ルサンチマンとの付き合い方。
哲学の面白さに目覚めつつある。
「ルサンチマン」や「ペルソナ」などの単語が存在していることは認知していたものの、これまでそれらの意味を正しく理解してこなかった。
しかしこの本を読んで哲学に対して一気に興味が湧いた。
アウトプットも兼ねて、特に印象的だった概念を自分なりの考え方で幾つかまとめていこうと思う。
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今回はルサンチマンについて。
ルサンチマンについては、これまでの経験と知識でぼんやりとした輪郭だけは掴めていた。
僕自身が劣等感や隣の青い芝生に敏感な性格であるため、ルサンチマンについては非常に興味があったし理解もしやすかった。
引用したように、ルサンチマンとはただの嫉妬心のことではなく、もう少し構造的で複雑な要素も孕んでいる。
ルサンチマンを抱えた個人が状況の改善を求めて示すとされる以下の反応に重要なポイントがある。
①ルサンチマンの原因となる価値基準に隷属、服従する。
②ルサンチマンの原因となる価値判断を転倒させる。
順に説明していく。
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まず①(価値基準への隷属)について。
分かりやすい例を挙げると、ルサンチマンを抱えた人は周囲の人々と同格以上のブランド品や高級腕時計、高級車を購入して自身のルサンチマンを解消しようとする。
自身の経済状況やライフスタイルに合わないとして、それらを拒絶することもできるのに、何故か低成長日本において多くの人々が競うように高級品を購入しているという事実。
ラグジュアリーブランドや高級車市場の業績はルサンチマンによって支えられている側面があり、企業は次々と最新モデルを打ち出すことで人々のルサンチマンを常に再生産しているといえる。
ルサンチマンは文字通り、社会で共有された価値基準に自身の価値基準を隷属させることで生じている。この構造を理解したうえで、我々はその欲求が本当に自分の欲するものなのか、あるいは他者によって喚起されたルサンチマンによるものなのかをしっかりと見極めなければならない。
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次に②(価値判断の転倒)について。
これは、ルサンチマンの原因となる劣等感の源になる”強い他者”を否定することで自己肯定するという考え方である。
努力や挑戦による解消ではなく、卑屈になりまくって価値判断の仕組み自体を逆転させて満足感を得るやり方。
本書に取り上げられていた例がとても分かりやすい。
この場合も①と同様に、その価値判断の逆転が、より良く生きるための問題意識に根差したものなのか、あるいは単なるルサンチマンによるものなのかを我々はしっかりと理解しなければならない。
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とは言いつつも、実生活には様々なグラデーションに満ちた価値判断が存在しており、それらに対する自分のアプローチを全て正確に把握することは難しい。
自分の行動や発言を振り返ってみても、それがルサンチマンによるものなのか否かを判断できないことも少なくない。
①は人間の虚栄心を、②は人間の醜さを指摘している。
特に②が厄介な気がする。
お金も努力も必要ないため、否定による自己肯定は簡単にルサンチマンを解消できる最も容易な手段である。
「ひとつのことにあんなに時間を犠牲にするなんて完全に無駄だよね。」
「東京に住もうなんて馬鹿げている、地元が一番。」
「自分の時間を削って誰かと付き合うなんておかしい、一人の時間が最高。」
「流行りのものにすぐ手を伸ばすなんて思考レベルが低過ぎる。」
「役に立たない資格の勉強ばかりするあいつは馬鹿だ。」
口にこそ出さないものの、心の中で一瞬こんな思いが頭をもたげる人も少なくないのではないだろうか。
僕自身も振り返ってみると、道理に基づいた純粋な否定ではなく、弱い自分を正当化したいが故の汚い否定の感情を持つことがある。
しかしこの方法でのルサンチマンの解消は一時的なものに過ぎず、劣等感を余計に深めたり自分の卑小さに打ちのめされたりする結果に終わってしまう。
他者を否定したうえで自分自身も惨めな思いをしてしまうという悲しい結末。
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この問題の構造は至って簡単で、他者に対する否定の感情をコントロールすること。
だが先ほども書いたように、僕たちはありとあらゆるグラデーションの感情に満たされながら日常生活を送っている。
激しく憤ることもあれば、コンマ1秒で過ぎ去る些細な感情もある。
その全てにおいて否定の感情を完全に消し去ることはほぼ不可能だと思われる。
だから僕らができるのは、浮かび上がってきた否定の感情を受け止めて、その衝撃を再吸収する余白を持つことなのではないだろうか。
ルサンチマンの領域とアンガーマネジメントや利他の領域との関連性が見えてきたあたりで、今回の記事は終わりにする。
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哲学について考えると自分と向き合わざるを得ない。
その過程は苦しいけれど、きっと意味のある時間なはず。
哲学って面白い。