バヤルタイ。 さよならの月。 喜びの月。
学期も暮れに差し掛かり、講義もほとんど終局しました。
みはるかす課題山脈の高峰。日夜登攀に明け暮れています。
それでもnoteを打電してしまうのは性、ですね。
おとつい最高峰の頂を極めたので、気持にもいくばくかの余裕み。
さて、昨夕にも一つの講義が終わりを迎えました。
「バヤルタイ。」の掛け声とともに。
バヤルタイ。
「さようなら」を指すモンゴル語表現です。
わたしはこの一年、毎週火曜日にモンゴル語講義を受講していました。
前期はまるっとオンライン、後期も最後の2回はオンライン。
後期の大部分を対面で受けることができただけ、僥倖であります。
モンゴル語(以下、モ語と略記)文法を怒濤に詰め込むことと
会話のなかで実践練習することとを軸とする講義ですから、
対面形式で習ってナンボの言語ですね。オンラインにも長所こそあれ。
ふむ、受講生がどれだけいるか気になりますか。
前期は4名。そもそも侘しいところを後期で2名に収斂。
しかし教官はとくに意に介する気色をみせない。
どうやら先年度の後期は1名だったらし。なんと…
そもそも。各人いかなる動機で受けるのかということです。
わたしは、なんのことはない、友人に誘われたから、です。
しかしモ語講義を彼とともに気息奄奄で受け終えたのは、前期まで。
後期は研究室の多忙ゆえ出られないとの由。なんと…
誘いをかけた友人の離脱を承け、わたしは大いに悶々としました。
「誘われたから」という、はなから覚束ない動機も、無いよりはマシなのです。
悶ゴル語を受けるか、受けないか。後期の授業決めの折はひどく頭を抱えました。
日本語に酷似した文法規則であるため、トテモ修得しやすい。
どれくらい似ているかというと。
日本語の「元気 です か」の語順に「サイン バイナ オー(混ざってバイノー)」と
それぞれ対応するし、「行ってくる」は「行く+て+来る」と考えれば済む。
ヨーロッパ諸語と較べるとただごとではない学びやすさ。
まあ、文字を覚えるのはスコシ骨が折れますが。発音もむづかしい。
モ語はロシアのキリル文字を大体そのまま援用しているので、最初は絶句します。
たとえば「さようなら」はБаяртай. で「元気ですか」は「Сайн байна уу?」。
世界遺産ぜんぶ覚えるのと較べたら、なんのことはない。
わたしはどっちも暗記しました。ビバ、詰め込み。
しかし、モ語というのは使う機会が乏しい。
留学する予定も意志も、目下無い。
「役に立たない」。そんな言語を学ぶ「意味」はあるのか。
しかし、昔から死語をさえ愛するわたくし。無意味上等。
というわけで、理屈抜きに、悶ゴル語を引き続き受けることに決めた。
モ語が帯びている莫大な「無意味」が愉しいのもさておき、
わたしは教官の熱量と、大陸での経験の語りに惹かれてもいた。
なんたって、社会主義体制下のモンゴル国で長年暮らしたのだもの。
その経験談が傾聴に値することは疑いを容れない。
「なんか、楽しそう」そうおもったら、いくらかのジェラスを籠めて接近する。
後期講義をともに受ける同志が辛うじて一人あったことも背を押した。
教官がいくら愉快でも、さすがにマン・ツー・マンはネ…と尻込みしてしまう。
それは同志にとっても同じはずで、仲間が一人あるだけで心強いとおもうのだ。
かくて後期も同じく火曜日の夕方に、わたしたちは大陸の言葉に思いを馳せた。
泣いても笑っても、1年で終わる講義だ。続きは、無い。
絶体絶命ながらもシッカリ通年で受けてみて胸に去来するのは、悦びだ。
教官の洗練されたユーモアある語り口に乗って、押し寄せた文法の奔流。
ほとんど溺れつつも、最後のほうはいくらか泳法を体得したようにおもう。
ヨッシャ、わたし、わたし泳げます。先生!
と教官を振り返る頃ちょうど講義が終わってしまったことはいささか切ない。
しかし、いつの間にか泳ぎを覚えることが叶ったうえに、
奔流を乗りこなした己の成長に歓びまで感じていることは驚嘆に値する。
後期を受けるべきか悶々としていたときには考えられなかったことだろう。
時代に逆らうような思想であるかもしれないが、あえて歓呼しよう。
ビバ、詰め込み。
ビバ、友人。
ビバ、情熱。
ビバ、無意味。
湿っぽい別れを互いに告げることもなく、最終講義は幕を閉じる。
講義を締めるいつもの挨拶を、三人で交わす。
「バヤルタイ。」
先にも書いたが、バヤルタイは「Баяртай.」と書く。
少し文法解説すると、「Баяр」は「喜び」を、「тай」は「とともに」を指す。
「喜びとともに」。
さよならは、悲しい言葉じゃない。
バヤルタイ。
I.M.O.の蔵書から書物を1冊、ご紹介。 📚 かくれた次元/エドワード・ホール(日高敏隆・佐藤信行訳)