目の前の人を1人にしない
“今を生きる”
noteを含め、毎日大量の文章に触れている私が、ここ数日目にするたびに心に刺さるワード。
子どもたちと過ごしていると気づく。
どれだけ、今に集中できていないかということに。
たとえば1歳娘を膝の上に乗せ、絵本を読んでいるとき。
家にある絵本は、もう何十回も読んでいて、ほとんど暗唱できる。
だから時々、娘が背中を向けていることをいいことに、絵本を読みながらスマホのLINEをチェックしてしまうことがある。
そんなときに、娘がふと私の方に振り向いた、あの目。
純粋無垢で、私に絵本を読んでもらってるのが本当に楽しそうで、嬉しそうな娘。
そんなときに母の顔を見たら自分のことを見ていないと気がついたら、どんな気持ちだろう。
あるいは、0歳息子を抱いているとき。
まだまだ訳もなく泣くことが多いから、だっこしながらあやす時間も長い。
そんなときも、片手間でスマホを見てしまう。
だけど、スマホをしまってきちんと集中してあやしてやると、ちゃんと泣き止むのだ。
「赤ちゃんは、母親を見つめるとき、母親と、母親の目に映る自分を見ている」
こんなフレーズを、どこかで見たことがある。
母親を見つめて、その目に自分が映っていなかったら、どれだけさみしいだろう。
子供たちは、今に集中している。
目の前のものを全身で感じて、たくさん考えて、生きている。
その姿を、とても眩しく思う。
たしかに、毎日忙しい。時間がない。
だけど意識して、今この瞬間を生きる。
目の前にあるものを、体いっぱいに楽しむ。
子供たちと遊ぶときは、子供たちと遊ぶことを。
散歩するときは、景色や周りの空気を。
食事をするときは、ご飯をあじわうことを。いっしょに食べている人の話を。
タイパなんて、捨ててしまえ。
ながら活動なんて、やめなさい。
じゃないともったいないよ。
なにもかも中途半端に受け取って、結局なにも残らない。
たしかに1日は短い。
だけど、あれもこれも一気にやるのではなく、自分に必要な時間を、小時間でもきちんと確保する。
子供たちと過ごす時間。
自分の興味を考える時間。
夫と会話する時間。
仕事をする時間。
家事をする時間。
頭を休める時間。
睡眠時間。
今に集中して、今を生きる。
目の前の人との時間を大切にする。
心に刻みつけたくて、ここに記す。
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サルバドール・ダリ「記憶の固執」