博士よ、さまようなかれ
2年前に『さまよう博士』というドキュメンタリー番組を観た。
2018年の九州大学元院生による放火自死事件を題材としている。
亡くなったオーバードクターは、常勤の大学教員になれず苦悩していたそうだ。
そして、彼と同じ悩みを抱える博士号取得者が登場し、共感を寄せていた。
私も、20代前半の頃なら共感していたかもしれない。
しかし今では、こうした問題への見方も変わってきた。
何より、無断で使用していたキャンパスの一室に放火して自爆するという出来事に対し、過剰にシンパシーを抱くことの不健全さである。
場合によっては他人の生命をも奪いうる凶行は、もちろん違法であり学問の道にも反している。
このような事件に共感してしまう研究者が少なくないとしたら、それこそ嘆かわしいことだ。
また、研究職などの知的な職業にしか価値を見出ださないのは、実に貧しい発想なのである。
努力しても芽が出ないならば他の仕事を探すといった、柔軟な対応が人生には必要なはずだ。
博士や修士でありながら、人生いかに生くべきかを弁えていないとは残念極まりない。
国策の失敗で博士の価値が下がったと言われるが、研究職に拘らず柔軟な職業選択をするのも博士としての立派な生き方ではないだろうか。