安心できること
仕事部屋兼寝室の天井には、引っ越してきた日にはすでに、直径15センチほどの茶色いシミがあった。うっすらとした茶色だったのであまり気にもしていなかったけれど、2年暮らすうちに、少しずつ濃くなってきたような気がしていた。
屋根が雨漏りしているのだろう、と気になっていたけれど、屋根の修理費用ともなるとわたしの手には負えないと思い、そのままにしていた。今度、大家さんが訪ねてきたときに、相談してみようと思って。
先日、大家のIさんが1年ぶりにふらりと我が家へやってきたときに、件のシミを見てもらった。「家の造りはしっかりしているから、雨漏りはしそうにないのだけど」と言いながら、運よくシミのすぐそばにあった、天井扉を開けて中を覗いてくれた。
「やっぱり、雨漏りはしていないね。天井はきれいなものだよ」とIさん。そして、Iさんの次の一言に、わたしは凍りついた。「土と、なにかの動物の糞のようだ。ネズミか、イタチか、そんなところだろう」。
Iさんに写真を撮ってもらうと、そこには天井裏にこんもりと小さい山になった土の、茶色い塊が写っていた。雨漏りの水だと思っていたシミは、土の中に動物の糞が混じったものだったとは。Iさんは「雨漏りはしていなくてよかったね」と嬉しそうだったけれど、わたしは雨漏りのほうがまだよかった、と正直思った。
その日、Iさんは茶色いものたちをきれいに取り除いてくれた。そして、動物避けの薬剤かなにかを、置いておいたほうがいいだろう、と助言して帰っていった。
それからは、動物の体から出たものが、天井を通じて、わたしの部屋に染み出してくるイメージに取り憑かれた。意識をそちらに向けないようにしようとすればするほど、その存在がわたしの中で大きくなっていく。真っ白な天井に、そのシミはとても目立ち、不安や不快感が増していく。
このままではいけないと、天井の処置をすることにした。ペンキ塗りなどのDIYには疎いが、動画でしっかりと予習しておき、当日を迎えた。該当箇所をきれいに掃除し、周囲にマスキングテープを貼って、下塗り材のシーラーを何度も重ね塗りする。防カビ剤も配合とあり、しっかりと膜ができるように、丁寧に塗った。
数時間おいて、ペンキも2度塗りする。ペンキは開封するまで、天井の色と合うのか心配していたけれど、我が家の天井のためにつくられたペンキではないかと思うほど、ぴったりと調和している。塗り終えると、シミがどこにあったのかが、まったくわからなくなった。
続いて、天井扉を開け、シミの真上に段ボールを敷き、その上にネットで注文しておいたネズミ避けのゼリーを置く。いたちも苦手なニオイらしく、効果が出てくれますようにと、心の中で祈る。
あんなにもわたしの心を占めていたシミの存在がなくなったことで、驚くほど晴れやかな気分になった。毎日、長い時間を過ごす家は、いかに心地よく過ごせる場所であるかが大切。些細なことでも気がかりがあれば、安息は得られない。
そして、わたしが安心を感じるようになったら、おもしろい展開が起こり始めた。この家に引っ越してきて以来、天井のシミや台所の壁の汚れ(漆喰壁なので塗り直しができないでいる)などが、とても気になっていた。人を呼びたいと思いながらも、心の深い部分ではきっと、「人に見られたくない」と思っていたのかもしれない。
それが現実となっていたのだろう、何人か友人を招待したにもかかわらず、2年が過ぎても、彼らは遊びにやってくる気配がなかった。
それが、台所の家具の配置換えをしたり、天井のシミを消したりして、わたし自身が心地よく過ごせるようになった途端、友人から「近いうちに遊びに行ってもいいかな?」と連絡がきた。やっぱり、そういうことなんだな、とすとんと腑に落ちた。
表面的な願いと、潜在的な願いがある場合、自分でも気がついていない潜在的な願いのほうが叶いやすいような気がする。まずは、自分自身が安心して、心地よく過ごせることを優先する。そうすればきっと、自然と心地よいものが周囲に集まってくるから。