【短歌一首】 何事か成さんとプランの休み前明けて気づくはダンなき十日
こんにちは。統合カウンセラーの猫間英介です。
私にとって短歌は最高の心理セラピーであり、ストレスコーピング。
短歌は、「無条件の肯定的受容」、「共感的な理解」、「自分を偽らない自己一致」という、カウンセリングの3大基本原則をそのまま満たしてくれる。
(カウンセリングの対象者がクライエントではなくて、自分自身だけど。)
今週はゴールデンウィーク明けの仕事、心身ともに絶不調だった。妙に焦燥感、疎外感、抑圧感、劣等感などに苛まれ、体が疲れやすく、他者との競争心、対抗心に振り回された。周りの人たちも自分も、みんな不機嫌というか、不愛想というか、疲れているというか、全く冴えない。
今年の連休こそは毎日を有意義に規則正しく過ごすぞ〜、と意気込んで連休開始前にすでにアクションプランのリストを作っていた。そしてそれをしっかりと消化して、連休明けもクリアな頭と体でスムーズに仕事に復帰、などと思っていた。
しかし、明日から、明日から、と思って行動が伴わないうちに虚しく連休は過ぎて行った。おかしい、なぜだろう。連休前日の夜に連休祝いのひとり前夜祭で飲み過ぎてしょっぱなからつまずいたから? 新緑やそよ風があまりに素晴らしいので、それを愛でながら飲んだ昼酒のせい? 雨の日は気持ちが少し晴れなかったから? 日々の睡眠不足を補うという言い訳のもと日中に爆睡してリズムが乱れたから? 原因候補リスト、これまた虚しい〜。
仕事では、Plan → Do → Check → Action とか、PDCAとか、誰しも立派なこと言っているけど、人々のプライベートはどうなんだろう。 少なくとも、私はまた負けた。悔しい、虚しい。 アクションプランのTo DoリストのDoは、どれもまさに計画倒れ。未着手と未完の山。 ”Do”が”Done(ダン)"になることはついぞなかった。
いや、アクションプランに入れていたわけではないが、一つだけ継続したことがあった。noteに毎日短歌を投稿すること。 まあ、To Doリストとか、ゴールデンウィークの総括・反省なんかはこの際どうでもいいか。完璧主義や自責の念を持つことはやめよう。(そもそも全然達成していない人間がこうほざいて良いかは問題だが。)
短歌においては、ありのままの自分の心を自分自身で傾聴し、それを無条件に肯定し受け入れ、積極的に共感し、自分の内面の気持ちと行動が一致している、ような気がする。これって、カウンセリングの3大基本原則そのものではないか。そして歌を詠んで今日一日がまた過ぎていけば、それだけで素晴らしいこと。To Doリストなんかと関係なく、毎日短歌を詠んだGWって最高だったんじゃないのか。
好きなこと、やりたいこと、は計画なんぞ立てなくても自然に行い、そして続き、発展していくもの。そしてそれが自分を幸せな気持ちにさせてくれるのだから、そこを大事に生きていこう。 この気づきこそが今年のゴールデンウィークの意義だたのかも。
猫間 英介
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