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レシピ(文字)では伝わらないなにか -祖母のがね揚げ-
南九州にゆかりのある人なら知っているかもしれない。がね揚げとは、ようは「さつまいもを油で揚げたもの」。熊本や鹿児島でつくられる郷土料理だ。
仏事に魚が使えないので、その代わりにさつまいもを太めの拍子切りにして菜種油で揚げ、精進料理として「がね揚げ」を使ったのがはじまりといわれている。
方言で「がね」とはカニのことで、揚げた姿がカニの足に見えることから名付けられた。衣はみじん切りか千切りにしたしょうがで香りをつけ、砂糖を加えて甘めにするのが特徴。カリッと揚げた衣にホクホクしたさつまいもは幅広い世代に親しまれている。
出典:農林水産省Webサイト https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ganeage_kumamoto.html
わたしが生まれ育ったのは、九州の西に位置する海沿いの小さな町。がね揚げは小さい頃よく食べていた懐かしい味で、とくにお盆やお正月などに祖母の家にいくと、必ず揚げたてアツアツのがね揚げがテーブルに並んでいたものだ。
さつまいも自体が甘いのに、がね揚げにはさらにたっぷりの砂糖を加える。初めてつくるところを見たとき、その砂糖の量に正直おののいた。でも不思議なことに、甘さを控えすぎたものはもはやがね揚げではなく、さつまいもの天ぷらになる。
祖母のがね揚げのレシピを知りたいと思ったのは、彼女が施設に入ったあとのことだった。痴呆がはじまり、わたしのことはおろか、実の娘(わたしの母)のこともわからない様子で、レシピなんてとても聞ける状態ではない。
「なんでばあちゃんが元気なうちに、一緒につくっておかなかったんだろう」、と悔やんでも悔みきれなかった。
ある日いとこにそう漏らしたら、なんと、ずいぶん前に祖母からがね揚げのレシピを教えてもらったという。スマホのメモ欄に入っているというレシピを送ってもらい、そのままスーパーへ。さつまいもと生姜、ビールを買い物カゴへと入れる。がね揚げの生地には、生姜とビールを入れるのが定番だ(ただ、地域によっては生姜を入れないところも)。
棒状に切ったさつまいもを水にさらし、しっかりと水気を切っておく。ボウルに卵、きび砂糖、小麦粉、ビール、生姜、少しの塩、水を入れて混ぜ合わせ生地をつくる。そこへ小麦粉をさっとまぶしたさつまいもをくぐらせ、油で揚げる。
このとき、サツマイモは3〜5本くらいを束にするように。がね(カニ)に見えるように。
香ばしく色づき、表面がカリカリになったらできあがり。レシピどおりたっぷりの砂糖を加えたのに、そう感じさせないほのかな甘み。これはいつ食べても不思議でならない。生地に加えるビールは少しの量なので、残りはもちろん、揚げたてのがね揚げと一緒に。
揚げたてはもちろんおいしかったけれど、やっぱり祖母のがね揚げとは何かが違う。「レシピ(文字)では伝わらないなにか」のほうが知りたかったのに。きっと、長年目分量でつくり続けてきた祖母の、料理をするときの手の動きや息づかいなんかも、味に影響するのだろうと思う。
料理本やネットでレシピを簡単に見られる時代だが、台所に一緒に立って、生身の人から料理を教えてもらうのは次元がまったく違う。たとえば、料理本を買わずに、少し高くても料理教室へ参加すると得られるものが格段に違うのもそう。
それは、料理ができあがった「もの」だけでなく、つくる人の経験値やつくる場所の空気感によっても変わってくるものだから。さらにいえば、家族の場合なんかは「おいしいものを食べさせたい」という気持ち(愛情)も大きいだろう。
誰かのために料理をするときは、「おいしいものを食べさせたい」という気持ちでつくろうと、あらためて思った。