さらば昴よ〜谷村新司さんを悼む
昴の谷村新司さん(以下、谷村さんという。)が、昨年10月8日に亡くなりました。享年74歳と聞いています。人生100年のこの時代に74歳の逝去とはあまりにも早逝であり、谷村さんにはもっともっと長生きして音楽分野で活躍してもらいたかったと思います。
私が谷村さんの逝去を知ったのは、朝日新聞の文芸欄(短歌、俳句)に掲載された作品を読んだからです。文芸欄では、著名人が亡くなりますとその方の死を悼んで、全国の歌人・俳人らが追悼の作品を投稿し、入選した作品が掲載されるのですが、私はその作品を読んで谷村さんの逝去を知ったのです。
私が出会った追悼の作品をいくつか紹介します。
啄木の悲しみ照らす昴には
昴の歌が流れておらむ 菅谷 修
団塊の世代の孤独胸に秘め
谷村新司昴となりぬ 東 賢三郎
寒昴さらば谷村新司逝く 新見 英紀
これらの作品を読んで知ったのですが、谷村さんの昴には、石川啄木の『悲しき玩具』の作品のいくつかが下敷きになっております。昴の歌を聞いて、さぞや泉下の啄木もびっくりしていることでしょう。
『悲しき玩具』から、昴の歌詞の下敷きになっている作品をいくつか拾ってみます。
眼(め)閉ずれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。
呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!
啄木の短歌は、100年余を経ても今なお多くの人々に愛誦され、現代の私達に豊かな想像力をかき立ててくれております。
ところで、私が驚いたのは、啄木は26歳で病没していることです。宮沢賢治は37歳、夏目漱石は49歳でそれぞれ亡くなっております。樋口一葉に至っては何と24歳で亡くなっております。
明治の文人達は何と短命だったことでしょう。それに比べますと令和の御代は男性81歳、女性が87歳と驚異的な平均寿命を達成しています。
もちろん医学の進歩もありましょうが、憲法9条によって平和が守られ、戦争を食い止めていることが、平均寿命を伸ばしていることにつながっているのだと思います。
私達は、以ってこのことを肝に銘じ、日頃から9条擁護の実践に努めていかなければと思います。
さて、思い起こすと、私が自動車免許を取り、最初に買った車の名前は「スバル」でした。てっきり「スバル」は、西洋から入ってきた言葉だと思っておりましたが、さにあらず「スバル(すばる)」は純粋の日本生まれの日本語だということが『枕草子』を学んでわかりました。
古典『枕草子』には「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ・・・」と用例が出ています。辞書で調べてみますと
①「すばる」は「統一される(統べる)」意の文語動詞で、これの名詞用法が「すばる」であること、②また牡牛座にあるプレアデス星団の名前とあります。
このように「すばる」は古くから使われた言葉だったのです。
信州や山形で「すばるまんどき粉八合」という諺があります。この諺の意味は、すばる星が真上に来る頃(二百十日頃)に蕎麦を蒔けば、一升の蕎麦の実から八合も粉が取れるほどよく実るということだそうです。
この諺からは、すばる星の動きが農事の一標準になっていたことが伺われますが、蕎麦どころの信州では、今でもこの諺が生きているのか機会があれば調べたいものです。
話は違いますが、私が生まれ育った沖縄では、蕎麦は栽培されておらず、この地にきて初めてあの黒っぽい蕎麦を食べた時は、カルチャーショックを受けました。
沖縄の大衆食堂では、メニューに沖縄そばがありますが、あのそばは、実は小麦粉でできた麺なのです。
私は物心ついた頃、このそば作りの工程を見たことがあるので紹介します。沖縄そばは、小麦粉に灰汁(あく。灰に水を入れてできた上澄み液のこと)を混ぜてこねて作るのです。灰汁を入れた小麦粉は黄色になり、まるで中華麺の様になるのですが、これが沖縄そばになるのです。
しかしながら、現在は灰汁は使用されておらず、替わりに「かんすい」を使用しているそうです。
名前はそばでも地域によって様々のそばが登場し、日本の食文化を豊かにしてくれるのは楽しいことです。
谷村さんの「昴」から、石川啄木、枕草子、沖縄そばにまで話が広がってしまい、自分でもびっくりしているところです。
【参考文献】
石川啄木『悲しき玩具』
菅谷修『朝日歌壇 令和5年11月19日入選作』
東賢三郎『朝日歌壇 令和5年11月12日入選作』
新見英紀『朝日俳壇 令和5年11月5日入選作』
鈴木榮三・広田榮太郎『故事ことわざ辞典』76版 511頁