首を傾げたくなるようなことばかりである。あれもこれもそれも、何も納得がいかない。あとで付け加えたって引いたってもう全てが手遅れだ。なぜならこちらはあなたの一言目から首を傾げてしまっているから。一言目から傾いた首が元に戻ることなんてそうそうない。一言目を掻き消すように吐かれた追い二言目なんか悲惨すぎて聞いていられない。言葉を重ねるあなたと首の傾きが深くなる私。早く切り上げてどこか遠くへ行きたい。しかし、一度首を傾けたからには最後まで傾聴する責任がある。そのようなことは分かってい
ずっとずっと考えている。嘘。気がついたら検索ボックスに打ち込んでいるだけだし、夢の中にまで出てきているだけだ。本当はもう考えなくないし、見たくもない。 午前4時半に目が覚め、携帯を開くと幼稚園生が10段の飛び箱に挑戦している動画が流れてきた。一人目、失敗。二人目、失敗。三人目、失敗。四人目、失敗。五人目、お尻が引っかかりながらもなんとか成功。六人目、成功。七人目、綺麗に成功。気がついたら泣いていた。なぜか涙が出る。これは何の涙なんだろうと思い、ベットから起き上がりベランダに
脳がとろけるまで目を瞑って。頭がすこし溶けてきた感覚があればもう大丈夫。目を開けた時には溶け切って何もなくなってるから。また新しいものを創ろう。 そんなことを考えていた次の日、涙声の折り返し電話。新しくなった頭で何か言えると思ったけれど、何も言えない。言葉がいない。どこにもいない。まだ脳が溶けきってなかったのかも。溶けきれなかった残骸が新品のフリをしていただけだったか。気がつけば、5分ほど黙ってしまっていた。 「言葉にしないと何も分からないよ」 分かってる。それは私が1
小学一年生の時の担任だったカネコ先生。すごく背が高くて、腰まである長い髪をきゅっと結っていて、弓道選手のような風貌の先生だった。当時NHKの「にほんごであそぼ」で放送されていた金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」が大好きだった私は、カネコ先生は金子みすずの親戚なんだろうなと感じていた。図書館で初めて金子みすゞの詩集を借りた時、表紙に載っていた金子みすゞの顔がどことなく先生に似ているような気がしてすごく嬉しかったことを覚えている。私にひらがなや国語、生活、給食、音楽、図工、体育、全て
悩みがないことが悩みだとか、考えるということを考えるとか。 言葉を集めて型を作りその型に自分を押し当てるのではなく、内側から自然に名前のない形のままに。なりたい。でもそれをやろうとした結果頭が上手く使えなくなって、感覚的に生きすぎているよなと反省したりして。ちょうどいいところで止まるのはやっぱり難しくて、いつもプラス10000かマイナス10000か、極端に反対のことしかできない。プラスとマイナスが数直線ではなくて地球みたいに丸かったら反対の2つが一周回ってつながるかもしれな
数ヶ月前に大火傷をして、中指と人差し指の色が赤紫のような色へと変わってしまった。周囲の友達は皆、赤紫色になってしまった指を哀れみ、同情の言葉をかけてくれた。確かにみんなの言う通り、一生付き合っていく体の色が変わったことは非常に重大なことである。それなのに、私は指の色が変わってしまったことを特に何とも思わず、何なら次の日には指のことをすっかり忘れてしまっていた。指が赤紫になっても何も思わないだなんて、忘れてしまうだなんて、私はもっと自分と自分の人生を大切にしたほうがいいのではな
説明するような文章を書くのをやめたい。あいつみたいな訳のわからない文章を書きたい。みんな、なにあいつ?って言ってるけれど私すごく好きなんだ。羨ましい。あの時、自転車ですれ違った時、変な顔してごめん。真冬に坊主のタンクトップ姿は流石に変だったからあんな顔しちゃったけど、でも君のそういうところが、周りから見たらチグハグに見えるけれど君の中では全てが噛み合っているところが、本当に好きだ。こういうのも全部直接言えば良かったよね。今度会ったらちゃんと言うからね。そういえば、住む場所がな
よく分からない夢を見ていた。恐ろしい夢だったということは分かるのだけど、それ以外はあまり覚えていない。目が覚めた時には少し泣いていて、呼吸が荒く、背中にはびっしょりと汗をかいていた。最近こういうことばかりだな。すっかり目が覚めてしまって眠れない。 んー、生まれた時から一つの建物の中でしか生きたことのない私、の夢だったような気がする。産声を上げた瞬間から女と男は違う建物に分かれて暮らしていて、唯一女と男が会えるのは建物の真ん中にあるエレベーターの中だけ。そのエレベーターの中で
去年の成人式、行きたくなかったから行かなかった。自分で決めたことだけど、まだ少しもやもやしている。本当は気にしているのかもしれない。 1学年120人ぐらいの田舎の公立中学校だった。廊下を自転車が走り、教室では椅子や黒板消しや牛乳パックが宙を舞い、休み時間には校庭で髪を染める風景が見られ、卒業式や入学式には毎回警察が来るような、そんな学校。本当にここは平成?と疑いたくなるような、ドラマの中でしか見たことのないような、そんな学校。そんな学校で私は学級委員長を5学期分と生徒会役員
「いやだからさ、それは流石に、ぬり!!」 打ち終わった文章に不安を感じる。 まってこれ違う?どっちだっけ、また分からなくなっちゃった。あれ。 「無理」の一文字目は muでしょ。mu っていう発音は分かる。今頭の中で聞こえてるよちゃんと。だけれどそれを文字にする時には「ぬ」って書くんだっけ「む」って書くんだっけ。いつも分からなくなるな。落ち着いて考えて、、、、いや、mu は「む」って書くんだ。そして、nu が「ぬ」なんだ。それじゃあ打ち直さないとね。よし次は絶対に忘れない。
今日もいつもと同じようにアザーンの音で目が覚める。もう朝になったんだと感覚し時計を見ると時刻は午後5時。さっきのアザーンは3回目のアザーンだったようだ。久しぶりにぐっすり眠れてよかった。そういえば、昨日の夜中に洗濯をしたワンピースはどうなったんだろう。まだ寝ていたい気持ちよりも大好きなワンピースの安否を確認したい気持ちが大きく、鉛のように重い体を起こそうとする。重度の筋肉痛。幽体離脱をするかのようにしてどうにか起き上がり、愛する温泉に思いを馳せながらダラダラと物干し竿の方へと
"You can not go into the library in that skirt."って言われた。 今日1日が上手く行きますように、と朝からたっぷり時間をかけて選んだスカートだったのに。 本当は膝丈のスカートは好きじゃないけれど、この国で生活するために、と特別な思いで買った、決意のスカートだったのに。 ねえお願い、見逃してよ。私の膝隠れてたじゃん。 なんで私も肌を見せたらいけないの? 宗教上のルールだから。学校のルールだから。というのはもちろん知っている。
あのね、背中をさすってほしいんだけど、そんなに強くはしないで欲しいの。お願い。ねえ、覚えてる?前に私が気持ち悪くなった時に、君が背中強くさすりすぎて私もっと気持ち悪くなっちゃった時あったじゃん。あの、吐いちゃった時。だから、そこまで強くはしないで欲しいの。強くはしないで欲しいんだけど、でも、さすっててほしい。そんなわがまま言うぐらいなら自分でしたら?って思うかもしれないけれど、自分では出来ないじゃんどう考えても。自分で自分の背中さするっておかしいでしょ。自分の手で背中をさする
1人で考え事をする時、私の頭の中には原稿用紙が登場する。原稿用紙の枡を埋める様にして一枡ずつ、一枡ずつ、丁寧に自分の気持ちや考えを書き込んでいくことにより、気持ちが落ち着き、ゆっくりと考えをまとめることができるのだ。 実は、この原稿用紙は頭の中を整理するという役割だけではなく、カンニングペーパーとしての役割も担っている。(画期的!) 私は即興で人と話をすることに対して苦手意識を持っている。しかし、そもそも会話とは即興劇のようなものなので、日常生活はアドリブで溢れている。そ
久しぶりに月を見た。バイトを辞めたいと思った日にゴミ捨て場から見えたあの月と同じだなと思いながら嬉しくて少し泣いてしまった。この街は明るすぎて月が見える夜なんてないと思っていたけれど、ちゃんと月はあった。星もあった。ずっとずっと前からそこにあったのにね。私はまだ頑張れると思う。
あの日、高く高く空に向かって投げたボールは何処に行ったのだろうか。私が生きるこの世界には重力というものがあるから、あのボールはいつか絶対に落ちるずなのに、何故まだ落ちてこないんだろう。私、あの日から少し進みすぎているのかな。もうボールを投げた日と同じ場所には居ないのかな。それとも、ボールを投げた時からそんなに時間が経っていないのかな。もしかしたらまだ、落ちてくる時じゃないのかもしれない。 私が空に向かってボールを投げる時、私は、ボールが太陽に届くほどに、どこまでも高く上に登