見出し画像

管理職、スケープゴートとしての歴史

書籍『ヒューマノクラシー』の章立てに沿って、官僚主義的なエピソードや、本の記載内容の背景などを紹介しています。

第2章 官僚主義の問題点を診断する 標準化され、思考を阻んでいる P.85
そして、この「強制」を担当するのは誰か。もちろん、マネージャーである。
 仕事の標準化にあたって、テイラーは新たな職場の独裁者たちのために、需要関数と職務記述書の両方をつくった。ルールが守られ、変動を最小とし、ノルマが達成され、怠け者は罰せられる。これらを確実に実行するのがマネージャーの仕事だった。

マネージャーはなぜ存在するのか?それは部下の勤怠を管理し、部下が上げるパフォーマンスを管理・制御するために存在するというのが、官僚主義パラダイムにおけるマネージャー像です。
 
元々マネージャーの原型というのは中世の荘園経営にあったとされます。荘園領主がすべてを自分で管理するわけにいかないと、小作人から代表者を選び、管理ポストに就けたのがその始まりだとされます。この時点で、経営者はブルジョワジー、管理者は労働者と同じプロレタリアートであったという事実は見逃してはなりません。この構造は現在においても変わりありません。課長以上は労働組合からは外れるかもしれませんが、経営者ではありません。部長以上は経営側とされるかもしれませんが、オーナー経営者とは異なり、企業に出資しているわけではありません。あくまで、マネージャーといっても、労働者の代表的立場であるというのは中世から変わりはありません。
 
荘園主が、一人、管理人を選んだことによって、その管理人と小作人たちの間柄はどうなったか?管理人は領主の代理人となったのですから、強権をふるうようになりました。そして、一方的に小作人たちの恨みを買っていったのです。領主に不満があり、暴動が起これば、最初に吊るし上げられるのが管理人でした。領主にしてみればよいスケープゴートでした。管理人は領主に対し、確実に小作人から納税させるという義務を負い、そして、そのための権限を得ました。管理人は名誉職であり、また、他の小作人よりも多くの収入を得ることができましたが、責任の大きさに対して、使える権限の領域の狭さや小作人からの恨みを一身に受けるというトレードオフは、荘園主との契約においてフェアだったのか疑問が残るところです。
 
上では「『強制』を担当するのは誰か。もちろん、マネージャーである」とあります。マネージャーになると多くの部下から持ち上げられて、おまけに指示のとおり動いてくれるから、とても気分がいい、ということはあるかもしれません。給料は一般職の時の1.5倍になり、社内だけでなく社会的地位も上がった。キャリアアップにもなった、ということもあるかもしれません。しかし、ここで間違ってはいけないのは、「部下に強制できるようになった」、もしくは、そういう立場になったのではないということです。正しくは、「強制しなければならない」立場です。パフォーマンス管理という重大な責任を負わされていることを忘れてはなりません。それが官僚主義におけるマネージャーの役割です。
 
今は、荘園時代と違い、暴動の心配はいらないかもしれませんが、苦労が絶えないという点では昔も今もそんなに変わりはありません。最近は、パルスサーベイやES調査を導入する企業が増えてきています。つまり、部下に慕われているか嫌われているかは、全部数値で報告されてしまうのです。自分のチームを強化していくために抜本的な動きを取っていきたいと思っていても、サーベイの点数が下がってしまうので何もできないというマネージャーの声はよく聞きます。何か動きをつけようとすると一部のメンバーに反発が起きて点数が下がることが前もって分かっているからです。マネージャーとしての評価を下げてまでやることかという自問自答をしながらも、結局は何もしないところに落ち着いてしまう、これも、官僚主義組織のマネージャーの典型的な姿です。

いいなと思ったら応援しよう!

小林範之
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。