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夏の西日はなぜ心の琴線に触れるのか
夏の西日はなぜ心の琴線に触れるのだろうか。
「夕陽なんてどの季節も同じでしょ」
そう思う人もいるかもしれない。
それも正解であるかもしれない。
夏の西日にはまるで、真っ青に澄んだ日中の空への名残惜しさを後に引いたままその身を赤く燃やすような魅力がある。
日中の夏空が青ければ青いほど、夕陽はその濃度を増していくように思う。
太陽など知らぬという顔で家に閉じ籠りクーラーの効いた部屋でひたすら読書に没頭するような1日でも、部屋の中を照らし出す夏の西日の美しさにハッと顔をあげ、そのまま日が沈むのを眺めていたことが幾度もあった。
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わたしの夏の1コマは夕暮れの一瞬、部屋全体が濃密な橙色の光で染まったときに浮かび上がったぽっかりと黒く頼りない自分の影である。
塞ぎ込んだりなにもかもどうでもよくなった時でさえ夏の西日が街を紅く染める一瞬、どうしても世界の眩しさを感じてしまう。
私はその煌めきに目を細めざるを得ない。
そういう時に自分の心の躍動を感じ、人間として生きている実感を改めて突きつけられるように思う。
「生きてる意味ってなんだろう?」考え続けても答えが出ない問いへ、日暮れを告げる夕陽の美しさを見ることに置き換えて気楽に生きてみてもいいんじゃないか。
焼きつくような酷暑は少しずつ鳴りを潜め、近頃は夜風の涼しさを感じながらクーラーに代わって扇風機をお供に過ごしている。
秋の気配が近づき、夏がもうすぐ終わる。
夏とはまた違った秋の夕焼けを見るのを楽しみに明日も生きていきたいと思う。