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私にとっての絵と詩
今月は、幾作品か絵を描き終えた。
ただ私の場合、絵を描き終えて「さぁ完成だ」とはならない。
絵に何か一言書き添えたくなって、早起きした朝は描いた絵と向き合い頭に浮かぶ言葉を書き留めていく。
それがいつも、「詩」という形で完結する。
詩は、描き終えた絵をぼーっと眺めながら心に浮かんだ言葉を紡いでゆく。
それはまるで、言葉の煌めく小さな星屑を組み合わせるかのよう。
広い集めては繋ぎ、外しては別の言葉に繋げてみる。その繰り返しだ。
絵のイメージに大体落ち着くな…と思えたら、やっと「作品」が完成する。
SNSに公開し、ふと誰かの目に止まるかもしれないし、見向きもされないかもしれない。
見向きもされなかったとしても、誰の心に響かなかったとしても、いい。
自分が作品に対し納得していることが大切で、誰かの目に止まるような言葉を連ねようとしても苦しくなるだけだ。
私の心の間隙に静かに浮かび上がるものをどうにかして形にしたいと、私自身が思っているのだろう。
完璧に形にできたと思えるものは少ない。
だけど、それでいい。
表現しようとしたことは自分自身を理解しようと努めた行為であり、私という人間そのものを愛した行為になるからだ。
表現したあと心地よくなるのは、きっとそういう理由だ。
心の奥の、もう一人の私が言う。
「本当の気持ち、願いを掬いとってくれてありがとう」
私は、それだけで満たされ、そしてまた描きたくなる。
下手とか上手とか関係ない。
目まぐるしく移り変わる日常の隙間に自分が何を感じているかを感じ、できる限り表出させようと試みることが大切なのだ。
きっと、そういうことなのだ。
そうは言いつつもうれしいのは、私が作る物語に付き合ってくださる方や共感をくださる方がいるということ。
また、誰かの物語と共鳴し世界が広がることも楽しい。
そんな日々を、これからも生きていきたい。