出せない手紙をもって小さな旅にでる
敬老の日前後はいつも決まって、
自分のおじいちゃんおばあちゃんではなく、ただの一度もあったことのないおばあちゃんのことを思い出す。
そして、そのおばあちゃんが、読書のことを「小さな旅」と言ってたことがとてもとても好きだった。
・・・
小学生のとき、地域の「老人憩の家」宛てに
お手紙(ハガキ)を書く取り組みがあって、(今では個人情報の関係で無理だろうけど)
稀にそのお手紙へ、おじいちゃんおばあちゃんたちから「お返事」が届くことがあった。
なんだかそれがものすごくうらやましかったわたしは、「お返事が来ましたよ」と名前を呼ばれることを密やかに期待しては、毎年がっかりしていていたのだ。
やがて、ついにある日わたしにも待ち焦がれていた「お返事」が届いて、あまりにうれしかったもので、「お返事をありがとう」という手紙をまた書いた。今度は小学校ではなく、家の住所にお返事が届いて、うれしいからまた手紙を繰り返し書いた。
そうして、おばあちゃんとの文通は小4から高2までの7年もの間続いた。
ちょうどいまくらいの季節だったと思う。
わたしがおばあちゃんに出した最後の手紙は残暑見舞いで、その日はすこし肌寒く、バイト行く前に羽織ものをとりに帰ったことを憶えている。
おばあちゃんからのお返事だと思い、
帰りがてら読んだその手紙は、おばあちゃんのお孫さんからの手紙で
わたしはその手紙でおばあちゃんが老衰で亡くなったことを知った。
それから、その手紙には
「字が下手で恥ずかしいから」と言うおばあちゃんの代わりにお孫さんが代筆していたこと、
自分もおばあちゃん子だったこと、手紙が届くとおばあちゃんが嬉しそうにしていたこと、
そんな風にして成長していくあなたを見届けてきたこと、そして自分も結婚して娘がいることが、確かに見慣れたやわらかい文字で綴られていたのだった。
どうしてもその手紙のお返事は書けなかった。
もう書いちゃいけないような気がした。
代わりに手紙を読みながら何度も泣いた。
一度も会うことはなかったおばあちゃんと
文字で会っていたお孫さんと、わたし。
この時期になるとどうしても思い出す。
おばあちゃん、お元気ですか。
わたしはこれからも小さな旅を続けていくよ。
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