見出し画像

ネガティブ・ケイパビリティを考えるヒント⑨ ~沈黙のちから~

夭折の詩人、ジョン・キーツは、シェイクスピアがかつてそうしたように、真実に触れ、それを自らの「善」にまで引き下ろすには、思考や願望と言ったポジティブな力は手放す必要があると言った。

若松英輔の言う「黙ることのちから」、これこそがネガティブ・ケイパビリティである。

哲学者の井筒俊彦は、言葉である言葉には限定されない、うごめく意味の顕れを「コトバ」と書いた。ここでの海の音が、神仏の無音のコトバであるのはいうまでもない。

神仏は、言葉によって人間に語りかけてくることもある。だが、多くの場合は、文字や声にはできない「コトバ」によって呼びかけてくるのではないだろうか。

他者の話を聞くとき、私たちがまず、なさねばならないのは黙ることである。祈りの地平でいえば、それは願いを鎮めることにほかならない。

願ってはならないのではない。願う必要がないのである。

若松英輔『沈黙のちから』より

いいなと思ったら応援しよう!

小林範之
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。