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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を学ぶ

はじめに

この記事は、何の予備知識もなく独学でプロ倫(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)に挑戦してみた結果、挫折した経験を持つ人間が書いた記事です。うまくまとまっていない点や間違って解釈している点があるかもしれません。

プロ倫について全体像を理解したいという方は、園丘くすみさんの記事を読まれることをオススメします。

とても丁寧にまとめられています。


プロ倫って何?

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』というラノベみたいに長いタイトルの本なのですが、これがまあ難しい!

私は『プロ倫』を大学生協の書籍コーナーでたまたま見つけて読んだ(そして挫折した)のですが、文系の大学生だったらプロ倫の講義があったりするのでしょうか?
私は理系の大学だったのでウェーバーに関する講義はありませんでした。

難解な本ですが、幸い解説が充実しているので、そこから熟読していくと理解が深まります。

ウェーバーに関する本はいくつか読んだ中で個人的に一番分かりやすいなと思ったのが橋本 努 著「解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』」です。

とても分かりやすいです。オススメです。

資本主義の精神

16世紀以降の西洋社会では、宗教改革によってプロテスタンティズムが勃興しました。
16世紀末のドイツでは、しだいに近代の大商工業が発達していきました。
その担い手として台頭していったのが、実は信心深いプロテスタントの人たちだったというのです。

大商工業が発達し、やがて資本主義が発展していった。それは分かる。
しかし、その担い手がプロテスタントの人だったというのは、一体どういうことなんでしょうか。

我々の感覚からすると、資本主義というのは人々の金銭欲だとか、商人が金儲けを工夫していったから発展していったんじゃないかという気がします。
しかしそうではなく、信心深いプロテスタントの禁欲生活から「資本主義の精神」というものが生まれていったんだよとウェーバーは論じます。

「資本主義の精神」というのは、ウェーバーにおいては、快楽主義を排して、ひたむきに貨幣を獲得し、獲得した貨幣をすべて投資に回すという、ある種の異常さをそなえた行動原理であるとされている。

橋本 努「解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』」

熱心なプロテスタントの人って、ものすごく禁欲的な生活をしていたんですよ。
徹底的にお金を稼ぐけれど、それを使わない。使わずに投資に回しちゃう。こうして「禁欲的な信仰の生活」と「資本主義的な営利の生活」が両立されていたんです。
「うまいものを食いたい」とか「がっぽり稼ぎたい」とかそういう理由で経済的に頑張っていたわけじゃなんです。


ベンジャミン・フランクリンから「資本主義の精神」を読み取る

ウェーバーはプロ倫で、ベンジャミン・フランクリン(1706年~1790年)の言説から「資本主義の精神」を読み取っています。

ベンジャミン・フランクリン(100ドル紙幣)

フランクリンは若い頃にTodoリストを作って、徳を積むことを習慣化しようと頑張っていました。
Todoリストには「暴飲暴食はアカンよ」「くだらないおしゃべりはダメよ」「浪費するな」「エッチなことにうつつを抜かすんじゃあない」的なことが書かれていました。

ウェーバーは、こういうフランクリンの生き様を見て「資本主義の精神を体現している」と評価しています。

ウェーバーが特に注目したのはフランクリンの経済倫理観でした。
ウェーバーによるとフランクリンは、誠実さを大切にするだけではなく、自分の資本を増やすことが「道徳的な義務」であると考えていました。
そこには、ある「エートス」が表明されているといいます。

「エートス」とは、「持続的な情熱」のことです。
一時的に燃え上がっては消えてしまう「パッション」とは異なり、人間の心の深いところで持続し、その人の人生を突き動かすものです。
スポーツ選手がひたすらトレーニングに打ち込むように、一定の期間持続する情熱がエートスです。

フランクリンは、お金儲けに関心はあるけれども、お金を使うことには関心がない。お金儲けのために自分の仕事に専念する。仕事に専念して能力を発揮する。するとそのような営みには、独特なエートス(持続的な情熱)が宿る。ウェーバーによれば、それは職業倫理であるという。持続的な情熱をもって仕事に専念するという職業倫理。そのような倫理が「資本主義の精神」の一つの例示であるという。

橋本 努「解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』」

「資本主義の精神」の位置づけを図にするとこんな感じです。

「資本主義の精神」の位置づけ

市民の精神

「資本主義の精神」という言葉は、実はウェーバーと同時代のゾンバルトという人物が先に用いた用語でした。
ゾンバルトは、「資本主義の精神」は大きく分けて2つの要素から成り立っていると言いました。

「企業精神」:金銭欲、冒険欲、計画実行力、など
「市民精神」:勤勉さ、礼儀正しさ、節制など

ゾンバルトは、これら2つの要素が合体して「資本主義の精神」が形成されると考えました。
これに対してウェーバーは、「資本主義の精神」を、ゾンバルトが指摘する「市民精神」にのみ限定して捉えました。
「企業精神」に関しては、いつの時代も存在しているからとくに新しい要素ではないというのがウェーバーの考えです。


天職(ベルーフ Beruf)

ウェーバーの言う「資本主義の精神」とは、貨幣を獲得し投資することが「倫理的な義務」であるとみなしています。
貨幣を獲得するために、ひたすら働く。そして稼いだ貨幣を投資する。そのための労働は天職ベルーフよ呼ばれます。

ベルーフはドイツ語で「天職」を意味し、「世俗的な職業」と「神の召命」という2つの要素を兼ね備えています。

この「天職ベルーフ」という言葉はどこから来たのか。それはルターの宗教改革にさかのぼるといいます。

「身分制のなかであてがわれた仕事は、あなたの性に合っていないかもしれない。しかしそれは神があなたに授けてくれたものだ。だからあなたは、この仕事を通じて神に従えなさい。そうすれば神に召されるでしょう」

こんな感じのメッセージが、ルターの言う「天職」には含まれていました。


大体こんな感じのことがプロ倫の第一章には書かれています。
第二章については後日、別記事にまとめる予定ですが、だいぶ先の話になると思います。


「よい人生」について

合理的な生き方とは、自分の幸せを求めて利己的に行動する生き方です(それが良いか悪いかはともかく)。
「資本主義の精神」の担い手たちは、ひたすら働いて、消費せずに死んでいくことを良しとしました。
その生き方はこの上なく非合理的なわけですが、そういう生き方を「よい人生だ」と考える人もいるわけです。

「よい人生」には様々な立場があります。
「資本主義の精神」を追求する人、個人の幸福(エウダイモニア)を追求する人、子孫の幸せや繁栄を願って働く人など。

よい人生とはなにかという答えは各人にまかされていると同時に、私たちが属する国や組織を通じて感じた問題関心にも依存しています。

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