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菜食も完全には善じゃないよね、、、

こんにちはまっくすです。

3ヶ月前くらいから草食動物になりました。今も草食動物です。まだ動物性のものを時々口にしますけど笑

僕は最初、菜食者、ベジタリアンとして生きることへの自信や喜びに満ち溢れていました。けど最近は良いことをしているという自信も無邪気に持てなくなりました。動物の肉を食べるよりもいくつかの面で非常に良いことではあると思いますが、菜食も完全ではないんです。というのも、菜食もいくらかの搾取の上に成り立っています。肉食よりはるかに搾取は少ないものの。
菜食者も傲慢になってはいけません。

今日は、菜食が孕む問題(菜食者も気を付けないといけない問題)について話します。じゃあ菜食あかんやんってなりかねないので、まず菜食をする動機やメリットについて話したいと思います。

何で菜食をするの?

僕が菜食をする理由、それは一般的なものとはおそらく違います。僕は自分の考える良い人間になりたい、より良い自分になりたいという思いで日々の多くの選択をしています。菜食の選択もその信念の内にあります。
初め僕はキリスト教思想に傾倒しており、キリスト教倫理を軸にして生きたいなという風に思っていました。しかしマズローの自己実現論における自己実現者やB価値によって、僕の目指したいものはこういうものだと思うようになりました。キリスト教倫理よりもピンときました、本当に直感です。

自分自身の利益考えているようで良いのか、恵まれた環境に生きていて自分は甘え過ぎではないか、そして自分の人生は何のためにあるのか、何を価値として行くて行くのか、そのような実存的問題に悩んでいた先のこの答えでした。
地球レベルの共同体感覚、矮狭なものではなくもっと全体的な隣人愛、それが僕の理想となりました。


そのような信念のうちに生きようとしていた矢先の「dominion」でした。僕が食べていた肉は、他の動物の命であり、生を蔑ろにした産物であり、強烈な搾取のもとに成り立っていた。これほど自分の価値観を揺るがすものはこれまでありませんでした。さらに動物の生命だけでなく地球も汚していると知って絶望しました。目指すべき方向と真逆とも言えることをしていたのだと。
そんな理由で菜食になりました。それが僕の思う正しい、善なる人間であると思ったからです。

菜食の何が問題なのか?

でもそんな菜食でさえ完全ではないことに最近気づきつつあります。much betterであってbestではない。結構細かい話で、そんなの気にしてたらしゃーないと思うかもしれないが、問題は問題だと思う。そう思う理由についていくらか話させてください。

まず、菜食に必要な植物を栽培する農園も貧困層等の搾取に成り立っている点である。日本国内ではあまりそのような仕組みは成り立っていないかもしれないが、外国の大規模農園となると顕著である。農薬散布による集約農業、それに携わる人々の健康被害は計り知れない。カカオ農園の子供の搾取はメディアでも比較的取り上げられ、問題視されている印象を受ける。程度の差はあれど同じようなことが農園で起こっている農園でいる。

次に、植物を育てる過程においての動物の排除・搾取である。排除と搾取を区別したのは真っ当な理由がある。
農園において、動物は害虫・害獣として捉えられる。田んぼにおけるイナゴや、畑に来る鹿やイノシシなど。それらは商品となる農作物に害を与えるので、農薬や銃・電気網などによって殺される。さらに、農作業の過程で、機械を用いることで、そこの田畑にいる小動物は無慈悲にも、そして殺すものは殺している自覚も無く殺される。この2つの点において、菜食もその生産過程において動物に対して暴力を加えている。

そしてこれはまた気にしすぎとも言われそうなものではあるが、他の搾取や社会問題についても目を向けたいところである。ヴィーガン・菜食をしていることに、それだけで満足してはいけないと思う。というより、せっかく1つ問題に関心を持って行動に移せたのだからせっかくだし他の問題についても心優しく考えて欲しいという感じだ。特にヴィーガンは、「動物への搾取」に異を唱える態度である。動物への搾取へと意識を向けることは素晴らしいが、人間という種の中の搾取に全くの無関心であれば多少の矛盾を私は感じる。種族内の搾取、不平等が解決しないのに、他の種に対して人々は本当に配慮できるのだろうか、菜食を広げたいと思っている私にとっては非常に大きな疑問である。

最後に、ほんの補足程度だが、水族館やサーカスなどの娯楽動物、実験動物、さらにはペットにも配慮したいなと思う。ヴィーガンという括りだとおそらくこれらのことも気にしているとは思うが、僕はそこまで配慮が行っていない。配慮してないわけではないのだが、動物実験が行われているかどうかを日々の買い物の際に確認するなんて手間すぎるし、「まあ良いか」と思ってしまう。まだ食事も動物性から抜け切れていないのに無理だ、と。実際難しいし、そこまで追い込まれたような状態で菜食をするのも良くないと思う。過度な我慢は結局菜食から離れる結果をもたらしうる。

何ができるだろうか…

ここに菜食の実践でさえ内包している問題、立ち向かえていない問題を4つ書きました。これらの問題に対していかなる態度を持てばいのでしょうか。全く気にしないのは論外で、少しは気に留めて欲しいなと思います。そして、自分にできるところから手を出していけば良いのではないかと。たとえば署名活動に参加するのは今の時代、ネット上で非常に簡単にできます。おそらくそれくらいの小さな行動からで良いと思います。そして微力かつ強力な方法は、周囲の家族・友人とそのような話をすることだと思います。自分の生活の背後にどんな問題が潜んでいるか、知らない人は多いと思います。僕も3ヶ月前は無知でした。そのような無知な人に知ってもらうこと重要だと思っています。日本で菜食が広がらないのは問題の認知、問題意識がないことが1つ大きな原因だと思っています。まずそのフェーズを満たすために、自分自身菜食をやっているところもあります。友人らに「こういうことが起きている」と伝え、そして相手からの疑問に答えること、それによって少しでも考えてもらえたらなと思います。世界がもっといろんな人に優しくなることを願っています。

めっちゃ長々と書いてしまいましたが、「より先へ」向かおうとする姿勢を持って小さなことから始めていきたいなというnoteでした。

読んでくれた方ありがとうございました!!
それでは

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