「自分の声を聞け。」
飲茶著・「正義の教室」を読んだ。
最近、少しずつ哲学書を読むようにしているんだけど
〇〇主義といった一番大事な概念が具体的に理解できなかったりするんだよね。
この本は全ての概念は書かれていないけど、
主要な概念の主張・問題点・歴史がわかりやすく書かれていて
俺としてはかなり助かったし有難かった。
そして、読んでいくとその概念を知れるだけじゃなく
自分の思想はどの概念に当てはまるのか?
自分は何が正しいと思っているのか?
も知れることができる。
つまり、自分を知ることができるんだ。
特に、俺はこの本を読んで
正義とは何か?を含めて
自分がどう在りたいのか?を常に考えることが重要だなと感じた。
そして、現代はそれを考えるにはあまりにも雑音が多くなってしまっているとも感じた。
自分の正しさとは何か?・自分はどう在りたいか?を考える時に
周りの意見なんてシカトでいいんだよね。
だって当たり前なんだけど、
多数派が正しいわけじゃない
皆と同じことが正しいわけじゃない
声がデカイ奴の意見が正しいわけじゃないんだから。
ちゃんと自分で考えて善いと思って行動したものが正しいんだ。
それが自分の正義で、在りたい姿だ。
というか、多いほうが正しい・皆と同じが正しいみたいな考え方ってハッキリ言ってクソでしょ。
そんな判断基準だと自分の人生なのに誰のための人生なのかわからなくなる。
でも、そんな人は多いんじゃないかな。
だって、
テクノロジーの発達により破壊不可能な社会が生まれ、その社会にとって正しい人間を作っている。
と書いてあってけどまさにその通りで
現代に生きる人間は全員が監視役兼囚人役だ。
だから、社会にとって正しくない人は簡単に叩きのめされてしまう。
そうならない為に多数派である社会にとって正しい人間側になってしまい
多いほうが正しいと思い込んでしまうからね。
しょうがないと言えばしょうがないのかもしれないけど、
多いほうが正しいって判断基準は自分の意見は皆無でしょ。
自分の意見がない判断基準で生きておいて自分の人生なんて歩めないでしょ。
昨日、満員電車を毎日乗るなんて常軌を逸している行為で不感症じゃないとできないと投稿したけど、
あれだって多いほうが正しいが判断基準の人がほとんどだろう。
あの中に自分でしっかり考えて善いと思って行動している人・自分がどう在りたいのかを考えている人がどれだけいるのか疑問になる。
自分は何が正しいと思うのか?どう在りたいのか?を感じれないほど不感症になったら終わりだよ。
監視システムからは抜け出せない社会にいるからこそ
もっと、自分はどう在りたいか?に敏感になるべきだと思うんだよね。
周りの意見なんてシカトして、在りたい自分の選択をするんだ。
確かに絶対的な正義・普遍的な善が何かなんてわからないよ。
でも、「今」自分は何を正しく思うのか?どう在りたいのか?はわかるでしょ。
別にそれが結果的に失敗して痛い目をみたとしても
その自分の声に従ってみるべきだ。
それが自分の正義なんだから。
それがどう在りたいか?の答えなんだから。
そして、それが自分の人生を歩むということなんだ。
雑音に掻き消されるな。
自分の声を聞け。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?