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珈琲と会話と思い出と (シロクマ文芸部、エッセイ)
珈琲と共にすごす時間が増えた。
飲む量や回数というよりも、飲んではいなくとも珈琲にふれる行為が多くなった。どんな味や香りのものにするか検討したり、ドリッパーで淹れてみたり…などと。
喫茶店やカフェ、珈琲豆販売店、豆の種類や淹れ方など、珈琲に関する知識や情報はあまり持ち合わせていない。
しかし、自身の現状に見合ったドリッパーを使い始めてから、味や香りの違いには少し敏感になったように思われる。
それが影響しているのだろうか。
例えば、お店で淹れてもらったり、お試しで買ったものを自宅で飲んだりして、好みのものに出逢ったとき。
帰り際や改めて来店した際に、
「美味しかったので、これを○グラムお願いします。」
とか
「ここにくると、これが飲みたくなるんですよね〜。」
と、注文するようになった。
また、今からお店で飲む、あるいは自宅用の次の珈琲をどれにするか店頭で悩んでいるとき。
店員さんから話しかけられた際に、
「以前これを頂いて好みだったのですが、違うものも飲んでみたくて…。」
とか
「どちらかというと濃いめが好きで…。」
と、伝えるようになった。
そうしたやり取りを機に、それぞれの珈琲の特徴や合うお菓子、他のオススメ商品やお店のこだわりなどを教えていただけることがある。
珈琲とは無関係な、その土地・お店・店員さんならではのお話まで聞けると一層嬉しくなる。
お人柄やお店の混雑状況にもよるため、店員さんと会話ができるとは限らない。ただ、一言ずつでも交わしてから選んだ珈琲は、なんだか特別に感じる。
特に自宅では、飲む準備をしながらもしくは飲みながら、買った日のことを思い返したり、お店やその周辺地域へ思いを馳せたりする。追憶という風味が、飲むたびに加わっていく。
また、珈琲そのものについてや店員さんから聞いたお話、珈琲を購入した日のことは、家族や友人との話のネタにもなる。そうして生まれた会話も、思い出の一つとなっていく。
もちろん、同様のことは珈琲に限らず他のものでもありうると思う。ただ、私の場合は、さほど知らないにも関わらず、珈琲が生活の充実感を高めてくれていたようである。
これに気づいたのは、つい最近。珈琲豆を挽いてもらう間、ベンチでそのお店のラテを飲んでいたときだった。
今の状況からして、珈琲について詳しくなったり、存分な費用や時間をかけたりとできるようになるのは、当分先だろう。いや、そんな日々が訪れるとも限らない。
けれども珈琲は、私の日常に彩りを添える花々を、咲かせ続けてくれるだろう。
※文中にある、「自身の現状に見合ったドリッパー」については、以下の記事で綴っております。
珈琲を淹れる際の五感への刺激なども、記しております。
※当記事は、こちらの企画への参加記事です。