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【本当にやりたいことは何か】感想:令和元年の人生ゲーム

みんなには、心から「やりたい」と思うことがあるでしょうか?

それを、誰に言われずともやり続けることができるでしょうか?

SNSで「キラキラ」した日常が可視化される今、私たちは「何者かになりたい」と願い、幻想の世界に引き込まれがちです。

そんな人々の気持ちを深くエグり、リアリティしかない、爽快でありながら読後は何とも言えない悲壮感と充実感を感じることの出来る「令和元年の人生ゲーム」について、書いていきたいと思います。

やりたいことより"なりたい自分"

今の社会には、「なりたい自分」があふれているように感じます。

  • 仕事バリバリで稼いで、楽しそうな人

  • 地方や地域で活躍して自分らしく生きている人

  • 所詮仕事は仕事として割り切って生きている人

  • 推し活に全ぶりしてエキサイティングな人

別にTVやYoutubeに出ていなくたって「こんな人になりたいな」「こんな人生を私も歩みたい」という人って周りにはたくさんいる。

そう、なりたい姿に溢れているのだ。

SNSを通じて否応なく入ってくる「理想の姿」が、私たちに「これが正解だ」と囁きます。自分のアイデンティティも曖昧なまま、理想像に押しつぶされそうな日々の苦しさを感じている人も少なくないでしょう。

『令和元年の人生ゲーム』の登場人物たちも、同じような苦しみを抱えています。

人生勝ち組と言われるパーソンズに入りながらも、他に触発されたのか、居心地が分かるなって転職した由衣夏は、転職理由をこう語る。

別に、パーソンズに不満があるとかじゃなくて、転職を考えた時にちょうど誘われたんだ。転職先のベンチャー、地元の友達がやってるんだけど、どうしても来て欲しいって。大企業で働いてた経験とか、あと学生時代、ミス深谷ねぎの活動の一環で、地方の魅力発信みたいな仕事をしたこともあったし、そういうところをトータルで評価してくれて。給料はもちろん下がるんだけど、やっぱり地元のことは好きだし、あとは何より、大きい会社の小さな歯車として働くよりも、ちゃんと自分の名前で仕事をして評価される方がいいなって素直にそう思ったんだよね。

令和元年の人生ゲーム

もっともらしい理由だけど、実は地方創生ベンチャーに決まっていたが、一種の憧れを頂いていた外資も受けている。

みんなが噂している通りゴードンを受けて落ちたのは本当だよ。それは地方創生ベンチャーとは全然別の軸で受けてて。学生時代に留学もしてたし、元々グローバルな仕事に対する興味関心はあったけど、パーソンズで適当に営業とかしてるうちにそういうのもすっかり忘れちゃってて、でも英梨ちゃんと再開して仕事の話とか聞くうちにまた火がついちゃって…..

令和元年の人生ゲーム

表向きはしっかりとした理由を語っているようで、実際は辻褄の合わない選択。場当たり的にしか見えないんですよね。

自分がいいなと感じた姿であれば、とりあえずなんでもいい。もしかしたらこの感覚が現代を蔓延っているのかもしれない。

私は出来るだけそうじゃなく生きたいと思っていたけど、引き込まれているような感覚を持っている。現代はアイデンティティを保つのも見つけるのも難しすぎる。

可視化された社会に忘却の技術

堀江貴文氏がよく言っているけど「SNSで可視化された社会」はいい面もあれば悪い面もやっぱりある。

同じ年ごろで、同じような境遇で生きてきた人がSNSで「今日は彼氏とハワイ旅行」みたいな投稿を見た時に、自分はコンビニバイトしていたら、「何しているんだろう」という例えを堀江氏はよく言ってますよね。

これは本当にそうで、私は見ていると気分が良くなることはほぼないなと思うんです。

私が高校生の時、Twitterが流行し始めでした。それまで流行っていた「前略プロフィール」や「mixi」は、情報を能動的に取りに行くツールとして使われていたけど、Twitterは全く違いましたね。情報がフローで勢いよく流れてくるから、能動的にチェックしなくても友人の瞬間が流れ込んでくるのですよね。

だからTwitterは、友達が楽しそうな”瞬間”の切り取りが、絶え間なく流れてくる。そして心に留めておいた方がいい罵詈雑言もついでに流れてくる。

とてもじゃないけど私には受け止めきれなかったなと。

自分を惨めにするツールとさえ思った時期もありました。

ただ、さすがに全く無しで生きることが出来ないもの事実。

例えば、今やInstagramがなければ飲食店の情報すら得にくい状況です。HPの更新もままならない店や、Instagramアカウントだけを活用する店が増え、SNSを「拒否し続けることも難しい」と感じます。

ではどうするか。そこで忘却の技術を取り入れてしまうのも1つかもしれない。人間の脳はそもそも、物事を忘れるように出来ている。

一説によれば、わたしたちが見たり聞いたりしたもの、においや体感といった感覚器官から入ってくるすべての情報をそのまま記憶できるとしたら、ほんの数分で脳はパンクしてしまうといわれています。

https://academy.president.jp/articles/-/1014

そう、対して覚えられないのだ。であれば、忘れてしまえばいい。世界は広いし、色んな事が起きているけど、自分の周りが途端に影響を受ける訳じゃ無い。自分の周りに意識を向ける方が、アイデンティティを確立しやすそうだ。

愛すべき沼田

令和元年の人生ゲームの真の主人公は沼田という人物だと私は思う。4章に分かれて展開されるストーリーで唯一全4章に登場するのが沼田である。

沼田については、こちらのブログが1番詳しく書かれているので、見て頂ければと思います。

沼田は、平成から令和にかけての日本社会を背景に、独自の視点で社会を見つめる知的で皮肉な人物で、彼は生きることに対して冷めた視線を持ちつつも、その現実を受け入れ、最終的には他者を支える存在へと変化を遂げるような人物です。

最後沼田がどう感じて、どうなったのかは語られていないので、読者で判断するしかないのですが、彼の変化には彼本来のアイロニカルで独立した思考が抑え込まれた面があり、私は「もし彼がそのままの個性を貫き続けていたら」という一抹の寂しさを感じざる負えませんでした。

鋭い視点も、単純化して構造化した上で具現化する能力も、皮肉をスラスラ言える言語能力もすべてが羨ましいのが沼田である。

でも高校時代に彼が必要としていた吉原に振られたことで、世界は歪み、愛を求めながらも社会に完全には溶け込まず、皮肉や反骨精神を持ち続けざる終えなかったのも沼田。

現代のSNS社会では、他者が強いアイデンティティを見せつける場面が増え、それにより「自分らしさ」が逆に曖昧になりやすいと感じます。他者の姿に自分を重ね、いつの間にか自分の価値観や感情が揺らいでしまう——こうした感覚を抱く人も多いのではないでしょうか。

沼田が持っていた「虚無を抱えながらも独自の視点を貫く強さ」が必要で、他者と異なる「本当の自分」を見つめ直すことが出来るはず。現代では、周りの影響に流されないための内省や、アイデンティティを探る問いが、SNSを通じて目にする他人の姿に惑わされないために重要な気がします。

まとめ

読み終えたあとに広がる、この何とも言えない虚無感——うまく言語化できない部分も多いですが、同時に「今をどう生きるか」を問い直される感覚が残りました。私たちは他人の「なりたい姿」に左右されやすい時代を生きていますが、本当に大切なのは自分だけの価値観や生き方に目を向けることなのかもしれないですね。

沼田が抱えていた虚無感と冷静な視点は、まさに現代を生き抜くための「自分らしさ」として重要に感じます。虚無感とともに「自分らしい人生ゲーム」を続けていくことが、今の私たちには必要・・かもです。

令和元年の人生ゲームで感じたことは、ReHacQで箕輪氏が語っていたことに近いかもしれません。生きるって難しい!


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