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患者 いとうせいこう+主治医 星野概念「ラブという薬」

客観的にストレスの限界と現状の数値が分かったら、色んなことが分かりやすいかもしれません。例えば、不毛な言い争いをしている時に、どちらが傷ついているかとか、相容れない価値観がぶつかった時に、どちらが折れた方がよい形になるかとか。
でも、そんなことは、日常的に使うことはできません。毎日メンタルヘルスチェックをやっていたら何か分かるのかもしれませんが。今言い争いをしている二人に、さあ、チェックをやってみて、というのは現実的ではないでしょう。

数年前にカウンセリングに行ったことがあります。自分の心のコントロールが難しくなっている感じがしたのです。臨床心理士の先生とお話したことで、劇的に元気になったわけではありませんが、一年に一度くらい行こうと思いつつ、今年は行かなくてもいいかなと思いました。
前回行った時は、その前と同じ話が出てきましたが、その後自分で考えたり本を読んだりしたことで、前の時よりも、はっきりと意味がつかめるような感覚がしました。
なので、自分の心の扱い方について、技術的ない面で少し習得できたのかな、とも思って少し安心して、行かなくてもいいかな、という気になったのかもしれません。

この今回この本を読んだのは、Facebookの友達が、もっと気軽にカウンセリングに行こうと言う話を投稿していたからです。ご自身が行ってみて、どのように感じているかということについて詳しく書かれていました。

投稿された方は、まだ読んだことがないけれど、投稿に関連する内容として、紹介されていました。帯に書かれた、対話のカタチをした薬って言葉にものすごくひかれました。

この本は、作家、クリエイターとしてマルチに活躍されるいとうせいこうさんと、いとうさんがリアルに通っている精神科の先生の対話が綴られています。
時折りユーモアもありながらも、静かに、お互いの心のうちについて語り合います。
もちろん、純粋に患者と主治医というだけでなく、対話を記録し、本の形になること、また、精神科の診察がどのようなものかを理解してもらう目的があるためかもしれませんが、星野先生もかなり語っています。みんながみんな星野先生のような方とは限りませんが、こんな風に考えているんだなと思うと、ものすごく辛いわけじゃなくても、行ってもいいのかな、という気になってきます。

その他、今の社会は相手の立場に立つのが難しくなっているのではないか、といった話も実例を交えながら話が進んでいきます。例えば、「相模原やまゆり園事件」の話なども出てきます。事件が起こる少し前まで、星野先生は、園の嘱託医だったこともあり、自分が診ていた入所者が亡くなった方もいたし、入所者が行く先がなくて困っていることを聞きました。そして、勤めていた病院の日帰りん入院の病棟を開けてもらって、理事長判断で、受け入れることになったそうです。実際には、こんな一文で片付けられるほど簡単な話ではなく、常に見守りが必要な人をたくさん受け入れることになったのですが、いてもたっていられない気持ちになり、必死でかけあったそうです。まさにそれが共感だったと振り返ります。
いとうさんが取材している「国境なき医師団」も同じです。遠い国のことであっても、共感があるから、いろんなリスクを覚悟しながら、行く決意をするわけです。

タイトルのラブという薬にも繋がりますが、結局、相手の立場に立って思いやることが、相手にとっての薬になる、という当たり前のようでいて、でも実はとても難しい話が出てきます。
相手の立場をどう理解するか、それを分かりやすくするのが、文学や映画だと、二人はいいます。
それらも、ひたすら批判的な視点で見ていたとしたら、共感するのは難しいかもしれません。でもたいてい、というか、少なくとも私は、どこかしら理解できるポイントが出てきたら、そこをトリガーにして、どっぷりと浸かってしまうものです。それこそが文学の機能だと、お二人は話しています。

一方で、毎日のようにSNSに触れる社会では、すぐに反応することがよいこととされ、ゆっくり考えながら話すことが難しくなっています。でも実はゆっくり考えることはとても大切なこと。また言わないでおくことの方が頭の中でゆっくり考えられていい、といったことも話されています。
共感が突然押し寄せてくることもあれば、じっくりと考えることで共感が湧いてくることがある。どちらかといえば、理解を急いてしまうことで、結果として、本来得られるべきだった共感が失われて、大切なものを見失ってしまうこともあるのかもしれません。

そしてもしかしたら、自分のメンタルヘルスが、診察を受けなければいけないほどになっているかどうかは、チェックテストで分かるかもしれないけれど、他の人に共感できる余地があるかどうか、他の人にラブという薬を与えることができているかどうかは、さらに分かりにくいことなのかもしれません。
自分は大丈夫だから病院に行かなくてもいい、と考えていても、実は周りを傷つけているのかもしれない。確かに、あの人はちょっとメンタル的に課題がありそうだから、病院に行けばいいのにね、と思うのに、それをせず、周りに迷惑をかけているということも思い浮かんだりします。

みんながみんな、病院に行かなくてはいけないとは思わないのですが、喉の感じがおかしいなと思って葛根湯を飲むのと同じように、疲れているな、と感じたら精神科に行ってみる、という発想も必要なのかもしれません。
今の私も本当に行かなくて大丈夫なのか、あるいは、自分の心のあり様にさえ鈍感になって、誰かを傷つけていることもあったりするのだろうか、と振り返ってみるのも大事かもしれません。

途中、精神科医の勉強会などの話も出てきて、実際に星野先生たちが勉強会で利用されている認知行動療法のワークシートの一例が掲載されています。私が以前利用した臨床心理士のカウンセリングも認知行動療法のお話をしてもらいましたが、まずはこういうシートを使って、自分が今頭の中で抱えていることを丁寧に書きだしてみて、冷静に考えてみるのもいいかなと思いました。

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