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ひとそれぞれのハマりどころ

この歳になって、人はそれぞれ「ハマりどころ」が違うのだと知るようになった。

その人が「ハマっているもの」を知って、その人が「よりによって何故それに興味があるのか」は、そうでない人には理解できない。

日本語でユニークという言葉は「おもしろい、おもしろい人」と理解されることが多いが、英語のUniqueという単語のUnはイタリア語でUNOが数字の「1」であるように、「唯一」という使われ方をすることが多い。

他にはなかなかない、独特、という意味がユニークという意味であり、それが日本語的な文脈で「おもしろい」という理解がされているのは興味深い。
独特というのは、確かにおもしろいことなのだ。

因みに、外来語で良く勘違いされるのに、「naive(ナイーブ)」というのがあって、これは日本人は「繊細だ」という意味で使う人が多いが、本来英語では「世間知らず、未熟」という意味で使われるので、誰かの繊細さを褒めるような意味合いで、「You are very naive」などと言ってしまうと大変なことになる。「繊細だ」と言いたければsensitive(センシティブ)の方が合う。

もうひとつ、最近知ったのは、今をときめく大谷選手が、ホームラン50本にあと1本足りないという状態のことを「one HR shy」と言っていた。
Shy(シャイ)はもちろん、恥ずかしがっている、内気な、という意味で使われることが多いが、こういう「足りない」とかいう使い方もあるのだと知った。

またまた話が完全にそれてしまった。

皆さんの周りにも、色んな「ユニークな」人が存在することと思う。

私もこれまでそういう色んな人と出会ったことがある。

例えば、もう90歳近い元大学の教授で、ずっと「コケ」の研究をしてきた人がいた。
ニュージーランドでたまたま出会った人だったが、話を聞けば彼は若い頃、岩に生えている「コケ」に魅せられ、生涯をコケの研究に捧げ、世界中を周り、その時はニュージーランドに色々なコケがあるのだとそれを見に来ていたらしい。
90歳の一人旅だ。
空港の待合ベンチで「コケ」の色々な写真をみせながら、熱弁されるので、聞いていたが、こちらは「ふむふむ」と話を聞きつつ、半分は「また何でコケ?」とそれが不思議でならない。

テレビで芦田まなさんと、サンドイッチマンというお笑いの人がやっている「博士ちゃん」という番組があり、これには、色々なことに「どハマり」した子ども達が出てきて、実に面白い。
先ほどの「コケ」の大学教授に劣らず、相当な強者どもが紹介される。

鉄道や車が大好き、という程度まではまだしも、この間は、床屋の前にある赤と青のくるくる回る「サインボード」というものに魅せられた小学生が、念願かなって東京にやってきて、色々な種類のそれを見たのちに、感想を聞かれて「感動しました」と涙を流す姿があり、見ているこちらはひたすら感心していた。
普通の人なら見て通り過ぎるだけのものに、これだけ惹き込まれるとは一体何があったのかと・・・。

そういう強い興味感心なり、趣味がない人からしたら羨ましい部分もあるだろう。

人がそういう風に育つことに理由はあるようで、ないこともある。
例えば子どもが親の職業に興味を持つように、育ちの環境が大きく影響する場合もあれば、まったく予期せぬ形で表出することもある。
「運命の出会い」というやつだ。

「私は特段、興味関心を持てるものがなくて・・・」とそれを悩む人もいるが、それでも大抵の人は「興味があるもの」と「興味が持てないもの」の区別はある程度あるはずだと思うので、改めてそれを探究してみるといい。

そもそもそういう自分の特性を客観的に理解しようと言う目線を自分が持ち始めたのも割と最近の話だ。

私の場合、やはり外国語とか、外国に出かけることとか(お腹を壊しそうな片境地はムリです!笑)、食べることとかは・・・(比較的に)好きです。
上には上がいるので、私の好きだとかいうレベルはあくまで「平均的な人よりは恐らく」という程度。

逆に、「まったく興味がない」というものについても知るようになった。
自分の場合、「財務にかかわる数字」、経営者としてはいわゆるお金のことをしっかり把握してないといけないし、資金を計画的に使ったり準備したりしなくてはならないが、その意識がない、というより、どうしても興味が持てなくて、ゆえに、会計士や、銀行の人に色々と数字をみせられてどうするこうすると言われても、まるで言われていることが頭の中を通り抜けていくように、記憶にも残らないのだ。
何度言われても、これが経営者としてもっとも大事な要素だと言われても、まったく頭に入ってこない。(その分、うちの理事会には優秀な財務担当がおりますので、ご心配なく!)

これまた友人の奥さんは「まゆ毛」に魅せられて、毎日、まゆげサロンで人のまゆげをピンピン抜いているのが楽しくて仕方ないらしい。同時に、人の顔をみるとまず最初にまゆ毛チェックをするとか・・・まったく理解できない・・・と旦那は話す。

といった具合に、人はユニークなのだ。

果たして親も教師も、人にはそういう要素があるということを、つまりは子ども達にも多かれ少なかれそういうものがあるということをちゃんと理解して接しているだろうか。

本人が「興味がある、好きだ」と思うことを「くだらない」と見下すのと、
それを「わかろうとしてくれる」「共感してくれる」「大切にしてくれる」というのは、子どもからしたら随分の違いがあるはずだ。

また、だからと言って、「好きじゃないないこと、興味がないことはやらなくていい」ではなく、「そうであっても、食わず嫌いはだめだよ」と伝える必要もある。

なぜなら、いやいや始めたことが続けているうちに、自分の好きなこと、自信の持てることに変化してくこともあるからだ。

職業には3段階のレベルがあるという。

JOBジョブ・・・「好き嫌いにかかわらず、生活のために仕方なくでもやる仕事」
Profession(専門職)・・・「その道の専門として知識や経験を積みたいと感じられる」
Calling(天職)・・・「給料がいくら安くても、それが好きだから、それ以外の仕事はやれないし、やりたくない、これが天職だと考えられる」

最初はなんとなくJobから始まっても、だんだん専門性を高めていくうちに本当に他が考えられなくなって、最後、天職だと思えれば幸せなことだ。
別にお金だけがすべてではない。最初から天職にたどり着くこともまれだし、そういう出会いがない人も多くいる。

逆に、好きなことは好きなこととして、お金を稼ぐことは「Job」であると思って割り切るのもいい。

総じて言えば、やはり「食わず嫌い」は良くないが、人にはそういった「ユニークさ」「個性」というものがあることを親も教師もある程度認識しつつ、子どもの気持ちに共感する姿勢も大事であるし、バランスという概念もまた大切にするべきではないだろうか。

人の理想はオールラウンダーで、バランスよく能力を兼ね備えているのが理想ではあるだろうが、恐らくそんな人間は存在しないし、より魅力的なのは振り切っているくらい自分の興味関心に忠実な人である。

そして最後にもうひとつ。

本当に好きなことであれば、壁にぶち当たっても辞めようと思わないが、そうでない場合、続けることが難しい。
よって、それが本当に好きであるかどうかということはとても大事なことなのだ。

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