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日本の演劇という形
本日同日に私の怨念の籠った叫び声を急遽投稿してしまったが、私は本当は此方の記事を必死に書いていた。誰に対する言い訳で、謝意かはわからないけど、それだけは分かっていただきたい。そしてこれを書き不貞寝した。(であろう)
皆様は一口に演劇や舞台といっても、宗派の様な物があるのをご存知だろうか?宗派などと言う仰々しい言い方ではなく、種類と言っても良いかもしれない。小劇場、商業演劇、新劇、アングラ、等と数えれば、切り分ければ、幾らでも分類することが出来るが、この様な分類に興味が有る人が、知っている人が、どれほどいるのだろうか?
この記事をご覧いただいている方の中でも、演劇と聞くと小劇場を連想される方も多いのではないだろうか、下北沢等に足を運ばれた方もいるかもしれない、そういう方々に私は言いたい、「それだけが演劇じゃねえ、それを日本演劇のレベルだと思わないでくれ」。この発言は問題だろう、小劇場を下に見た様な発言だと誤解されるかもしれない。しかし、私は言いたいそれ以外の演劇が日本には有るのだと。
私が所属する劇団は新劇という部類である、昭和時代を知る方で有ればご存じであろう。
新劇団とは、『非商業的方向の中で、創作劇か翻訳劇かを問わず、劇という芸術形式に対する持続的な革新を目指す』演劇または、演劇運動のことを示す。旧劇(歌舞伎)、新派(書生芝居の流れ)に対する言葉として、当初翻訳劇を中心に始まり、歌舞伎や新派の商業主義を批判し、芸術志向的な演劇を目指した。昔はね。
私の劇団には、長山藍子さんや吹き替えで名を馳せた小島敏彦さん。他の劇団で言えば、樹木希林さん、西田敏行さん、松田優作さん、江守徹さん、角野卓造さん、杉村春子さん等上げ出したらキリがない。にも関わらず、ほぼ全ての劇団は今金欠だし人材不足だし、後進の育成に回す体力もない。それは如何してだろうか?理由は二つある。
一つ思想に行き過ぎた。過去の新劇と新劇を応援する全国の演劇鑑賞会は極左であった。有体に言えば、共産党だ。非商業主義を掲げ、舞台でお金を稼ぐつもりは無いと言い切る老耄もいる。
二つは過去の成功体験だ。昔はこうだった、皆んな活動に対して熱意を持っていたからできた。今の奴らはぬるい、本気でそう思っている。結果、大勢になびけないのだ。大衆迎合を嫌い、いつまでも過去のスターを、過去の輝きを見つめている。
最初に書いた通り、非商業主義を掲げている。だが、人間は生きるのに金がかかる。当社歌っていた非商業主義とは金を稼ぐ為では無く、良いものを作りお金を頂こうと言う話では無いのかと、業界に疑問を投げたい。
小劇場とは何であろう。説明は簡単の様で難しい。小劇場は小さな劇場を拠点とする演劇集団(劇団)及びその演劇でだ。1960年代、新劇が主流だった演劇界に反発し、若者が自らの考えを発信する場として小劇団は出来た。
しかし、小劇場はそれでは止まらなかった、寺山修司(どっちかというとアングラ?)、三谷幸喜、蜷川幸雄、野田秀樹、成井豊、平田オリザ、若い世代には此方の方が名が通っているものも多いのでは無いだろうか?いや、もう多くの人々には此方の方が有名なのかも知れない。小劇場とは名ばかりに、大きな劇場で公演する劇団も少なくではあるがいる。
では、荒波の様に業界にウネリを起こしていた小劇場は今、如何してこんなにも凪いでしまっているのか?凪いでいるというと、小劇場界隈に怒られてしまうが、実際に一時機の輝きは今は無い。如何してだ?答えは意外にも簡単だ。天才がいない。上記の天才達は小劇場から羽ばたき商業へと行った。今小劇場に残るのは飛べない鳥または助走の最中なのだろう。
それでも、やはり小劇場は凄いのだ。野田秀樹も、蜷川幸雄も、平田オリザも私は心から尊敬している。キャラメルボックスも劇団新感線も大きな劇場を埋めていた。そこへの嫉妬心がないと言えば大嘘つきになってしまう。
しかし、だからこそ私は芸術を求めていきたい。小劇場が芸術ではないと言いたいのではない。ただ、観客におもねったり、自慰行為をすることは芸術では無いと信じている。このくだりは蛇足だったかも知れない。
最後に商業演劇だ。一番わかりやすい。欧米にはスターシステム、プロデュースシステム、ロングランシステムなどのシステムを基盤とした娯楽性の強いショービジネス。これに対し日本では「商業演劇」は「伝統芸能や芸術運動としての新劇・小劇場演劇以外の呼称」として用いられていた、が、その垣根を一度は無くした。新劇団の旅公演や小劇場が大きな劇場で行う様になり違いは無いとも思われた。しかしやはり根本が違ったのだ。
商業演劇を主催するのは、主に松竹や東宝などの大手興行会社である。多くの収益を見込み、大規模な劇場で、主役に花形スターを擁すなどして、1ヶ月単位で公演が行われる。一等席・二等席・三等席などの席種が設定され、一等席は、1万2千円~1万5千円程度、三等席は4~5千円程度の料金設定であることが多い。今では、インフレに従い値上げされているところも少なくは無い。
私は、商業演劇に対し尊敬も侮蔑も二つの側面から強い想いを持っている。
尊敬出来る部分として、演劇で人にご飯を食べさせている。これは全ての劇団の主催に見習ってほしいことだ、人は生きる為に何かを成すのでは無い、生きているから何かを成すことが出来るので有る、(誰かがそう言ってた気がする)。まあ、慣用句は置いといて、携わる者全てに金銭的メリットを発生させているのは日本の演劇では商業だけだ、そこには心からのリスペクトを贈りたい。
しかし、精度の玉石混合さには呆れてものも言えない。有名人であれば誰でも良いと言うのであれば、やはりそれはショーという範囲から離れることができない、アイドルや下手くそだが顔の良い男優女優を旬のうちに使い、過ぎたらまた違う旬を持ってくる。これでは、いつまで経っても見世物だ。私は芸術を愛している、だからこそ巨大資本には日本の芸術を引っ張って欲しい。そう切に願っているからこその、侮蔑だと分かって欲しい。
長々と駄文を書いてしまったが、そんな私は侮蔑を与えられる以下の、劇作家候補生で演出家の卵でしか無い。読者の皆様に、少しでも楽しんで頂ければこれ幸いで有る。