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渋沢 栄一『論語と算盤』
渋沢 栄一 著、守屋 淳 訳『現代語訳 論語と算盤』を読みました。
『論語と算盤』という本は、渋沢栄一が書いたわけではなく、渋沢栄一が行った講演の口述をまとめたものになります。
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渋沢栄一の価値観が詰まった一冊になります。
ちょっと説教臭いなと感じるところもありますが、渋沢栄一の言葉に耳を傾けるつもりで読むのが良いと思います。
常識とは何か
常識とは何か?
渋沢栄一は「智、情、意」の3つがバランスよく保たれた状態が完全な常識であると考えます。
「智」は知恵です。
知恵が十分になければ、物事の判断を誤ります。
しかし「智」だけが膨れ上がって情愛の薄い人間では、他人を突き落としても一向に構わない、他人の迷惑や痛みを考慮しないサイコパスのような人間になってしまいます。
「情」は情愛です。
「情」が加わることで人生の出来事に円満な解決を与えてくれます。人間にとって「情」はなくてはならないものです。
しかし「情」にも欠点があって、瞬間的にわきあがりやすいという性質があります。
喜び、怒り、悲しみなどの感情に流されずコントロールする必要があります。
「意」は意思です。
動きやすい感情をコントロールするのは強い意思の力です。
しかし意思ばかり強くて、「智」や「情」が欠けると、自分の主張が間違っていても直そうとしない頑固者になってしまいます。
「智、情、意」の3つをバランスよく成長させることが大事というわけです。
習慣は感染する
良い習慣を積み重ねることが大事なのは言うまでもありませんが、習慣の怖いところは他人にも感染するところです。
良い習慣だけでなく悪い習慣も感染するので、大いに気を付けなければいけません。
習慣は老人になっても努力で改められるから、老人になってもやはり重視しなければならないと渋沢栄一は言います。
志だけでは不十分
世の中は、不真面目な人がかえって社会から信用されたり、逆に真面目な人が落ちこぼれたりする場合も少なくありません。
「人のためになりたい」と「志」だけが立派でも、「振舞い」が人の害になっていては善行といえません。
例として、褒美をもらうことを目的に人助けをしたとしても、良いことをしたことには変わりありません。
「志」の善意よりは「振舞い」の善意の方が人目につきやすいのも事実で、口がうまく、おべっかを使う人間が比較的成功し、信用を得やすいという事実は確かにあります。
勉強をしない国民に未来はない
渋沢栄一は高齢になっても、なお様々な事業に携わり続けました。
年齢に関わらず勉強の心を失ってしまえば進歩や成長はおぼつかなくなるし、そんな勉強をしない国民によって支えられる国家は、繁栄も発達もできないと渋沢栄一は言います。
ただし知識がどんなに十分であっても、活用し実践に結び付けなければ意味がありません。
似たような感じのことを福沢諭吉も『学問のすすめ』で言っていますね。
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。
もっとも、福沢諭吉は真逆のことも言ってます。
「目的なしの勉強こそ本当の勉強」であると。
どっちだよってツッコみたくなりますが、要は優先順位の問題ってことですかね。
すぐ実践に結びつく勉強、例えば来週のテストの勉強とか、仕事に必要なスキルの習得は最優先で勉強するしかないですからね。
そういった目の前の必要な勉強はやって当然なんですが、その上で目的のない勉強もやる(読書もこれに含まれますかね)、それが本当の勉強ということなのかなと個人的に解釈しています。