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不器用でも大丈夫。想いが伝われば、それが最高の文章

こんにちは、シノスケです。

先ほどTwitter(現X:@IdeaWev)で
こんなことをつぶやきました。

「素晴らしい文章」とは何なのか?
それは、「伝えたい人に伝えたいことが伝わる文章」なのではないかと思います。

Twitter(現X)からの引用


最近…というか、昔からよく考えるんですよね。

「伝わる」って、一体何なんだろう?って。


例えば、好きな人に告白する手紙(ラブレター)。

内容は完璧、誤字脱字もない。

でも、相手には響かなかった…。


逆に、子供が書いたたどたどしい手紙に、
涙が止まらなくなる。


そういった話がよくあります。


「文章力を高めましょう!」とはよく言うけれど、
そこで学ぶことはたいてい「文章を書く技術」のお話。

ですが、文章力の技術があれば「伝わる」のであれば、
子供が書いたたどたどしい手紙で
涙が止まらなくなるほど心に響くことはありません。


「伝わる」の先には、
もっと深い何かがあるんじゃないのか?

もし、本当にもっと深い何かがあるのであれば、
それを見つけ出し、言語化していきたい。

そんなことを考えています。


「伝わる」と「共感」

先日、ネットサーフィンをしていたら、
とあるブログ記事を見つけました。

ブログ記事の内容は専門用語が多く、
正直、少し抵抗を感じていました。

ですが、読み進めていくうちに、
いつの間にか最後まで読んでしまっていたんです。


最初は難しくて理解できない部分もありましたが、
記事から熱意がひしひしと伝わってきたんですよね。

難しい概念をわかりやすく説明しようとする工夫や、
専門用語を使うときの楽しそうな様子が、文章から溢れ出ていたんです。


読み終わった後、気づきました。

このブログが面白かったのは、
著者の「好き」が詰まっていたからだと。

難解なテーマでも、
それを心から楽しんでいる著者の気持ちが、
僕にも伝わってきたんです。

まるで、子供の頃に夢中になって遊んだおもちゃを
大人になった友達が楽しそうに紹介してくれるような、そんな感覚でした。


「伝わる」ことと「共感」には、
強い関係性があるとよく言われていますよね?

というよりも、
そもそも文章が伝わるかどうかは
「関係性」がとても重要です。

良い関係性であれば、理解に努めるため伝わりやすく、
悪い関係性であれば、理解しようとしないため伝わりづらくなりますから。

そう考えると、「共感」というのは、
「関係性」を良くし、「伝わりやすくする」力があると考えられます。


知識や情報を伝えるだけでなく、
その裏にある情熱や楽しさを共有する。

それによって、
読み手の心を動かす可能性が高まるでしょう。
(あくまでも、"可能性"ですが)


「好き」が溢れた文章が苦手な人もいますが、
「好き」が溢れた文章に強く惹かれる人もいます。

難しいことでも、
自分が心から楽しんでいることを伝えれば、
誰かの心に響くかもしれない。

そんな希望を感じさせてくれる、素敵な出会いでした。


論理を超えて、心に届くもの

小説、映画、音楽…。

これらの芸術作品は、
僕たちを深い感動へと誘い、
時には人生観さえも変えてしまうほどの力を持ちます。

しかし、その魅力を論理的に説明することは容易ではありません。

なぜなら、これらの作品は、
単なる情報や知識の伝達を超えた、
もっと深いレベルで僕たちの心を揺さぶるからです。


例えば、ある小説を読んだとします。

その物語は、
緻密に練られたプロットや巧みな文章表現によって、
読み手を物語の世界へと引き込みます。

しかし、僕たちが感動する場面は、
登場人物たちの心の葛藤や成長、
あるいは彼らが抱える人生の苦悩や喜びに、
深く共感したときではないでしょうか。

それは、まるで自分自身の経験と重なり合うかのような、
生々しい感情の体験です。


映画もまた、視覚と聴覚を通じて、
僕たちを映画の世界へと誘います。

美しい映像、心に響く音楽、俳優たちの迫真の演技…。

これらの要素が一体となることで、
僕たちは物語の中に入り込み、登場人物たちの感情を追体験します。

そして、物語のクライマックスを迎えたとき、
僕たちはまるで自分自身がその場にいたかのような感動を覚えるでしょう。


音楽は、言葉を超えて僕たちの心に直接語りかけます。

あるメロディーを聴いたとき、
僕たちは言葉では表現できない感情に包まれます。

それは、喜び、悲しみ、怒り、希望…。

様々な感情が、音楽を通して呼び起こされ、共鳴します。


これらの芸術作品は、
作り手の情熱や想いが、作品を通して僕たちに伝わってくるからこそ、
僕たちの心を深く揺さぶるのではないでしょうか。

完璧な技術や論理的な構成だけでは、
真の感動を生み出すことはできません。

そこに、作り手の魂が込められているからこそ、
僕たちは心を動かされるのだと思うのです。


文章も同じです。

完璧な文法、洗練された表現、論理的な構成…。

これらは確かに優れた文章の要素と言えると思います。

ですが、それだけでは、
読み手の心を打つことは難しいかもしれません。

不器用であっても、
書き手の想いが込められた文章には、言葉を超えた力が宿ります。

それは、読み手の心に直接語りかけ、共感を生み出す力です。


だからこそ、僕たちは
「伝わる」の先にあるものを目指すべきではないでしょうか。

それは、単に情報を伝えるだけでなく、
読み手の心を動かし、共感を生み出す文章です。

そのような文章を書くためには、
技術や論理だけでなく、
自分自身の想いや情熱を大切にすることが重要なのかもしれません。


完璧な文章よりも、
不器用でも想いのこもった文章の方が、心に響くことがある。

それは、芸術作品にも、
そして僕たちの日常にも共通する真実なのかもしれません。


「伝わる」の先にあるもの

「伝わる」の先にあるもの、それは一体何なのでしょうか?

それはもしかしたら、「変容」なのかもしれません。

読んだ人の心が動き、感情が揺り動かされ、
そして、その人の考え方や行動にまで変化が生まれる。

そんな文章こそが、
「伝わる」の先にある境地なのかもしれません。


例えば、ある社会問題について書かれた記事を読んだとします。

その記事は、
客観的なデータや論理的な分析に基づいて書かれており、
読み手はその問題の深刻さを理解することができます。

しかし、それだけでは、
読み手の行動を変えることは難しいかもしれません。


一方、同じテーマについて書かれた別の記事があるとします。

そこには、問題に直面している人々の生の声や、
書き手自身の葛藤や思いが綴られています。

読み手は、その記事を通して、問題を自分事として捉え、
何か行動を起こしたいという衝動に駆られるかもしれません。


それは、単に情報が「伝わった」だけでなく、
読み手の心に変化が生まれた瞬間です。

「伝わる」の先にある「変容」は、
読み手だけでなく、書き手自身にも訪れることがあります。

自分の考えや感情を文章にする過程で、自分自身を見つめ直し、
新たな気づきを得ることもあるでしょう。

文章を書くことは、
自分と向き合い、世界と繋がり、
そして共に成長していく旅なのかもしれません。

だからこそ、
僕は「伝わる」の先にある「変容」を目指し、
書き続けたいと思うのです。


まとめ

「伝わる」とは何か?について考えてみた結果、
「共感」や「変容」といった要素が大切なのではないかと。

共感は、
書き手の情熱や楽しさが読者に伝わり、
心のつながりを生み出す力となります。

また、変容は、
読み手の心を動かし、考え方や行動に変化をもたらすほどの
強い影響力を持ちます。


単に情報を伝えるだけでなく、
読み手の心を動かし、共に成長していく。

そのような文章が僕にとっての「素晴らしい文章」の一つなので、
「書き手と読み手が共に"変容"を体験する」
そんな文章を目指して書き続けていきたいですね。


それでは、最後までお読みいただき、
ありがとうございました!

あなたにとっての
「素晴らしい文章」とは何でしょうか?

もしよろしければ、ぜひ教えてください!


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