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待つ、少しずつ元気になる
よく本屋に通う。
広めより狭め。チェーンより独立系の本屋が好みだ。
評判を聞いて買うことはほとんどなくて、表紙のデザインだったり、タイトルのセンスで手に取ってみて、最初のページを読み自分が吸収しやすい文章を書いているとお買い上げする、そんな選び方。
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と手書きで書かれているステキな本
ただただ読書が好きなわけではない。
きっとその本の中で得られる著者の人生に触れることで、今の自分に必要とする思考やことばを求めているのだと思う。
どの本も我ながらいい本だったと思えるものばかりだけれど、今回は紹介せずにはいられない、そんな本に出会った気がする。
「本屋で待つ」
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ざっくり話をすると、広島県の山間にある本屋(何でも屋)「ウィー東城店」のオーナーである佐藤友則さんのお話。
彼の父親が始めたこの店舗は、始めてまもなく内外の人間関係が軋轢を生んでいる状態。そこに佐藤さんが店長として就いてからの試行錯誤の日々を綴っている。
私が注目してほしい部分は大きく分けると2つかな。
1つ目は田舎での本屋の役割だ。
読む人の多種多様な問いに寄り添い、その作者たちが時間をかけて信頼を築き上げた唯一のもの、それが本だという。
その懐の深さと培われた信頼が本という媒体にはあるからこそ、それらを扱う本屋は、本と同じように誰かの悩みに寄り添える町での役割を担える。
だから「何でも屋」になれるのだと。
私も2021年に札幌での本屋「SeesawBooks」で少しの間お世話になっていたことがある。
その時のオーナー神さんは、
「本は懐が深いから、シェルター(生活困窮者の一時避難場所)もできるんだよね」なんてことをおっしゃっていた。
あの時は「ほう…そうなんですね」くらいの理解度だったけれど、この本を読んで深く合点がいったように思える。
二つ目は、佐藤さんの人への接し方。
ウィー東城店には、少し不器用な人たちが集まるようで。
学校に行けなくなってしまった人、社会でうまくやっていけず長続きしない人。
そんな彼らを雇い、「そのままでいい」と言葉でも行動でも示していく。
「ここに居ても大丈夫なんだ」
それがわかってくると、どんどん人は輝いていくし、ほんの少し頑張ってみようと変わっていくようで。
佐藤さんは「待つこと」を大事にしているんですね。
彼らを受け止めて、じっくり待つ、構える、見守る。それがお店の父親としての役割だと。
社会でうまくやっていけないのは、「その人のせい」なのではなくて、「待つことができない」器ばかりが存在する社会にあるんだと思う。
「早く、安く、簡単に」
さらには前へ進んでいくことが良しとされるばかりに、うまく進めない人のことを切り捨てていくのは一番簡単な解決方法だから。
その社会の中で「待つこと」を大切にし、さらには今回、信頼が置かれる本として世の中に出してくれた。
それがとにかく嬉しかった。
人がまるでモノのように消費されていく違和感を抱いてきた学生の時の私が、すごくすごく救われていく感覚。
佐藤さんのいうように、本は解決までに至らなくとも悩みに寄り添う懐の深さがある。それを佐藤さん自身の本で寄り添ってもらった私。
到底感じたものはこれ以上だけれど、言葉には限りがあり野暮になってしまうのでここらへんで。
ぜひ、読んでみてくださいね。
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