リワーク日記132 休職しているからって、無価値な人間になったわけではない!
一度うつで倒れて休職すると、健康が一番大事だと気が付かされます。それ以前も大事だとはもちろん分かっていたことではあるのですが、健康がいかに簡単に崩れてしまうのか、失うといかに苦労を余儀なくされるのかを痛感します。
そして、あんなに「いま私が抜けたら職場が回らなくなってしまう」と思い詰めて無理して働いていたのに、私が休職しても職場は何の支障もなく回り続けてしまうという残酷な現実に打ちのめされます。あの心配と我慢と献身はなんだったのだろう、私は結局のところ必要のない人間だったのだろうか、と大いに困惑させられます。多くの休職者が休職開始時に重荷を下ろせた解放感とともに味わう敗北感でしょう。ですがそれは思い過ごしです。
実際はあなたに限らず、あらゆる組織のあらゆる構成員はいなくなっても問題ありません。簡単なことではないものの、総理大臣でさえ急にいなくなっても後に残った人たちがどうにかするものです。1980年に当時の首相だった大平正芳が倒れた際にも、2000年に当時の小渕恵三首相が倒れた際にも、この国は崩壊しませんでした。究極的には、組織に絶対必要でその人がいなくなったら組織が回らなくなってしまうような人などどこにもいないのです。職場に迷惑をかけないために苦しいのを我慢して頑張るなんて、心掛けは立派ですが、する必要のないことです。気負わず、もっと気軽に自分の健康を最優先して休んだり、手を抜いたり、逃げたりして良いのです。職場に対する責任より自分を大事にする責任を優先するべきです。
とはいえ、社会性を備えた動物である人間はどうしたって集団のメンバーたちから必要性の高い人物であると認めてもらいたい欲求を皆無にはできません。みんなから評価してもらいたい、必要だと思われたい、貢献を認めてもらいたい、大事に思われたい、一目置かれたいわけです。
その点、ネコはもともと個人プレーで生き抜く戦略を選択した生き物ですので一人きりでも平気ですし、自分を最優先することをためらいません。我が家の小さなニャーニャーさん達も実に自己中心的に振る舞います。まあ個体差はありますが。
一方で、人間は集団を形成して生き残る戦略を取っている生き物です。個々人の能力は低くても、チームプレーで何とかする生き物なのです。必然的に集団内の他メンバーと協力関係を築けるかが個人にとっての生命線となり、周囲から自分がどう思われるかを気にするような心理が発生してしまいます。それが行き過ぎると、人間は自分より集団を優先し始め、自分の意思を失ってしまいます。それは利他というよりは付和雷同です。
前の発言者に無条件で賛同する会議の参加者たち、全員が同じメニューを注文する息苦しい職場のランチ、誰を呼ぶかが悩みのタネでしかない結婚式の招待状、事実上強制参加の職場の飲み会、同僚が残業しているなら自分も残業した方が楽という謎の心理…、社会にはこの力学を反映したあらゆる苦悩と悲劇が遍在しています。
そして職場の業務を舞台にした途端に、会社への忖度競争と、我こそが最も成果を挙げて集団に貢献している優秀な人材だというアピール合戦が始まることになります。言ってみれば、職場というのは人間の承認欲求を利用して競わせ成果を引き出す品の悪い装置なわけです。
報酬とは、あなたが仲間から認めてもらいたいと思う本能をどれだけ具体的な成果へとアウトプットしたかで決まるとも言えます。まあ、一つの考え方ですが、これを放っておくと会社への無償の献身という一見崇高ながら違法でしかないアウトプット手法を生み、同調圧力とともに周囲に急速に伝染し、あっという間に際限のない自己犠牲競争へとエスカレートすることになります。これが常態化した集団は、めでたく世間から「ブラック企業」と後ろ指をさされて炎上騒ぎを起こすまで止まることができません。いや、炎上しても止まれるかは怪しいですね…。
今の日本の集団社会の中には、人間の持つ承認欲求をフル活用する仕組みは装備され強力に機能していますが、それに制御をかける仕組みが絶望的なまでに弱いと言えます。いつでも気軽にタイムアウトを要求できる環境が決定的に不足しており、心身を壊して倒れるまで走らなければならないようにできているのです。風邪を引いて「今日は休めないから」などと言って出社するのは日本人くらいのものです。取引先へのプレゼンは健康より価値の高いものなのでしょうか。契約書へのサインはあなたの発熱を癒してはくれませんし、会社はあなたの体調がどれだけ良くなるかよりも取引金額がいくら増えるのかの方にしか関心を持っていません。
残念ながら、人々の意識も制度もまだまだ不十分です。それは我々の、人間というものに対する理解の浅さが原因でしょう。人文科学、哲学の衰退に対する危機感が薄すぎます。理系離れが危機感を持って警鐘を鳴らされる割に。もっと人間を深く理解し、自分を大事に生きられる社会に変化しなければ、この国はただの慢性的な不幸量産国に落ち着くだけでしょう。事実、日本は不安定な非正規社員が4割を占め、GDPも世界4位に転落し、賃金水準は1990年代後半を下回ります。前回の記事で学歴について取り上げましたが、いまや「高学歴層」から「低学歴層」までみんなしてハズレのキャリアをつかまされないよう戦々恐々としながら進路選択をしています。まあ、大抵の場合は安定したキャリアなど手に入りません。なにせ国自体が、人を粗末に扱うブラックで不幸な極東の貧困国に成り下がっているのですから。
ところで、どんなに従業員たちが自己犠牲を厭わず献身的に働いたとしても、企業側もそうやすやすと従業員に高待遇を与えることはできません。市場で受け入れてもらえる製品サービス価格には限度があり、価格に乗せられる従業員の給与の原資には限度があります。そして企業は従業員に支払う予定の報酬の総額を年間予算として決めてしまうことで利益の確保を計画します。はなから本気であなたの努力に応じて報いる気などありません。そんなこととは異なる原理で給与水準は決まるのです。ですから、あなたがいくら働いても職場から得られる報酬金額には限りがあります。そして大体の場合、その報酬水準はあなたの期待を下回るものに留まります。
おまけにそうして給料はケチる上に、たかだか柔軟な働き方すら定着はほど遠いのですから、つくづく日本は働き損な国です。職場には働き手はこき使う対象という発想しかなさそうなあたりが、低すぎる給与水準以上に労働意欲を削いでいる気がするのは私だけでしょうか?
それを踏まえると、身を粉にして仕事に打ち込む理由は乏しいのではないでしょうか?職場はあなたの頑張りを評価しません。ならばあなたも労働の頑張りをカットしてバランスを取るべきではないでしょうか?自分を大切にするのならば、受け取る報酬の範囲内でしか労働力を提供してはなりません。心身の健康を崩しても会社は助けてはくれません。永久に休職できるわけでもありません。自身自身の健康を第一にすべきです。そう、誰の奴隷にもならず自分第一を徹底するネコのように。
まあ、大抵の人は大した仕事なんてしてないでしょ?歴史に残る業績を挙げる人なんていないでしょ?そもそも日本人はイノベーションと呼べるような仕事をしてきていませんし、それを想定した組織運営も国家運営もしていませんよね。せいぜいもともと欧米に存在する技術やアイディアを再現し修正に勤しんでいるに過ぎません。新技術や新たなアイディアを生み出し、それによって発生する社会の摩擦や懸念を解消するための議論を自力で進めたことなんてありません。革新より既存の秩序の維持の方が重視される社会です。それも大事で大変な仕事だって?はい、その通りです。でもそれは、できる社会人のフリをしたり、自分を偽ったり無理をしたりしてまでやる価値のあることですか?どんな仕事でも全力で取り組むべきなんて思っていませんか?人間は全てのことに全力を注ぐことはできません。どれに力を注ぐかを決めるのは、その人の価値観次第です。私は偉業でもない仕事なら全力を注ぐ価値まではないと思います。できの悪い自分を正直に認め、取り繕ったり強がったりせず、報酬の範囲内でできることだけやるのが最善だと思っています。
別に自分を卑下したり自己肯定感を蔑ろにして良いと言っているのではありません。先にも書いた通り、総理大臣でさえ替えが効きます。仕事などそもそもその程度のものです。誰もが替えの効く程度の仕事しかしていません。職業や仕事ぶりをその人を測るツールとしてみなすのもひとつのスタンスですが、唯一の職業観ではありません。私は仕事で重要な役割を果たすよりも、家族やネコたちにとって重要な存在でありたいです。職業は、あくまでそのための資金源のひとつに過ぎません。
ですから、休職しているからといって自分が社会に不要な存在になってしまったと落ち込む必要などありません。そもそも最初から社会に職業上絶対必要不可欠な人材など存在しません。誰もが大した仕事などしておらず、誰もが替えの効く存在にすぎません。その程度のものでしかない仕事を、自分の存在意義を測定する指標にしてはいけません。仕事を通してではなく、例えば家族やネコにとって必要な存在になるという方がずっと地に足がついています。じゃあ、家族や猫がいない人は?犬でも植物でも推し活でもゲームでも筋トレでも旅行でも昼寝でも同じ話です。仕事以外の自分が好きなことに自分の存在意義を求めて良いのです。自分は好きなカフェでネットフリックスを鑑賞するために生まれてきたのだと言う方が、下手に仕事自慢を生き甲斐にするより遥かに健全です。
メンタルを崩して休職するに至ったのは不本意でしょうが、それも本来の自分を再発見し愛するためのきっかけでありそのチャンスです。みなさん無理せず、人の目も気にせず生きていけると良いですね!
ということで今回はここまでです。毎回似たような話をしている気もしますが、次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。