クリエイティブを止めない責任
先月あたりから、我がクラスの一年生が毎日のようにお手紙を書いてくれます。最初は絵のお手紙だったのですが、だんだん進化して、文章のお手紙に変わってきました。
休み時間や放課後に書いてくれることが多いようです。そうじゃないときは、お家でわざわざ書いて持ってきてくれています。ありがたいですね。
で、そのお手紙ブーム。
先週、担任なのに四日も仕事を休んでしまったので、
さすがにそのブームも冷めたかな?と思いきや、休み明けに教室に入ってみたら、ちゃんとこれまで通りにお手紙がハンガーにかかっていました!
しかも三枚。読む前からもう、心があたたまりますね〜。
「恥ずかしいから、心の中で読んでほしい」と言われましたが、素敵なお手紙なのでシェアさせていただきます。(ごめんね)
風邪を労うお手紙でした。復帰後のお手紙は、こうでした。
かわいすぎる!
お手紙をいただけるというのは、人として、それだけで十分うれしい。のですが、担任としての喜びも、結構いろんな意味であるのです。
先生はサービスする人?
教育を無償で受けられることが当たり前になっている昨今、学校や教師は悪口の対象になることがよくあります。たしかに、こちらの未熟さもあるでしょうが、もっとそれ以前に、教育を受けられることのありがたみというのが、社会的にもう全然ないような気がします。
そんな中でも、自然に近いまま育った子の多くは先生に習う楽しみをもって入学してきます。ですが、例えば、小さいうちから詰め込みで勉強や習い事をしすぎてしまった子、大人にサービスしてもらうことが多すぎた子は、どうしても「わたしをどう楽しませてくれるの?」みたいな、お客さん意識がちょっと強いよな〜という印象です。
何かが生まれる過程、生み出す労力というのも知らないゆえに、与えられたものに対して簡単にケチをつける傾向もあったりします。(それがネガティブなことだともわかっていない様子)
脱・お客さんの目印として
実は、せっせとお手紙を書いてくれているこの一年生女子も、一学期のうちはなんでも「ケチをつける子」でした。大人に憧れる気持ち、尊敬する気持ちというのが、他の子にくらべると俄然薄かったです。
口が悪すぎて、いろんな先生に怒られまくっていました(笑)
わたしもカチンときたりしながらも(叱るのも大事ですね)、目の前にある物や機会のありがたみがわかるように導くのが担任の仕事だからと、あの手この手で、いつかのための仕込みを続けてきました。
その子が変わってきたのは、二学期の後半ごろかな。教科書なしの毎日の授業がもう、自らでせっせと生み出す活動の連続です。インプットしたら、アウトプットする。受け取ったら、発する。その呼吸をひたすら繰り返す授業なので、いざ自分でやってみる難しさも、醍醐味も、言葉で説明しなくたって自然にわかってくれるようになりました。
11月のわたしの誕生日のときは、手づくりのネックレスをプレゼントに用意してくれました。持ってきたはいいけれど、恥ずかしくてなかなか言い出せない様子がとてもかわいかったですね〜。
そんなわけで、今回のお手紙責めは、成長のサインとして受け取らせていただいています。
クリエイティブを止めない責任(レスポンシビリティ)
responsibility。ふつう「責任」と呼ばれるものですが、もっと直訳的に「応答する能力」と捉えまして。
わたしは引き出す人(educator)として、人のクリエイティブを止めない責任があると思います。職業が何かは関係なく。まわりの人が何かをアウトプットしてくれたとき、きちんと応答したいのです。
ただし、そんなに大袈裟なリアクションはしません。ちゃんと、心がうごいた分だけの反応をすること。(ありがとうって言うとか、大事にとっておくとか)自分のふるまいによって何が引き出されるかに、敏感でいることです。
手紙を書け〜、書けよ〜〜〜ってプレッシャーをかけているわけではありませんよ(笑)その子から自然と出てきた良い芽に、ただ光を当てている感じです。
といっても、土の中にいて芽が全く見えない時期もあるんですけどね。
そんな時期でも光を当て忘れないために、今日はこのnoteに書き残しておくことにしました。数ヶ月後の自分への応援。
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