読む価値のない記事を投稿する抵抗感に抗う
noteをはじめた当初、ほんの些細な記録やメモでも記事にしていた。
イラスト練習の記録をnoteの記事にしてもいいのに、最近はそれが全くできなくなっていた。
できなくなっていたというよりも、むしろ書こうとする自分を引き止める強い力が働いていると気付いた。
「こんなことを記事にしてはいけない」という強い抵抗感
イラストについての記事を書くならば「○○の簡単な描き方とコツ」のようなハウツー記事じゃないと投稿してはいけないと何故か思い込んでいた。
これらを満たさないものは読む価値がない。
そんなことは記事にしてはいけない。
そんな「しなくてはならない」があふれる「べき思考」の罠にハマっていた。
そんな記事も昔書いたのに。
過去に書いた記事を読み返しハッとして、そして吹き出す。
”こうじゃないといけない、こうすべきだ”
そう考える罠にハマった時どうすればいいのかを3ステップで解決する方法なんてのを自分で書いていたくせに、実際にはまったく実践できていなかった。
noteの投稿は
「1記事単位で読む価値があるものであるべき」
「その価値は新たな知見や知恵であるべき」
そんな「べき」に最近の自分はとらわれていた。
読む価値のある記事だけを投稿しなくてはならない呪いのきっかけ
厳密にいつからそうなったのかは思い出せないが思い当たる節はひとつだけある。
それははじめて有料記事を投稿したタイミング。
そのころから気付かぬ内に心の奥底で余計な思考のクセが芽生え始めていたのかもしれない。
有料で提供する商品ならば、読む価値がある記事であるべきだし、自分が購入するものならばそうあってほしい。
これは自分が有料記事を出すならば守りたいポリシーとして曲げてはいけない部分だとは思っている。
だがしかしこの考えが他の無料記事にまで浸食してきていた。
noteに投稿するすべての無料記事にも「読む価値」を求める必要はあるだろうか?
否。別にそこまではしなくていい。
それが落ち着いて考えた今の自分の回答。
もちろん有償無償問わず書くもの全てに読む価値がなくてはならないと考える人もいるだろうが、自分はそこまでストイックなタイプではない。
noteで忘れてはいけないこと。忘れたら思い出したいこと
人間誰しも忘れることがある。
だがnoteで創作を続ける上で忘れてはいけないことがある。
もし忘れてしまったら、即座に思い出せるようにしておきたいことがある。
創作活動でもっとも大事なこと
https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360012426113
自由に創作を続けられる場がnoteだということをすっかり頭から忘れていた。
駄文だと思っても気にせず日記や記録のような思考の片鱗をnoteに投稿しておくことは立ち止まって振り返った時に役に立つこともある。
自分が陥りやすいハードモードの世界から抜け出す攻略本としてnoteにマガジンとしてまとめておいたものが、ちょうど1年後にこうして気付きを与えてくれるとは思わなかった。
また忘れて同じような罠にハマった時にも読み返せる自分の人生を生き抜くヒント集がnoteという形で手元にあるのは案外心強いかもしれない。
ちょっと一息ついて、いらないべき思考の鎖を外して、これからはもっと気楽に投稿していこうと思う。
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