泥棒との対話。
「あまり期待してお読みになると、私は困るのである。」
この一文から物語は始まる。何も困ることはない。傑作なのだ。もしかしたら、彼の作品の中で一番好きかもしれない。文学的にどうだとか、思想がどうだとか、詩的だとか散文的だとかそんな小難しそうな議論は必要ない。とにかく面白いのだ。では、泥棒をテーマにしたエンタメ作品か、と言われれば全くそうではない。エンタメとは非常に遠い。これは、私小説風フィクションである。しかし、本当にフィクションだろうか、と思わせる場所もあり、そこもこの作品を楽しむ醍醐味だ。
どんな話か、といえばタイトルにあるように「泥棒との対話」である。なんとこの作者、泥棒を家に招き入れ、なけなしの生活費を自分から差し出した挙句、逆ギレして大演説をするというとんでもない破天荒に及んでしまうのである。しかも、その大演説は一切聞かれることなく泥棒は帰っていく。彼は帰っているのに気づかずに、真夜中に一人で大騒ぎをするという体たらく。だけどなぜか笑えてしまう。
この作品を読むまで、私はこの作者を誤解していた。破天荒でナルシストで、皮肉屋で、女たらしで、いっつも自嘲気味で、活動的かと思えば陰湿で、不真面目な、そんな人間だとおもっていた。実際、そうなのかもしれない。だけれども、この作品を読んでその印象はちょっと遠のいた。彼には非常にユーモアのセンスがあり、不器用だけど真面目で、親しみやすい人間ではないか、と思った。こういうところが彼の人たらしである所以なのかもしれない。でなければ自殺未遂にそう何人も付き合ってくれないでしょう。サイコパスってこういう人かもしれない。
それでは、どんな物語か追っていこう。その前に少し注意しておこう。というのも、この作品はしばらく面白くない。冒頭から、泥棒のくだりに入るまで何かを独白している。借金の話とか、文学についてとか、私小説とは何か、とか色々ごちゃごちゃ書いている。今までの素行が悪かったので、私小説風の物語を書くと本気にされてしまうから用心してくれというのである。全部嘘だから、注意してね、絶対に嘘だからね、と前置きしてからようやく泥棒の話に入る。それにしても、なんでそんな前置きが必要なのかと思う。そんなこと言われると、もしかすると実際は、などと考えてしまうものである。
どのあたりが面白いのか、ちょっと紹介してみよう。まず、私がなんだそりゃと思ったのは、夢のお告げのくだりである。けしからん夢を見たというのである。それが「大泥靴の夢」である。大泥靴とはなんだろうか。彼は夢の詳細を教えてくれない。大泥靴とは何かと考えていたら、泥棒に入られた、だから、これはけしからん夢だということらしい。しかも、何故みんな教えてくれないのかとちょっと怒り気味である。彼は大真面目なのだ。そこが面白い。
次は、これが一番好きなところなのだが、意味不明なセリフが急に思い浮かぶとよくないことが起きるらしい。彼にとってのそれが「やってきたのはガスコン兵」というセリフである。全く意味がわからない。でも何故か、リズミカルである。実際に口に出して言ってみると、何かクレイアニメに出てきそうなガスコン兵がひょこひょこやってくるようなイメージが湧いてくる。しかし、ガスコン兵とはなんなのだろうか。本当にわからない。彼は大真面目にいう。「虫の知らせというやつであろう。けれども、まさか、これがどろぼう入来の前兆であるとは気がつかなかった」。おいおい本気か、と疑ってしまう。他にもたくさんの前兆があったと彼はいう。しゃっくりが止まらなくなったり、耳のあなが痒くなったり、酒を飲みたくなったり、庭へトマトを植えようとしたり、実家の母にご機嫌伺いの手紙を書きたくなったり、こういうことが起きると泥棒に入られる前兆だというのである。絶対にそうだから、信じなければならないとまでいうのである。いや、だとしたら世のほとんどの人たちは常に泥棒に入られる危険の中にあるということにならないだろうか。確かに、誰しもに可能性はあるけれど、上で挙げたような前兆が本当に前兆として機能するのだろうかーー?こんな感じでいちいちツッコミを入れながら読み進めるのがオススメである。
そして、ついに泥棒に入られた4月17日の話が始まる。その日はしゃっくりが止まらなかったらしい。朝8時から夕暮れ時までずっとしゃっくりをしていた。ようやく止まったので、今度は実家の母に手紙を書こうとしていたその矢先である。外で雨傘を開く音がする。誰かいるな、と思った彼は窓の外に目をやる。すると、白いしゃもじのような顔が塀の上からこちらを覗いているのだ。普通、ゾッとするところだが、彼はとっさに「やってきたのはガスコン兵」と言ってしまう。出た、あのフレーズ!。すると、顔はすっと何処かへ消える。これがのちの伏線になる。多分、泥棒だったのだ。このくだりの後、再び彼は独白に入る。ここは冒頭の独白と違って結構面白い。小説がうまくかけない話や、風呂敷を落とした話などが語られる。
夜。彼は、布団に腹ばいになり、たばこでも吸おうとする。すると、足元でねずみが柱をかじる音が聞こえる。その音にふっと目をやると、手!手が雨戸の端から伸びているのだ。その手は雨戸の内鍵を外そうとしている。とても怖いシーンである。彼も、泥棒だ!と驚く。しかし、次の瞬間彼は「心を込めて握りしめちゃ」うのである。すると哀れな声が聞こえてくる。
「おゆるし下さい。」
「私は、突然、私の勝利を意識した。」
そして、何を思ったのかさあお入りなさいと泥棒を家に上げてしまうのである。勝利したからだろうか?泥棒は素直に入ってきて、「金をだせえ。」と2回いう。彼は、それよりも、草履を脱ぎたまえという。一体なんのやりとりなのだろうか。挙げ句の果てに、彼は電気を消してしまい、これであなたの顔はわかりません、安心だなどという始末である。完全にどうかしている。
この後も、彼と泥棒は火鉢を囲んでとぼけた会話をしたり、ほらここにはお金なんかありませんよ、例えばこの引き出しなんかはね、と言いかけてそこにお金があることをふと思い出したりしてまごついたり、逆上して大演説をしたりする。始終しっちゃかめっちゃかなのである。この後も冗談のような掛け合いを続けていく。それは読んでからのお楽しみということにしよう。
それでは、最後になぜ彼はここまでめちゃくちゃなのかについて考えてみることにしよう。この作品は彼の中期のものである。冒頭でも述べたが彼は破天荒な生活を送ってきた。麻薬中毒と自殺未遂の地獄の日々からなんとか立ち直り、作家として再スタートを切ろうとしていた時の作品である。この頃の作品はこれまでの地獄の記憶と、これから歩んでいきたい平凡な生活に対する願望との格闘の記録と読み取れるようなものが多い。そのため、作品の所々に彼の本音をうかがうことができる。私は、この本音こそ本来の彼なのだと思う。ユーモアがあって、不器用だけどまじめな彼である。過去との格闘ゆえ、一見破綻したような作品が多く見られるものの、後世に残る傑作も数多く輩出している。誰もが一度は読んだことがある、あの名作も実は中期の作品である。というわけで、彼の本音を聞きたいときは、中期の作品に触れてみるのが良いだろう。とりわけこの作品が一番のおすすめである。
さて、誰の作品でしょう?
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