上司の兵隊にならないで済むポジションを社内で確立できた。
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当時を振り返ると、電通『鬼十則』の下記3点は結果的に実践していたことになる。
仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない
仕事とは先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない
大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする
だから、電通『鬼十則』が何の役にも立たない老害十則だとも思わない。(フレーズやフォントとかは当時も今も大嫌いですが)
大切なのは「何かの思想や思考を聖典みたいに掲げるだけで満足し、何も実践しないのは意味がない」ということで。それをしているのが上司ならなおさら意味がない。それを20代で間近に見れたのは大いに勉強になった。
有名なクリエイターや電通やコトラーやドラッガーの言葉を聖典みたいに掲げていれば「何者かになれた気分」やその業界への所属意識は味わえるかもしれないけれど、それで満足して「実は何もやっていない」の罠がある。それを20代で知れたのは自分の財産として大きい。
もう40代後半で後輩もいる立場なので、そうならないように気をつけています。いくつになっても実践は大事。